破壊神話 第一章 ジーナス編


カタワン攻防戦

 

 市本とサラがジサキの村を後にした頃、魔王殿近くの入り江から、巨大な意志が動いた。
 それは、海底を悠々と進む鯨型の妖魔であった。しかし、何という大きさだろう。その全長は現実世界に出没する『海神ダゴン』にも匹敵する大きさを持っていた。
 その妖魔は明らかにある種の決意に似た意識の光をその目に宿していた。

 

  ACT.1

 港町カタワンは、ジーナス最大の漁港であり、山岳都市ツセやウ・キョウの街と並ぶ商業都市である。

 市本達はそのカタワンを目指していた。
 ジサキの村での戦いから、サラの様子がおかしい事に市本は気づいていた。
 「月並みだが…、熱でもあるのか?」
 「精霊は滅多な事では病気にならん」
 そう言ったサラは、市本と目が合うと頬を赤く染めた。
 「ジサキの村でお前さんが言った言葉に自分で責任を負うつもりで、悩んでいるのなら、無かった事にすればいい」
 「あ、あれは…」
 「どうした?」
 「和也が…私の躰を必要としているのなら、それでも良いと思っている…」
 「何だ。別の悩みか」
 先を歩く市本には、自分をチラチラと見ているサラの気配が手に取るように判っていた。
 突然、市本が立ち止まって振り向いた。
 「その妙な気配な、うっとおしいんだよ。言いたい事があるならその場で言ってしまえよ! その方がよっぽどお前さんらしい。ウジウジしてるのは、全然似合ってないぜ」
 「そ、そう思うか…?」
 「思う!」
 「その…、謝ろうと思っていたのだ…。初めて和也に出会った頃、随分と失礼な事を言ったろ…。あの頃は、私より強いのはフレイルだけだと思っていて…、和也があんなに凄い奴とは思っていなかったのだ。上には上が居ると言う事が良く判ったのだ…だから…」
 この勝気なサラがこの言葉を口にするのにどれだけの勇気を必要としたのか、市本は彼女に優しく笑って見せた。
 「一番と思っていなかっただけでも良い方なのさ。俺だって今が最強だとは思ってはいない。頂点に達した時、常にそのもう一つ先に頂点があるものなのさ」
 そう言って市本はサラの目を見た。
 「その言葉を□にするのを迷っていた訳だ。随分、勇気が必要だったろう?」
 「これが勇気なのか?」
 「そうだ。自分よりも強いかも知れない奴に立ち向かう事では無い。本当の勇気とは、自分が恐れている事を行動に移せるかどうかという事だと俺は思う。結果では無く、行動そのものが大事な事ではないだろうか。誰でもそうやって成長して行くものだと思う」
 「和也もそうやって来たのか?」
 「ああ、何度もな…。それが勇気と気づくまで何度も挫折したりした」
 「よかった」
 サラがホッとしたように言った。
 「和也ってさ…」
 「うん?」
 「見た目よりも優しい奴だな」
 「放っとけ!」
 市本の声に怒気は含まれていない。
 サラは、出会って初めて明るく笑った。

 

  ACT.2

 カタワンの近くの浜辺に女性が倒れているのを見つけたのはサラである。
 「待て」
 駆け寄ろうとするサラを市本が制した。
 サラは市本を非難するような目付きで見た。
 「旅ボケするような距離を旅した訳でもあるまい。その女、妖気を纏っている」
 市本の言葉に、サラはハッとして倒れている女を見た。
 女の肩が細かく震えている。
 それが笑っているのだと言う事に気づいた時、その女の儚げな外観がガラリと変わった。
 「ハッ!!」
 女が顔を上げた時、人間の姿であった筈の体型が変わっていた。
 「海皇ザーンを動かす程の勇者の片割れをからかってやろうと思っただけサ!」
 「誰だ?」
 妖魔と判っていても、市本は人間に対するような問い掛けをした。
 女妖魔の目に殺気の色が走った。
 だが、誰も動けなかった。味方であるサラでさえも金縛りに遭ったような錯覚さえ起こさせる市本の気配の変貌であった。
 正対している女妖魔はサラが感じているよりも遥かに恐怖を感じていた。
 市本に対して…。
―― これが…人間の放つ気か…!?
 気配と言うにはおこがましい硬質の殺気であった。
 「誰だと聞いている」
 女妖魔の背中から奇妙な器官が生えた。
 翼のようであり、何かの発射管のようでもある。
 「墓標に刻む名前もいらんか」
 市本の殺気がさらに増大した。
 「れ…、レーデだよ…」
 風のそよぎさえも止めるような巨大な殺気に女妖魔が敗北を感じた証拠であった。

 

  ACT.3

 突然、殺気が消失した。
 サラでさえも肩で息をしていた。まともに殺気を受けていたレーデの疲労度はもっと激しい。ガックリと膝をついて、空気を求めるかのように激しく呼吸を繰り返していた。
 「お前には三つの選択が出来る。負けると判った戦いをするのと、勝つかも知れない戦いをするのと、ジーナスから出て行く事だ。どちらが良い?」
 市本の提案に驚いたのはサラの方であった。
 「和也!! レーデと言えば空の妖魔の長。ここで倒さねば…」
 「こざかしい!!」
 レーデの翼のような器官から光弾が放たれた。回復はレーデの方が早かったらしい。
 しかし、過去に二度も未崎に致命傷を負わせた光弾はサラに命中する軌道を取っていながらも、突然その進路を変えた。レーデの意志ではない。それを発射した本人ですらも、それがサラに当たる事を信じていたのだ。
 「重…指弾…とやらか…」
 回避の体制を取りながらも、レーデの光弾が逸れた理由にサラは気づいた。
 何時の間に打ち出されたのか、サラとレーデの間には、光の進行をも屈折させる重力場による防護結界が張られていたのである。
 「回復の遅いサラを狙う事は予測出来たんでな。事前に防護策を取らせて貰った」
 レーデの視界の隅でそう言った市本の姿が消えた。
 「チイッ」
 レーデは飛び上がって市本の姿を探した。背中の光弾発射器官は相手を捕捉次第発射出来るようにしている。
 「生体荷電粒子抱か」
 その声はレーデの頭上から聞こえた。
 「そこか!!」
 そう言って振り向いたレーデの後頭部を衝撃が貫通して行った。
 「な…に…い…?」
 「遅いな」
 フレイル程ではないにせよ。レーデも空の妖魔の長である以上は、スピードに自信があった。その彼女が、空での戦いで頭上を取られ、スピードでも負けたのだ。それも、人間に撃墜されたのである。
 魔法攻撃による撃墜ならば、彼女も納得出来た。しかし、空中で打撃によるダメージを受ける事は、空皇レーデの名前が許さなかった。
 地面に激突と同時に彼女は自分の意地で跳ね起きた。
 「よくも! あたしの顔に泥を…」
 その喉に市本の太い腕が叩きつけられた。着地直後では無理な体制であった。少なくとも、レーデが地面に激突する前に地上に到達していなければ不可能なダメージであった。
 「がぁっ!!!」
 サラには、市本の姿は空中では二度しか見えなかった。レーデの頭上で声を掛けた時と、振り返ったレーデの後ろでローリング・ソバットをかました時の姿だけである。移動中の市本が全く捕捉出来なかったのだ。
 「タフな奴だな」
 跳ね起きたレーデにカウンターのウェスタン・ラリアートを掛けた市本の台詞である。息一つ切れていない。
 ジサキの村でのブルードラゴンとの戦いが市本の底と思っていたサラにとっては、その一言が、空皇レーデで遊んでいると言う意味に聞こえた。
 「人間がどうしてこんなに強くなれるのだ!!?」
 サラも立場こそ違うがレーデと同じ気持ちだった。彼女が認識している強さとは、全く違う次元の強さなのだ。
 レーデは、今度は用心深く立ち上がった。
 「…やはり、ザーンでなければ倒せないと言う事か…。貴様のその力は何処から来るのだ!?」
 逃げる機会を伺いながら、レーデは市本に尋ねた。それに対する市本の反応は…。
 市本はサラを見て言った。
「俺ってそんなに強いのか?」

 

  ACT.4

 サラだけでなく、レーデすらも市本の言葉に呆れた。彼は自分がどれだけの事やったのか自覚していないのだ。
 「和也…、お前…」
 「冗談を本気にするな」
 市本は不機嫌そうに言った。どうやら笑って欲しかったらしい。しかし、この状態では笑えない冗談であった。
 市本とサラの間に妙な間が走った。
 レーデはこの隙を見逃さなかった。
 「アッハッハァッ!! やっぱり貴様は人間だ。まだまだ甘いネェ!」
 それが捨て台詞であった。
 レーデは海の方へ飛ぼうとした。
 「おい」
 市本の声に反応しようとしたレーデは、自分の肉体に開いた穴に気づいた。
 「そっちはサラを守る為に撃ち出した重指弾が漂っているから危ないぞと言おうとしたのに…」
 それでもレーデは逃げた。これ以上、市本に付き合う事に生命の危険を感じたのである。
 市本は逃げるレーデを見て、肩を竦めただけであった。
 逃げながら、何発か直撃を受けているのだろう、何度か墜落しかかりながら、レーデは水平線に消えた。
 「人の忠告を聞いてないな…」

 その後空皇レーデは、砂漠地帯の北端で未崎とフレイルに戦いを挑むのだが、その戦いの前に、市本とレーデが戦った事はジーナス正史には残されていない。何故なら、この後に起きた市本和也と海皇ザーンとの戦いが壮絶過ぎた為である。

 「何故とどめを刺さなかった?」
 「別に本気で戦う程の相手じゃなかったと思うが。それに、あいつも本気で戦う為に俺達の前に現れた訳じゃなかったみたいだし…」
 市本はレーデが逃げた水平線を見ながら言った。
 「何か…、俺達を試すみたいな戦い方してただろう。受けるばっかりでさ…」
 「試す…?」
 「俺はこの先のカタワンでもっと面白い事が待っていそうな気がするな」
 「そう言えば、海皇ザーンがどうのと言っていたな…」
 「そいつ、どんな奴だ?」
 「ジーナスの海の妖魔の長で、ジーナス最大の妖魔だ。私も直接は見た車が無いが、ダゴンに匹敵する実力を持つと言われている」
 「そいつは厄介だな」
 さして厄介でもなさそうに市本は言った。そんな市本を見て、サラは思った。
―― 緊迫感の無い奴…。

 

  ACT.5

 カタワンにそう遠くない海上に浮かぶ小島の上で、レーデは躰を休めていた。
 小島の上には、もう一体の妖魔が居た。全身が岩石に包まれた妖魔である。
 「かなりやられたな」
 「奴は…、奴の力は一体何なのだ!? あれは人間の力ではない…。人間が精霊を超えた力を発揮する事など有り得ない事ではないのか!!?」
 「時間を操り、重力を操る人間か…」
 「それだけでは無い。大抵の奴ならば少し戦えば、どのくらい強いのか判る。少なくともあたしより強いか弱いかくらいは判る。なのに奴は違うのだ」
「どう違うと言うのか」
 「全く我等とは次元の違う強さとも言うのか…。全く、底が知れぬ…」
 「どうする?」
 「どう言う意味だ?」
 「儂は降りる。今回の勇者は得体の知れぬ所がある。やたら運のイイ奴と無限の魔力を持つ奴…。その上、我等とは次元の違う強さを持つ奴となれば、別にザグールに従って命を落とすのも惜しい。それに、儂も歳じゃからの」
 そう言って、岩石の妖魔は崩れ去った。
 「畜生!! 死に場所の必要の無い奴は気楽だっ! あたしには命を賭けて戦うに値する奴に出会ってしまったんだ。今さら逃げる訳には行かないんだよ!!! そう思うだろ!?」
 誰もいなくなった小島の上で、レーデは誰に言うともなく言った。
 「命のギリギリを賭けた戦いの一瞬だけ、あたしは生きている証を見つける事が出来るんだ。ただし、実力が拮抗している時だけだけどね…」
 レーデはフワリと笛に浮かんだ。
 「奴は本当にあんたと戦う為に現れた戦士なのかも知れない。あの力は勇者のものではないからね。あたしは砂漠で、あたしと本気で遊んでくれる奴と決着を着けるつもりさ…」
 レーデは、砂漠地帯へ向かいかけて、もう一度小島を振り向いた。
 「じゃあね。あたしは行くよ」
 レーデが飛び去った後、小島はゆっくりと沈んだ。

 

  ACT.6

 市本達はカタワンに到着した。
 「活気がある街だ」
 「そうだね」
 魔王軍の侵攻のさ中にあって尚、活気を失わないこの街の人々の心粋にサラは半ば感心しながらも、市本を見つめる人々の視線の意味に対して、本人でもないのに誇りに感じていた。
 市本が無愛想な分、サラが愛嬌を振り撒いた。
 「お前…、性格変わったな…」
 市本が呆れる程にサラの性格は明るく変わっていた。
 「和也と一緒に居る事で私は変わって行けるんだ」
 「勝手に変わるとイイさ」
 「イイ加減よりも良いと思うよ」
 「俺の何処がイイ加減なんだよ!?」
 「頭のてっペんから足の先まで」
 「言ってくれるぜ…」
 そう呟いて、市本は周囲を見回した。
 「落ち着きも無いな」
 「あれは何だ…?」
 サラは市本の視線を追いかけた。
 「武器屋じゃないか。何か気に入…!!?」
 市本が見ていたものがサラにも理解出来たのだ。彼女は咄嗟に振り返った。
 「か…海皇…ザーン…」
 遠くからでも判る。全高50メートルに及ぶ水の柱がゆっくりとカタワンに向けて進行していたのである。
 市本は武器屋のウィンドウに写るザーンの巨体を見ていたのであった。
 「サラは住民の避難誘導を頼む」
 「和也は?」
 「取り敢えずは奴を止める。避難が終わり次第、攻撃に移る」
 「無茶だ! あの水上に出ているのは全体の四分の一に過ぎない。それに、奴の姿を見ろ。あの水流のバリアーの前には和也の指弾とやらでも奴の本体に攻撃は出来ない!!」
 「俺は負けない。必ず勝つ。やっと本気で遊んでやれる相手に巡り会えたんだ。その為には住民が邪魔なんだ」
 「しかし…」
 「俺が本気になったら、何が起こるか判らない。現実世界では国を一つ滅ぼした事もある」
 「な…なにい…?」
 「俺の楽しい時間に誰も邪魔をさせるな。巻き込まれたら命の保障は出来ない。判るな?」
 「わ、判った」
 「心配するな。奴に死に場所を与えてやるだけだ。死にたがっている奴に俺は負けられない」
 「奴が死にたがっている?」
 「何故、空皇が俺を試したのか考えた。そして海皇が現れた。奴等はザグールから開放されたがっているんだ」
 サラは改めてザーンの巨体を見上げて、もう一度市本を見た。
 「勝てよ」
 「行け! サラ」
 市本に言われたサラは、少し駆け出して止まった。
 「どうした?」
 市本が戸惑ったように尋ねた。
 サラは振り返って聞いた。
 「私では和也の補佐は出来ないのか?」
 「俺の邪魔になる物を排除するのも補佐ではないのか?」
 「そうだな…」
 サラは安心したように微笑むと、街の住民を避難させる為に走って行った。
 サラの後ろ姿を優しく見守っていた市本は、視線をザーンの巨体に向けた。
 「さて、どうやってあの巨体を止めるか…。半端な攻撃では怒らせるだけだろうしな…。さて、どうする? 市本和也」
 市本は港へ向かった。

 

  ACT.7

 港まで出た市本は、空中に複雑な紋章を描いた。その口からは不協和音が流れた。おそらくは、この企画中の物語では誰も使っていないであろう、高速呪文であった。右手を天に突き上げる。
 市本の右手の周囲で大気が回転し始める。
 自然呪文は、高速化の必要が無い程に呪文が簡素化されているが、絶大な威力の呪文程、長く複雑で発音しにくい音の羅列となって行く。
 また、魔術の種類に関わらず高度な魔術になる程、成功率が低下していく。
 高速呪文は、これらの要素を取り除く為に開発された物であるが、結果として、呪文の短縮化と成功率の向上は成功している物の、発音不能な音が更に増えてしまった為、今では使用する者も居ない。それどころか言語自体の難しさ故に理解出来る者も居なくなって久しい呪文成立法なのである。
 しかし、その成功率は高く、超難易呪文である固有時制御呪文でさえ数ミリ秒で成立させてしまう。
 だが、何故、市本がそれを知っているのであろう?

 

  ACT.8

 住民の避難を誘導するサラは、背後に巨大な魔力の集中を感じて振り向いた。
 港の方で、海皇ザーンに匹敵する程に大きな竜巻が発生していた。
 「魔法?…和也なのか…」

 「先端が収束していない。ならば…」
 市本は尾底骨から額までの六つのパワー・ポイント ―― すなわち、チャクラを一斉に発動させた。念の一点集中の為に、右手から発動している竜巻の先端が収束して行く。
 市本は右手を開いた。その手にあるのは、指弾攻撃用のミスリル弾である。それを指で弾いて回転を与える。掌の上の弾が回転を始める。それは、周囲で回転する大気によって更に加速された。
 次第にミスリル弾が黒い光を帯び始めた。弾が超高速回転を与えられる事で重力を持ち始めたのである。大気の渦の力だけでは無い。この弾にもチャクラが影響しているのだ。
 「狙いは奴の重心。行くぜ。風威激砕流…。喰らえ! ソニック・ハンマー!!」
 市本は大気の槌を振るった。
 収束された竜巻がザーンに振り下ろされた。凄まじい風の槌は、ザーンの水流バリアーを切り裂いて、その重心に最も近い位置で停止した。
 そして、ザーンの前進も停止した。

 「ザーンが止まってい…る…」
 サラは我が目を疑った。ジーナスでも最大の質量と巨体を持つ妖魔が、その百分の一にも満たない一人の人間によってその前進を止められているのだ。

 「これで終わったとは思うなよ…」
 市本は口許に笑みを浮かべていた。
 「水流バリアーを突破するのが第一段階だ。これでお前の本体と俺との間に邪魔な物は無くなった」
 市本は右手の掌で止まっているマイクロ・ブラックホールを見た。ミスリル弾が『風威激砕流』で発生した凝縮大気結界の大気摩擦によってプラズマ化していた。これ程の事をやっているのだから、核となる右手も只では済んでいない。
「行けぇっ!! プレッシャー・ブラスト!!!」
 市本は掌を打ち込む要領で、超高温超高圧化したミスリル弾を『風威激砕流』の中に撃ち出した。
 初速さえ与えてやれば、超高温超高圧化したミスリル弾は、敵に向かって回転している大気の渦の中をさらに圧縮され加速されながら突き進んで行くのである。

 サラの視点からは、その様子が一目瞭然であった。
 市本とザーンを繋ぐ竜巻の中を黒い閃光が暗赤色から見るもまばゆい青白色に変貌しつつ、加速しながらザーンヘ向かって行った。
 閃光がザーンに到達した時、その水流バリアーの内側が爆発した。同時にザーンの巨体が、水上に出ている部分の数倍の距離を後退した。
 「凄い…何て威力だ。しかし…」
―― 和也の本気にしては地味な技だ。

 

  ACT.9

 「右手を犠牲にしてこの程度か」
 市本はズタズタになった右手を見た。チャクラの発動による恩恵は、魔法攻撃の為の精神集中度の向上だけでは無い。全身の細胞までもが活性化するのだ。並の人間なら、切断していたかも知れない重力と風圧の渦の中にさらされていた彼の右手は、修復されつつあった。
 市本は周囲をこ見回した。
 「半径一キロに住民の気配無し。…さて、これからが本当のお遊びの時間だ」
 市本はもう一度口許に笑みを浮かべたが、以前とは全く別物の笑みであった。
 傲慢にして邪悪。
 一キロ弱の距離を置いて尚、海皇ザーンに底冷えのする恐怖を与えるような凄味のある笑みであった。
 「行くぜ。海皇ザーン」
 市本は左右の拳を胸の前で合わせた。

 胸騒ぎである。
 住民の避難が終了した頃、サラは港の方で増大する巨大な破壊意志を感じた。
 「始まっている…。しかし、何だ? この破壊意志は…? これが和也の物なのだとすれば…」
 普通の人間は、絶対に精霊の能力を超えた能力を発揮する事は許されていない。しかし、それは幻夢境で生を育む者達全てに共通する能力なのだ。そんな人間ですらも死ぬ間際に放出する力は時として神をも超える事がある。
 現実世界の人間の能力は『宇宙神ノデンス』を超えられないと言うだけで、それ以上の制限が無い。だからこそ、夢見人は幻夢境の人間よりも強力な力を発揮する事が出来るのだ。
 サラは急いだ。急いで和也と合流する必要があった。
―― フレイルと同じ思いをするのは嫌だ。
 天の武精フレイルは、魔王ザクールとの戦いを二度も経験し、前回の聖戦では勇者を守る事が出来無かった苦い経験を持っている。
 サラは、フレイルが過去に縛られている事を情けないと思っていた。
 今は?
 今の彼女の助力を市本は必要としていなかった。彼女の前には必ず市本が立っていた。
 今、サラを市本の元へ急がせているのは、勇者を守らねばならないと言う責任感からの行動ではなかった。

 

  ACT.10

 念撃波の発射体勢に入ってから、市本は先程の魔法攻撃の時に消耗した精神力が回復し切っていなかった事に気づいた。
 チャクラを無理矢理発動させて念を押さえ込む。チャクラを発動させる事は、必ずしも良い事だらけでは無い。普段使っていない筋肉を酷使するのと同じ事なのだ。何れ弊害が発生する。それが判っているからこそ、これ迄の戦いでチャクラを発動させなかったのである。
 市本が念撃波の発射に手間取っている間にザーンの水流バリアーが復活した。
 移動速度が上がっている。
 水流バリアーの一部が割れて、水が高速で吹き出した。と、同時に市本も念撃波を発射した。

 サラが到着した時、市本の腕から目に見える程に凝縮された念塊が発射されるところだった。
 発射した直後に市本は、ザーンが発射した流水弾の直撃を受けて数十メートルも吹き飛ばされた。ザーンもまた、水流バリアーを破壊され、後退させられた。
 サラの目には、両者の実力が互いに拮抗しているように見えた。
 「和也!!」
 瓦礫の中からサラの声に答えるように市本が立ち上がった。
 「楽しいなあ」
 笑っていた。
 「だが、俺の方が強い」
 そう言った市本の頭頂が閃光を発した。
 額のチャクラを発動させる事の出来る者だけに許された最終兵器である。現実世界でもこれを発動出来た武道家は『工藤明彦』だけであった。それも、死を意識した一瞬だけ発動させるに過ぎない。
 今の市本も死を意識しているのだろうか?
 市本の挙が再び合わせられた。拳の間に発生した念塊が次第に大きくなって行く。大きいだけでは無い。確実な質量を持って、周囲を粉砕しながら大きくなっているのだ。
 その念塊の中に市本の姿が消えた時、サラは膝を落とした。
 「私は…、何も出来なかった…」
 彼女の視界の中で、市本の増大する念に包まれたザーンの巨大な影が消滅するのを見た。

 

  ACT.11

 高瀬とリギアがマタイの村を出た時、水平線の彼方が爆発的に輝いた。
 間髪を入れず高瀬はリギアを押し倒し…もとい、伏せさせた。
 「どーしたの?」
 「凄い嫌な予感がしたんだ」
 東の水平線の彼方から海を大きくえぐって衝撃波が彼等を襲った。
 「何だったんだろうね?」
 「市本さんがアレを使う程の敵が居るってのか!?」
 「アレって何?」
 高瀬は珍しくシリアスな顔をしてリギアに言った。
 「知らない方が良かったと思う事もあるんだが…」
 そう言って高瀬は遠い目をした。
 リギアは思った。
―― アブナイなぁ…。

 

  ACT.12

 市本が暴発させた念撃波の輝きは、砂漠の街であるザンドに居る未崎達にも見えた。西部山脈のおかげで、衝撃波は届いていない。
 「何だろう。あれは…」
 「カタワンの方角ですね」
 「イデの輝きか…」
 「何です?」
 「いや…、いいんだ。忘れてくれ」
 戦いに於ては絶妙のコンビネーションが組めるようになったとは言え、フレイルには、ポケにはツッコミを入れなければならないと言う概念が全く無かった。
 未崎は思った。
―― 誰かツッコミを入れてくれえ…。

 

  ACT.13

 サラの意識が現実の時の流れを完全に認識するまでに多少の時間を要した。
 「風…?」
 最初に感じたのは、彼女の黒髪をなびかせ、頬に当たる涼しい風であった。
 「気づいたか?」
 市本の声がした。
 見上げると、間近に市本の不敵な面構えがあった。
 「生きてるんだよ…ね…?」
 「死んでいたら、こーゆー事は出来んだろうな」
 市本はサラを抱き上げて、海上を走っていた。
 「ここは何処?」
 「カタワンだった所だ。陸地まで後一キロって所だな」
 「そうか…、全部吹き飛ばしたんだ」
 「海皇ザーンもな」
 「どうして私達は生きている?」
 「説明してもいいが、降りてくれないか」
 「どうして?」
 「疲れて、お前さんが重い」
 「やだ」
 そう言ってサラは市本にしがみついた。
 「あのな…」
 「陸まで…いいだろう?」
 市本の腕の中で、サラは先程の戦いを思い出して震えた。そして、市本が本当に人間なのかと言う疑問にとらわれた。
 「和也に取って私は必要が無いのか?」
 突然、市本が手を離した。サラは受け身も取れずに砂地に落ちた。
 「陸だ」
 「痛あ〜い」
 「女みたいな声を出すな」
 「女だよ!」
 「戦士に性別は無かったんじゃないのか? 立てよ」
 「お尻が痛い」
 「甘えるなよ。死ぬ程似合わない」
 「さっきの答え」
 「少なくとも…、この世界での戦いが終わるまでは、お前さんは俺の相棒だ」
 そう言って市本はサラを肩に乗せた。
 「何処に行くんだ?」
 「カタワンで補給を済ませるつもりだったが、全部吹き飛ばしてしまった。山越えしてイトの村へ出るしかないだろう」
 サラは市本の肩に座って聞いた。
 「気持ちイイだろう? こんなイイ女の尻を肩に乗せているんだから」
 「重いだけだ」
 そう言って市本は少し笑った。
 サラも明るく笑った。

 

破壊神話第一章 ジーナス編『カタワン攻防戦』  完結