ギャルゲーのシステムについて

01/02/05 文学的ギャルゲーと数学的ギャルゲー

 こんなテーマだと、また一般の閲覧者には引かれるかも知らんが。
まあ、いまさら一般者もこんなサイトの日記なんて読まねーさな。


 ギャルゲーのジャンルやシステムを大きく区分してみる。
「文学的ギャルゲー」と「数学的ギャルゲー」である。「中間」も有り。

ただし、「恋愛要素」が最優先なギャルゲー(またはエロゲー)に限る。
ワールドツアーコンダクターやガンパレードマーチはあてはまらない。
しかしアドベンチャー形式のゲームに表現しやすい。




文学的ギャルゲーとは、シナリオの展開に重点を置いた作品を指す。代表的なのは
おそらく東鳩。(つっても俺はやっていないけどな)エロゲーに特に多いが、
コンシューマでもFKSはそれに該当する。

特徴としては、ほとんど「マルチノベル形式」だということ。日付ごとにプレイヤーがあらかじめ
用意された移動場所を選択し、移動先で会った人と話をすることでシナリオが進むという
ケースが基本となる。

一日に会える人の数が制限されているため、制限期日内にクリアするためには意中の
キャラをあらかじめ決めてそのキャラが頻出するエリアに毎日通い続けなければならない。

このシステムでは「同時攻略」という、人間として歓迎されない行為をハナっから否定して
いるため多くのプレイヤーに好まれている。一周が短時間で終わるので何度でも繰り返し
遊べる場合が多い。




数学的ギャルゲーとは、シナリオ展開以外にもプレイヤーに駆け引きを要求する作品の
ことを指す。代表的なのはときめきメモリアル、そしてセンチメンタルグラフティ。

特徴としては「シミュレーション性が存在する」こと。例えば所持金、体力や魅力などの
個人パラメーター、女の子との愛情値などといった数値化されたデータをプレイヤーが
行動をとる際参考とすることになる。

ただし、パラメーターが多いとゲーム性が向上する一方でプレイヤーが面倒を感じるので
その調整が必要である。もしもときメモで「所持金」の概念があったりしたら、さほど人気も
出なかったのではないだろうか。

このシステムでは割と複数の女性とつきあわねばならないという作品が目立つ。
そのためワンプレイが長いので、何名かの女性キャラとエンドを迎えられるフラグを
立てながら、ラスト近くでセーブしてロードを繰り返し調整してから個々のエンディングを
見ようとするプレーが通例となる。




 ユーザーの性格によってどちらのシステムタイプが好きかという意見は分かれるのでは
なかろうか。古葉竜史は女性キャラを同時攻略するのは好きではないが、いたって
「数学的ギャルゲー」派である。

この手のゲームでは特定の女性とのイベントを発生させたり、エンドを迎えるために必要と
なる条件、つまりフラグを覚えることが大変なのだが逆に覚えてしまうと、あとはその条件を
満たすために行動すればなんとかなるのだ。そのときの過程がゲームとしては非常に
楽しい物だったりする。


「お友達から始めましょう」というのがギャルゲーをプレーするとき私のモットーとなる。
古葉は過去に恋人などを持たないながら、友達程度のつきあいが続く女性はそれなりにいる。
(注:全然いない奴に比べて)

初めて会ったときに「この女性と恋仲になるかもしれない」などと思ったりしないことが影響して
いるのかわからんが、ギャルゲーの場合は女性と会ったとき必ず「この女性と恋仲になる
可能性がある」とわかるのだ。

だから会ったばかりでしかない女性相手に対し、移動機会があるたびに足を運んで話をしに
行くような「文学的ギャルゲー」は初めからプレイヤーがあからさまな
下心を用意していないとクリアできない
ので好きではない
のだ。

では、「数学的ギャルゲー」はどうか?例にも挙げたときメモやセンチを用いると表現し易い。
これらは一度に複数の女性とつきあうことをシステム上強要しているのである。

大概、ギャルゲーのベストエンディングというのはヒロイン側かあるいはプレイヤーの方から
相手に告白し、恋人になるというものが普通である。

つまりゲーム中は恋人関係ではないのだ。
(エロゲーの場合恋人関係無しに肉体関係へ発展するので説明し難い)

にも関わらず、同時攻略を嫌ってひとりの女性のもとに通い続ける
ギャルゲーマー。
テメェの方がよっぽどやらしいんだよ!
いっぺん氏ね!



 古葉竜史が「センチメンタルグラフティ」を強く推すところにはそういう理由がある。





01/02/06 センチメンタルグラフティの楽しみ方
※今回はセンチについてしか書かないので興味無い人は飛ばすべし

 センチメンタルグラフティ(SS版発売後)は全12名の女性キャラと会わねばベストエンドを
迎えられなかったことから12股、12股と各ユーザーに罵られた作品だが、私に言わせれば
主人公には目的があって12名と会うのだから何も問題は無いではないかと納得していた。

目的とは何か?プロローグにあった、差し出し人不明の手紙を投函した本人をつきとめ、
必要とされることの手助けをしてやることである。別にその娘と恋愛関係になることまでは
初期の目的にされていない
のである。

 センチに登場するヒロイン12名はそれぞれ日本各地の12都市に散らばっているが、
義務教育期間中に転校を繰り返しまくった主人公と一度会っており、数々の想い出を
築いたあとで悲劇的な別れをしている。この12名は主人公との別れがトラウマとなり、
高校三年生となっても己の殻を破ることができずに伸び悩んでいる。そこで主人公と
再会することに転機を求めるが、ようやく掴んだ主人公の現在の住処を訪ねるも留守。

しかたなく置手紙を残してその場を去るが、「主人公なら気付いてくれる」「主人公に気を
つかわせたくない」などといった自分勝手な理由により自分の名を書き残さなかった。
本来12通あるはずの手紙はゲーム中は一通しか存在せず、主人公はその一名を探し
全国を巡るのである。

だが事態は(大倉らいたシナリオにおける)主人公が思うよりも深刻だった。
ひとり、またひとりの少女と会うたびに「…へ遊びに逝こう」と誘われたり
「あのときは、こんなことがあったね」と話をふっかけられて差し出し人がいつまで
経っても特定できない。ゲームも後半となると「主人公と別れてとても辛かった」とか
「おかげで今はこれで悩んでいる」などと主人公を悪者にし、ヒロインが今悩んでいる
ことを主人公にアシストさせ解決の方向に向かわせようとするのである。

ひとりのヒロインに対して過去の記憶を全て振り返らせ、そのヒロインが現在進行で
抱いている問題を解決させてやることがベストエンドの条件となるのだが、最終的に
誰と結ばれるかはプレイヤーの任意になる。(サターン版未確認)
補足:差し出し人は結果論としてベストエンドを迎えたヒロインのことである

「同時攻略」と呼ばれるゲームで「最後にひとりを選ぶ」ということは
「他の女性キャラを棄てる」という意味になるのであまり歓迎されない。
補足:「ときメモ」は必ず相手から告白するし、調整しても誤爆(狙ってもいない娘を
墜としてしまう)してしまうケースが多いため、あまりプレイヤーからの罪悪感は無い


が、センチの場合ベストエンドのフラグを満たしたキャラに関しては本人の悩みを
解決させた時点で義理は果たしている
のだ。恋仲になる必要は無い。
(↑これで主人公に恋心を抱いてしまうのだが)

フラグを満たせなかったキャラに関しては主人公をあくまで友人として
とらえているため、これはこれで恋愛感情抜きの話となる。(多分)



 ストーリーから考えられるシステム面の心理的な解釈は上記の通り。これでシステムを
受け入れられると、中身の方を楽しむことができる。実際に主人公のスケジュール管理、
旅費の工面・バイト、体力の調整、そういったところで駆け引きや戦力が試されこれが
ゲームであることを確認させられる戦略や駆け引きと言えばバンダイより発売されて
いるネクストキングというソフトも、プレイヤーの判断に委ねられるシーンが多く存在する
ため、長期間にわたって楽しむことのできるゲームだった。




 なお、私が気に入っている「センチメンタルグラフティ for Windows」の話を、
他のセンチファン(サターン版プレイヤー)としたとき、大概の人が

「オンリープレイ(ひとりのキャラとだけ会ってシナリオを進めること)
 できるんですね、それはいいなあ。」


と反応を返してくる。Windows版ではサターン版で不評だった「12名、全員と
再会せねばベストエンドを見られない」という条件を削除してしまっている
のだ。

だがそれは

「全員と再会しなくてもベストエンドは見られるようにする」

ためであって、

「ひとりと付き合うだけでベストエンドを見られるにする」

ためのシステム変更ではない。



多くのセンチファンはここを勘違いしていた。

同時に複数の女性とシナリオを進めることを外道とし、
ひとりの女の子と会い続けることでベストクリアを目指す。


それはどういうことか?

手紙の差し出し人を最初からひとりに決めつけ、
他11名の欠けた心を補完するという義務を無視し
その娘を我が物にしようとする、


12股と呼ばれる以上に非難されるべき根性だ

と、私は思う。

(なんか主旨がどっか逝っちゃったなあ)





BACK