このサイトについて



 Leaful the Met (リーフル・ザ・メット)は企画サークルリプロの情報交換を目的に古葉竜史(こばたつし)が運営を始めたホームページです。('98年3月開設)
 かつてはイラスト・ダイアリーを中心に更新しておりましたが、何か(伺か)を始めたことからニュースサイトに通うようになり、そのうち憧れとともにニュースサイトを真似したスタイル(ネットでみつけた記事に対してリンクをはって評論を羅列する形式)をとるようになりました。アニメの話やゲームの話をやたら持ち出しますが、古葉本人はプロ野球好きであり、これでも外向きには「プロ野球創作系サイト」として紹介しているのでたまには野球イラストとかも描いたりしていました。
 就職を機に上京。ネットでの人脈に頼り、同人活動や野球観戦を通して多くの方々とお話をさせていただきました。最盛期には大手ニュースサイトに巡回先としてマーキングいただいた縁もあって一晩に数千というアクセスをいただいたこともありました。
 その後、仕事量の増加による時間的制約や、リアルでの友人関係とのつきあいにより当サイトの更新機会も疎らになって2008年以降は更新もほぼ停止状態で現在に至ります。
 今後もおそらく日記がメインでの更新になるかとは思いますが、明確なビジョンがあるわけでもなし、更新頻度を維持できる自信もなし。どういったページになっていくかはまったくもって不明でございます。

 (2011年1月更新)




 なお、Leafulとは古葉の「葉」や、ゲーム「瑠璃色の雪」に登場した園村双葉・若葉姉妹の「葉」からとったleaf。それに「満ち溢れた」という意味をもつ接尾詞-ulをつけた造語です。
 よく、ソフトメーカーの「Leaf」と混同されることがあるようですが、特に関係はありません。


 リーフルでは主に、プロ野球アニメゲームマンガ2chニコニコ新潟・神奈川など地域情報のネタを扱います。
 更新が頻繁だった時期の名残で「情報サイトへのリンク」と「日記」を交互に書くスタイルをとっていますが、これはもともと古葉がニュースサイトなどから得た「ネタになるような話題を友人へふるため」に始めた行為であり、速報性はありませんのでご注意ください。さらに、ほとんどが自らソースを得ておりません。


 また、日記ログなどは割と長いことためてきてしまいメインサーバーだけでは容量が足りなくなってしまいましたので、マルチサーバで運営しています。
 トップページやダイアリー関連のファイルは個人的に入会しているBIGLOBEサーバで扱っていますが、それ以外のコンテンツは無料レンタルサーバなどにファイルを分散させています。ときどきサーバの移転や閉鎖などでリンクが切れることもありますので、各ファイルに直接リンクをされる場合はその点に注意されるようお願いします。












管理者について


プロフィール
ハンドル: 古葉竜史 / Tatsushi Koba
生来: 1979年7月24日生 男性
出生地: 愛媛県松山市 ( '79/7 〜 '86/3 )
出身地: 新潟県新潟市 ( '86/4 〜 '02/3 )
就職後居住地: 神奈川県川崎市 ( '02/4 〜 '09/3 )
結婚後居住地: 神奈川県大和市 ( '09/3 〜 '10/6 )
マイホーム購入: 神奈川県海老名市 ( '10/7 〜   )
家族: 妻、猫(メス)
仕事: ITサービス業のエンジニア(非SE)
性格: 悲観主義で消極的
身体: 近視、冷え性、汗っかき、概ね健康
趣味: 旅行、ネット、入浴、耳かき、ゲーム
購読紙: 神奈川新聞
イメージカラー: オレンジレッド #ff4500


フェイバリット
声優(兼歌手) 笠原弘子、坂本真綾、西口有香
(最近はどれもほぼ聴く機会もなくなってしまったが…)
歌手 ASIAN KUNG-FU GENERATION、いきものがかり、初音ミク(ぇー
(その時どきでよく聴く歌手がコロコロ変わるのでアテにならん)
作曲家 川井憲次、菅野よう子、濱田智之
漫画家 曽田正人、ゆうきまさみ、小坂俊史、こうの史代
アニメーション 機動警察パトレイバー、アベノ橋魔法★商店街、ストラトス・フォー、
茄子 アンダルシアの夏
映画 FOR LOVE OF THE GAME、THE SOUND OF MUSIC
コミックス 機動警察パトレイバー(ゆうきまさみ)、究極超人あ〜る(ゆうきまさみ)、
球道くん(水島新司)、シャカリキ!(曽田正人)
ゲーム センチメンタルグラフティ for Windows 、
高機動幻想 ガンパレードマーチ、
プロ野球スピリッツ(シリーズ)
萌えキャラ 七瀬優(センチメンタルグラフティ)、さくら&うにゅう(伺か)、
佐々木さん(シスタープリンセス)、向日塔子(ストラトス・フォー)
TV番組 ゲームセンターCX(フジテレビ721)



 1979年、7月に愛媛県松山市にて出生。
 オープン戦などで広島カープがたびたび松山市を訪れていたことで幼少時になんとなくカープを認識する。

 1986年、4月に父の転勤のため新潟県新潟市へ転出。
 小学校低学年からテレビでプロ野球を観戦するようになる。
 当初は読売ジャイアンツもひいきしていたが、広島カープとの試合中継で放送内容の不公平性に気づき、やがて嫌いになる。
 小学校中学年から放課後は野球かファミコンの生活。
 水島新司「ドカベン」「大甲子園」を読むようになってハマる。
 小学校4年生のときにたまたま母と映画「機動警察パトレイバー」を鑑賞する。このときはストーリーさっぱり理解せず。
 同年、「機動警察パトレイバー」のテレビシリーズが開始。SFとリアルがマッチした世界観に魅了されて毎週視聴。このとき後期OP「コンディション・グリーン」を大いに気に入る。
 小学校高学年で野球部に所属。
 このあたりで、はたやまハッチ(やくみつる)を中心とするプロ野球パロディのマンガに関心を持ち始める。同じころ「まんがパロ野球ニュース」誌でたかみね駆が、「まんがスポーツ」誌でみずしな孝之がデビュー。
 小学校6年生のときに小林幹英を擁する新潟明訓高校が初めて甲子園に出場。
 小学校卒業前に遊びに行った友人宅でサンデーコミックスの「機動警察パトレイバー」(ゆうきまさみ作)を目にし、単行本を集めるきっかけになる。
 中学1〜3年生時に嘉門達夫にハマる。ラジオ「嘉門・サイコの爆裂スーパーファンタジー」に本名でのネタ投稿に励み、同級生らと採用数・ウケ具合を競う。
 また、同ラジオ番組に出演していた同じ事務所の所属の鈴木彩子(Saico)、INGRY'S、須賀響子らにも関心をもつ。
 中学3年生時にコミックス版「機動警察パトレイバー」完結。同作者の「究極超人あ〜る」も読破。
 友人に「あ〜る」のOVAを紹介され、レンタルで視聴。ED後の特典映像で声優「笠原弘子」の存在を認識。「あ〜る」の大戸島さんご役の声優であり、主題歌「くちびるにメモリー」と前述「コンディション・グリーン」の歌手であることを知り、声・ルックスともに理想的なタイプであったため「笠原弘子」および「声優」そのものに関心を抱く。
 小さいころから野球選手への夢は抱いていたものの、この時点で体格的にも技術的にも同世代のトップクラスに大きく劣っていたため競技者としての現役続行はあきらめる。運動部から離れ、「オタク」活動への転向となる。しかし趣味としての野球は続けるものとして、左打席の練習を始める。また野球チームから離れたことで、かえって「見る立場」から野球の知識を改めて身につけ始める。
 高校入学後、カメラを購入。1年の夏には自身初めての単独旅行にも出掛け、「あ〜る」OVAに沿った飯田線の旅を決行。
 同年秋、Windows95の日本語版発売に伴い、パソコンを持つ家庭が増加。自身も家庭内で1台のパソコンが買い与えられる。また、このあたりでPC初心者とオタク向けな記事で定評のあった角川書店「コンプティーク」誌を購読し始める。
 同時期、当時としては珍しいかビデオデッキが家に2台あったことで知人からダビング遊びを薦められる。アニメの異なるシーン同士をつなぎ合わせて会話や行動を成立させる遊び、いわゆる「MADムービー」に手を染めるきっかけとなった。
 高校2年の春、坂本真綾が「天空のエスカフローネ」で主役を演じ声優として、また主題歌も担い歌手として飛躍。このころ、ゆうきまさみ作「鉄腕バーディー」のOVA化がおこなわれ、ラジオで出渕裕氏による「ゆうきまさみ文化学院」が放送され毎週チェック。同番組枠で放送されたCMで坂本真綾を知るが興味を持つに至らず。
 一方、当時所属していた漫研で、新潟では放送されていなかった「新世紀エヴァンゲリオン」がブームとなる。レンタルビデオや、放送地域から流れてくる録画ビデオなどを頼りに情報の収集に励みクラブ内や学級の仲間たちとのコミュニケーションツールとして活用された。このあたりで自宅でのインターネット環境が整い、趣味の情報に対する好奇心が一層増してPCやネットの知識を蓄えていくきっかけにもなった。
 高校3年の夏、「THE END OF EVANGELION」公開にてエヴァンゲリオンが完結。ショッキングな終わり方に友人らと日々論議。とても受験生らしくない日々を過ごす。
 この辺で、笠原弘子も所属していた「グループこまどり」の所属タレントのファンクラブである「ラムビション」に入会。会誌上で笠原弘子がでプッシュしていた後輩・坂本真綾に関心を抱く。その後、彼女の1stアルバム「グレープフルーツ」を購入して歌とジャケット写真を大いに気に入ってファンになる。(同会では同じ事務所に所属する浪川大輔、藤枝成子らも応援の対象になっていた)
 明けて1月、セガ・サターン専用ソフト「センチメンタルグラフティ」が発売される。

 1998年、3月に新潟県立新潟M高校を卒業。
 大学1年の春。プリンスホテルから広島カープに入団した小林幹英が開幕戦で勝利投手になったとの報をラジオで知る。その後もシーズン通して活躍し、話題の人となる。
 同年5月、長野県での坂本真綾イベントに参加。声優に関係するイベントとしては笠原弘子よりも先に行ってしまったが、ここで初めて坂本真綾と接触の機会があって感激する。同じイベントにはかつて読売巨人軍のアイドルでもあった定岡正二の姿もあったが、このときすでにダメオヤジタレントとしてのキャラが定着しておりイベントに参加したファンらには煙たがられた。
 同年夏、小林幹英の活躍に触発され初めて単独で広島に旅行。
 旅行後、コンプティーク誌で体験版として同梱されたWindows版「センチメンタルグラフティ」をプレー。先だって旅をした広島の風景などが登場していて興奮。ゲームシステムが気に入り製品版を購入。このあと、同ゲームの小説版を購入して読んだところその内容に熱中する。俗に言う「せつなさ炸裂」である。
 「センチメンタルグラフティ」に対するのめり込みは半端ではなく、メディアミックスによる戦略にまんまとのせられて関連書籍やCDを買い漁るハメになる。(それでも大半は中古でしのいだ)
 同年秋。広島に1位指名確実と思われた近畿大の二岡智宏がドラフト直前で読売を逆指名し、そのまま2位で指名を受ける。広島は急遽、敦賀気比高の東出輝裕を1位指名。このとき、広島ファン内で「二岡許すまじ」「東出頼むぞ」の風潮が強く発生した。
 また、このころ「まんがパロ野球ニュース」から誌名が変更された「スポコミ」等で執筆していた漫画家・小坂俊史のマンガを気に入る。スポコミはそのあと間もなく休刊となってしまうが、小坂俊史作品については後継の「まんがくらぶオリジナル」や単行本で読み続けることとなり、結果的には憧れの漫画家のひとりという位置づけになる。
 大学2年の春。関西の友人に招かれ、大阪ドームで近鉄−広島のオープン戦を観戦。このとき、広島カープの新人でありながら1軍に帯同していた森笠繁に関心を持つ。俊足巧打の外野手でまた線が細く、入団当時の風貌ではあまり大きな活躍は望まれない姿を個人的に気に入り、思い入れの強い選手として扱い始める。
 同年夏。改めて関西および広島を旅行。青春18きっぷを利用し、5日間で6球場をまわって一軍公式戦だけでなくウエスタンリーグ、高校野球まで観戦してくる。このとき、藤井寺球場で伊与田、森笠のサインを獲得。近鉄あべの橋駅でミンチーとの握手にも成功。広島では比治山公園の展望台でペルセウス座流星群に合わせた星空の元で野宿するなど、センチメンタルグラフティのイベント現場の回収にも励む。
 同時期、高校時代の旧友たちがガタケット(新潟の同人誌即売会)で出展し続けていることに「自分も売り側に回りたい」との思いが強くなり、プロ野球とセンチメンタルグラフティを融合させた「ギャルゲー+野球」という買い手を選ぶジャンルで、個人的に初めて同人誌即売会に出展する。このとき、無料コピー誌で「西へ東出」の原案となるパロディ野球マンガを描く。
 同年冬。新潟市で小林幹英後援会が発足。第1回のパーティーには同僚の東出輝裕、横山竜士もゲストとして登場。自身ももちろん後援会に入会してパーティーに参加。東出から初年度の背番号にてサインを獲得し、個人的家宝に認定。
 大学3年の春。初めて「西へ東出」単独で同人誌を作成し、ガタケットに出展。その後も定期的に描き続ける。
 同年夏。坂本真綾が渋谷で初ライブ。ファンクラブ会員優先権でチケットを入手して参加。歴史的なイベントにいられたことを今でも幸運と思う。
 同年秋。プレイステーション専用ソフト「高機動幻想ガンパレード・マーチ」が発売。友人の勧めでプレーを始めてから止まらなくなる。この一本で大学卒業前まで遊び続ける。この間は同人活動として「野球」「ガンパレ」を行ったり来たりする。
 大学4年の夏。ネットでじわじわ広がりを見せていた「何か」に関心を持ち、オリジナルキャラクター「香鯉(かおり)」にて「野球ネタ」に特化したゴーストの作成に取り掛かる。当サイトで公開後、それなりの反響をいただく。「何か」に好意的であった「ネットランナー」誌からも付録としての「香鯉」掲載オファーをいただくが「すらいりー」のキャラクター権利の確認がとられず、見送られる。
 同年秋、コナミよりPS2専用リアル系プロ野球ゲーム「プロ野球JAPAN2001」が発売され即購入。期待通りの面白さで4、5ヶ月の間に2周遊ぶ。パワプロシリーズのようなデフォルメキャラは趣味ではなかったため、リアル系は待望だったのである。
 年末、再び開催された小林幹英後援会のパーティーにて催されたクイズ大会に優勝。このときプレゼントとして贈られた公式戦使用済み・サイン入りユニフォームは現在の古葉家においても最高に価値のある家宝として保管されている。

 2002年、3月に新潟K情報大学を卒業。
 川崎市に引越し、4月に横浜市内の某企業に入社。その後すぐ親会社の方へ回され、東京都府中市、東京都港区へと勤務先が変わる。
 かねてから製作のうわさのあった劇場版パトレイバー第3作(WXIII)が全国で上映された。横浜市と新宿区で、2度鑑賞した。
 初めてテレビ東京とテレビ神奈川(tvk)が映る地域での生活であったため、アニメ視聴がもっぱらの生活スタイルになる。このころ、パトレイバーが表紙を飾った号から「Newtype」誌を読み始めるようになり、放送アニメの情報をキャッチするようになる。'02年春の段階で「.hack//SIGN」(脚本:伊藤和典)や「ラーゼフォン」(監督:出渕裕)などパトレイバーに関わった人物の手がけるアニメ作品が放送される中、「アベノ橋魔法☆商店街」では第8話で描かれたギャルゲーパロディが話題となったことで遅まきながらチェックをおこない、再放送から改めて見始めるがジワジワとくるバックストーリーを気に入ってしまう。
 また、多くのアニメ素材を手に入れていたことでMADムービーの作成にも力が入るが、VHSでの編集は非効率的であり、友人からビデオをPCデータ(デジタル)で保存することを薦めらるようになり。今度はビデオキャプチャに手を染めていく。
 一方、日常的に野球場でプロ野球観戦ができる環境ともなっていたため、神宮球場、横浜スタジアム、東京ドームで広島カープの試合があるときはたびたび観に行くようにはしていた。
 同年秋、アニメ「ハッピーレッスン」のビデオをチェックしていたところ、「ガンパレードマーチ」のキャラクターに似せたモブが登場していることを見つけて当サイトでネタにしたところ、大手ニュースサイトに取り上げられて大反響。「香鯉」公開時をはるかに上回る期間アクセス数を残した。(ひと晩5,000件くらい)
 同年11月、都内ホテルで在京カープファン同士による忘年会がおこなわれる。このとき、2次会で飲みに行ったメンバーでその後の観戦グループが形成される。

 2003年1月、アニメ「ストラトス・フォー」が放送開始。キャラクターデザインの軽さと、自然現象による地球の危機というテーマ性、アメリカのSF映画をイメージした壮大な音楽等々が個人的なセンスを刺激してお気に入り作品にのし上がる。その後、消化不良といわれたOVAでの最終話完結までリアルタイムで付き合うことになる。
 同年春、渋谷にて「ラムビション」解散イベント。笠原弘子、坂本真綾をファンクラブの会員として応援する立場からは退くことにする。
 同年夏、自転車レースをテーマにした中篇映画「茄子 アンダルシアの夏」が、主役声優に大泉洋を起用して公開される。自転車という題材が古くからアニメ業界では避けられていたという生半可な知識も持っていたことが逆に関心を抱き、劇場にて鑑賞。「仕事も女も失うことになった男が、土壇場で大仕事」という展開は大好きであり、内容に満足。その後、DVDやサントラ、続編となるOVAなども入手することになる。
 同時期、イチローを放出したあとのオリックスブルーウェーブ並びにパ・リーグおいて集客力の低下は著しく、これを球界存続の不安要素とする意見が相次いだ。これを受けてか、にちゃんねらーの力で球団屈指の不人気カード「オリックス×日本ハム」を満員にしようという企画が一部のファンの間で提案され、実行される。運良く、東京ドーム開催のその日の都合がついたことでなんとか参加。試合後の反省会にて、当時ネットで人気を博していたプロ野球系評論サイトの管理人さん数名と知り合うことができた。ここで知り合った管理人さんたちとはその後も数回、お酒を飲む機会に同席させてもらい、また広島カープ・松本高明選手の実家である焼肉店「悠悠宴」を紹介してもらうことにもつながっていった。
 同年11月、サッカー・アルビレックス新潟がJ2最終節で勝利し、J2優勝とJ1への昇格を決める。故郷・新潟では猛烈な祝福ムードで沸いたらしい。

 2004年4月、ついにCS放送(スカパー)導入。アニメチャンネルとプロ野球パックを同時に契約してますます難儀な生活状態を迎える。同時にハードディスクDVDレコーダーも購入したことでビデオのデジタル化が飛躍的に簡単に、そして高品質でできるようになった。
 また同じころ、コナミから「プロ野球JAPAN2001」、「THE BASEBALL 2002 バトルボールパーク宣言」、「THE BASEBALL 2003 バトルボールパーク宣言 パーフェクトプレープロ野球」と系譜をたどったリアル系プロ野球シリーズよりブランドを確立する「プロ野球スピリッツ」シリーズの第一作「プロ野球スピリッツ 2004」が発売され、即購入。相変わらずコナミのリアルプロ野球ゲームがハイクオリティであったため個人的に大絶賛。
 「茄子 アンダルシアの夏」を鑑賞したことと、スポーツチャンネルが見られるようになったことを機に、ジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスなど自転車レースも少しずつ見るようにもなる。
 同年6月、オリックスと近鉄の間で球団合併計画が明るみになる。球界再編案では広島カープの消滅も噂されるが、それ以上にパ・リーグの名門である両球団の統合がショッキングであり不安な日々をすごしつつ経過を見守る。8月には合併に反対するデモにも参加。9月には観戦予定であった横浜×広島(横浜)が選手会のストライキ実行日になって中止となったりもした。

 2005年3月。プロ野球改革元年。自身2年ぶりに、そして首都圏では初参加となる同人誌即売会に出展。オンリージャンルイベント(このときは「野球」全般のイベント)への参加も初めてで、ついでに生涯初のオフセットで刷った「西へ東出 '03 '04 咆哮編」を発売。
 またこのシーズンから新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスがパ・リーグに参加。千葉ロッテとの開幕戦を千葉マリンスタジアムで観戦。岩隈の完投勝利による歴史的勝利の瞬間に立ち会う。その翌週は東京ドームでのセ・リーグ開幕節、読売×広島の三連戦をすべて観戦。広島の三連勝という一生涯記憶に残るであろうフロックを目の当たりにして猛烈に感動する。
 同年5月。プロ野球公式戦にてついに交流戦が開催される。湾岸シリーズと謳われた横浜×千葉ロッテ戦をはじめ、ロッテが対G戦アウェイ三連勝を達成する読売×千葉ロッテ戦を観戦するなど千葉ロッテマリーンズ旋風を間近で目にしていく。結果、交流戦で優勝した千葉ロッテはレギュラーシーズンこそ2位で終わるもののプレーオフを制してパ・リーグを優勝。その後日本シリーズ、アジアシリーズを制してこの年の話題を独占する。ロッテのパ・プレーオフ制覇時には残業中の私の携帯電話に多数の祝福メールが送られてきた。
 同年8月。3度目の応募にて初めてコミケットの参加ブースを得る。春先の即売会から「西へ東出 '05夏 焦燥編」と「総集編」を新たに持ち込み、販売。プロ野球というジャンルにおいては男性作家の参加はあまりなかったらしく、ジャンルの利があったのかある程度の居場所を確立。以降、2009年夏まで年に1回または2回ともコミケに出展することができた。
 また、このころからCS放送で視聴を開始していた「ゲームセンターCX」がお気に入りになる。決定的だったのは第4シーズンにおいて放送された「高橋名人の冒険島」の回であり、あまりの難しさからクリアまでステージ数を大きく残してリタイアした有野課長に対し、番組ADが徹夜を繰り返してクリアするという展開に大ウケ。友人にも視聴を薦めるきっかけとなった。
 同年オフ。広島から戦力外通告を受けた小林幹英が現役を引退。これに伴って後援会も解散。

 2006年。このあたりからマラソン活動を開始。まずは10kmを1時間前後で走りきるのがやっとの段階。
 同年春、アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」が放送される。友人から録画を依頼されていたため自分でも見ていたが、そこそこ気に入って毎週チェック。
 同年夏、曽田正人の連載デビュー作「シャカリキ!」の文庫版が小学館から発売される。思いっきり感化された挙句、翌年にロードレーサーを購入。

 2007年4月、初めてマラソン20kmの大会にエントリー。2時間以内での完走に成功し、1年間あまりのトレーニング成果を実感。
 同年5月、漫画家こうの史代さんの作品を読み始める。集中的にハマる。
 同年10月、新潟の大会にて初めてフルマラソンにエントリー。5時間という制限時間の中、4時間40分で完走。10kmがやっとのジョギング生活からおよそ2年、ついにフルマラソンを走り切るというひとつの目標を達成した。また同日、急いで東京に戻りヤクルト・古田敦也の引退試合を観戦するというハードスケジュールを敢行。広島カープの同シーズン最終戦ということもあって試合後は仲間同士で飲みに行ったりもしたので非常に長い一日となってしまった。
 さらにこの年、クリプトン・フューチャー・メディアから発売された「初音ミク」がネットで普及の進んでいた動画サイトを通じて一気にブレイク。自ら作り手になることはなかったが、聞き手としてのめりこみ、ネットサーフの時間を大量に割くようになる。個人的に動画サイトへの出入りが増えたことでテレビアニメを視聴する機会が徐々に減っていった。

 2008年3月、Leaful the Met 開設10年目を迎える年に開設時の目標であった50万アクセスを達成。
 同年5月、野球ファン仲間らとともに広島市民球場(当時)の観戦旅行に出かけ、個人的に同球場での最後の観戦機会をすごした。
 同年9月、最終戦を広島の勝利で飾った旧広島市民球場は開催されるすべての公式戦日程を終えた。自身は観戦のために旅に出ることもなく、自宅のテレビの前でセレモニーを見守った。
 この年、マラソンや自転車は健康増進を目的に続けるが、同時に同人誌の作成、プロスピなどのゲームを進めていた関係もあって当サイトの更新頻度やアニメ鑑賞の機会が大幅に減っていく。

 2009年3月、就職以来7年間住み続けていた神奈川県川崎市多摩区登戸の町から転居。神奈川県大和市に転入する。
 同年4月、新広島市民球場ことMAZDA ZOOM-ZOOM スタジアム広島が開設される。オープニングゲームをやはりファン仲間らとともに観戦に行く。
 そしてこの月、神奈川県海老名市出身の女性と結婚。新横浜グレイスホテルにて挙式、披露宴をとり行った。
 同年6月、5月に生まれたばかりという猫を譲り受け、飼い始める。
 同年7月、新潟県に待望の県立野球場「ハードオフエコスタジアム新潟」が完成。こちらもオープニングゲームが広島戦となったため、迷わずチケットを獲得して休暇をとり、観戦に行く。
 同年8月、夏の高校野球、甲子園大会決勝で新潟県代表・日本文理高校があと一歩のところで敗戦し準優勝。新球場開設の話題性もあって、野球不毛の土地とされていた新潟県への野球に対する見方が客観的に変わってきたことを実感する。
 同年10月、結婚後初めてエントリーしたあつぎマラソン(ハーフ)にて故障発生。マラソンで初のリタイアを経験。診断結果は軽い肉離れ。
 ぎりぎり大会前にドクターのOKが出て参加した翌月の川崎国際ハーフマラソン、さらに12月の秦野丹沢水無川マラソン(ハーフ)でなんとか完走はするが完全な調整不足でタイムは伸びず。また、故障以降は常に足の痙攣を気にしながら走ることになってしまい、到底自己記録が出せる状態ではなくなってしまった。

 2010年3月、愛知県犬山市への出張とプロ野球開幕が重なったのをいいことに、仕事を終えたあとそのままナゴヤドームにて試合観戦。前田健太の開幕戦先発勝利を見届ける。中日の前本拠地であるナゴヤ球場には修学旅行でウエスタンリーグ戦開催時に行っていたが、ナゴヤドームでの観戦は初めてのことでありセ・リーグ本拠地球場をようやくすべて回ったことになる。
 同年4月、8年間におよぶ親会社への派遣期間が終了し、新横浜の自社に異動となる。が、戻ったところで特に仕事がなかったため、すぐ燻る。
 同年6月。かねてから強い持ち家有意論を主張する妻に嫌気がさし、ついカッとなって海老名市内の中古住宅を購入。大和市在住わずか1年余りでの転出。
 同年7月。住民票、本籍とも海老名市に移す。
 同年10月、コースがリニューアルされて2年ぶりにフルマラソンが開催され、呼称も一新された新潟シティマラソンにエントリー。しかし両足を痙攣し30km地点で時間切れリタイア。

 現在に至る。

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