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  Beat 1 《ヒミツなふたり》

 それは、真夏の日差しが照りつける舗装されてない田舎道。果たして、その役割を果たしているのかさえ疑わしい寂れたバスストップ。少年は2つの人影を見比べた。大人の男と女だ。
少年は迷う必要はなかった。少年は女を選んだ。女は理知的な輝きを放つ凍つく瞳で、おんばろバスに乗り込む男を見詰めていた。少年は女のワンピースの袖元をぐっと掴んだ。少年には分かっていた。自分は叡智の結晶で出来た氷の女性、すなわち、自分の母親に属する人間であることを。男、すなわち父親は、母親とは全く対照的だった。そう、すなわち炎だ。しかし、その気紛れ且つ感情的且つ楽天的な性格は、幾度となく少年の親愛なる母親を若悩と不幸へと導いた。少年にとって、父親は悪だった。そして遂に、氷と炎の決別の時は来た。悪が今、バスに乗って去ろうとしている。少年は母親同様冷ややかに父親を見送った。突如、小さな影が悪の後追いをした。自分と同じ血を分けた小さな少女、妹だ。妹は、氷ではなく炎を選んだのだ。
そして氷と炎は、今決別の時を迎えた。

 

  Beat 2 《赤い河》

 私室のコンピュータルームの一室で、3杯目のコーヒーが飲み干された。飲み干したティーカップを丁寧に机の上に置くと、未崎一美は深く溜め息を吐いた。春の日差し麗らかな、せっかくの日曜日だというのに、彼の心は深く沈んでいた。一美は安っぽいエアメールを手に取り見詰めて、再び深い溜め息を吐いた。
さっきから何度同じ行為を繰り返しているのだろう。差出人は、未崎麗美……まさかこの名を再び目の当たりにしようとは……。
差出人の住所は中国! 一体あの夏の日、母親と離婚した父親は、その後中国で何をしていたのだろう。しかし何故、父親に付いた妹は、母親方の苗字である『未崎』の苗字を名乗っているのだろう……一美の心に様々な思惑が交錯した。

『父親が死んだか……………。』

 その事実は、一美に何の感情の変化ももたらさなかった。父親同様、母親も、この日本の病室の一室で永遠の眠りを迎えていた。母親は死ぬまで幸せであったはずだ、彼女の幸せのために、一美は多大なる努力と犠牲を払ってきた。今になって冷静に精神分析を行えば、それは父親に対する『憎しみ』の裏返しに他ならないのだが。『父さんを恨んじゃ駄目よ。』母親が病床で一美に告げた最後の言葉、母親が再婚もせず最期に告げた最大の謎掛け、今だ解く事は出来ない。今日、妹麗美がこの屋敷へとやって来る。自分が呼んだのだ。最期の謎掛けのヒントを得るために。果たして、妹は如何なる顔でこの屋敷に現れるだろうか。
 一美は近代設備の頂点を極めた豪華なコンピュータルームの一室の窓から、中世のヨーロッパ王朝の庭を連想させる広大な敷地を一瞥した。彼の職業はゲームデザイナーである。しかし、その屋敷は、ゲームデザイナーが住むには余りにも絢爛豪華を極めていた。その財源は一体何処から来るのだろう……。

『母親と自分に対する敵対心か? それとも、みすばらしいまでの狼狽心か?……何れにしても、余り心地良いものではあるまい。』

 インターホンのベルがなった。玄関に設置された隠しカメラが、大きなトランクケースを抱えた一人の少女を映し出す。一美はゆっくりと席を立った。

 

  Beat 3 《Sweet Lil.Devil》

 それは予測し難い出来事だった。一美がロココ調の豪華な玄関の扉を開けた途端、少女は一美に抱きついてきた。

『お兄ちゃんお久し振り! ずいぷん身長延びたね。子供の頃、私の方が高かったのにね』

麗美の可愛らしい唇から、眩しいばかりの笑顔がこぼれた。妹の予想外の行為によって、一美が早朝から用意しておいた冷徹な会話シミュレーションのシナリオは、紅蓮の炎を上げて燃え始めた。ほのかな甘い香り(恐らく中国産の安い香水か?)、ふくよかな胸の感触、躍動する妹の肉体だけが、『時の流れ』を一美に感じさせた。あれから何年の月日が流れたのだろう……。二つに別れた未来は、今ここで再び一つに繋がったのだ。
 憎しみ・敵対心・猜疑心……人の心は腐敗し、長きに渡って膿もつ。しかし、一美にその様なものはもはや一かけらも残されていなかった。人の腐敗心を全て焼き尽くす『聖なる炎』、それが未崎一美の妹、未崎麗美だった。そして一美は、長年に渡って解き明かす事の出来なかった最大の謎が解けた。叡智によって固められた謎掛けを解く氷の方程式が、麗美の炎によって溶かされて行く。答えは至極単純だった。母親は、離婚した後も父親の事を『愛して』いたのだ。
 氷と炎は、ここで再び合間見えた。

 

  Beat 4 《春》

 春、桜舞い散る春、卸したての制服に身と包んだ新入生達が、自分達が通う新しき学舎に向かって坂道を上がって行く。ある者は期待に身を震わせ、あるものは友達と雑談しながら、ある者はこれと言った感慨もなく……。そんな集団の中に、未崎一美の妹、未崎麗美はいた。日本の入学制度は非常に厳しい。しかし、如何なる魔法を用いてか、未崎麗美はいともた易くこの蟠桃(はんとう)学園への入学を許された。もちろん、裏で一美の『特殊工作』が行使された事は明白の事実だった。一美の手に掛かれば、超一流のエリート校にだって妹を入学させる事などた易い事だ。沢山生徒がいる高校の方が、いっばいお友達が出来るからいいな☆という妹の希望で、ここ東京の中でも最大の規模を誇る巨大学園、蟠桃学園を選んだ。総生徒数55000人。学園を取り巻く街自体が、一つの学園都市を形成してる。この蟠桃学園を上回る巨大学園は、宇津帆島に存在すると言われる蓬莱学園くらいのものだ。日本でも屈指の巨大学園なのである。
 それにしても、今朝、この蟠桃学園の学園長と名乗るハゲたおじさんが、屋敷の前まで漆黒の高級エレカで麗美を迎えに来た時はピックリだった。一体、兄一美は、学園長にどのような『お願い』をしたのだろう。学園長の出迎えを断わって、麗美は歩いてここまでやって来た。
 見渡す限りの人並み。パレットにぷちまけられた無数の絵具。混沌の胎動。熱気の渦巻く坂道を、麗美はしっかりとした足取りで上っていった。

 

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