妄想ぶっちぎりの長文 情報受信者の姿勢
2003/01/27


 一応、学生時代は「情報大学」と名のつくところに在籍していた以上
マスメディアについてはもっと学習するべきだったのだが、そういう
環境に実際いるうちにはなぜかやる気がおきない天邪鬼だった。



 日本国内で考えれば最も影響力のあるメディアはテレビだと思う。
その次は新聞だろうか。しかし完全儲け主義の報道各機関は純粋な情報を
報道するよりも、大衆の同調を得られるように加工した情報を流したがる。
報道機関にとっては顧客を得て広告費を稼ぐことが優先的な目的で、少数の
人々が抱く印象や不利益をこうむる人の立場を考えない問題がその背景にある。
 大衆は自分に都合のいい情報が流れると喜ぶ。そして都合の悪い情報は
見ない。従ってお金を払っているスポンサーは大衆にとって都合の悪い
情報を流させるわけにはいかないし、報道機関もそれを心得ている。
 長い物に巻かれなければ生きていけない日本人の性質が直らない限りは
この国の性質も永遠に変わらないだろう。

 これらの性質を変えるには、影響力を持つ正義の報道機関が現れるか、
影響力を持つ正義の人物が現れるか、国民全体が自身の情報処理過程を
見直すか、なんらかの必要があるだろう。
 ここでいう正義とは、不自然な事態を「おかしい」と指摘できる能力を指す。
また善にも悪にも公平であり、善に一方的なひいきはしないことだ。
(善悪を一方的な価値しか見ないで判断するべきではないということ)

 「裸の王様」の話を持ち出してもわかるとおり、国民は裸の王様を見て
「裸に見えることを指摘してはいけないのではないか」と危惧してしまう。
事実、王様は裸であるのに誰もそれを指摘できない。指摘すると何かを
失ってしまうことを恐れているのだろう。(「馬鹿には見えない服」の存在を
国民が知っている場合は別の理由で黙っていることになってしまうが)

物語は「恐れを知らない」ひとりの子供が王様の裸を指摘することで
やっと大人たちも王様が裸であることに自信を持って指摘を始め結末に至る。

 が、これを現代社会に当てはめたらどうか?王様の裸を指摘した子供は
即座に親から口を封じられ、自分達をにらむ王家の一団に土下座するだろう。
さもなくば、子の親は不敬罪ということでその場で斬って捨てられるはずだ。
家に帰れば親は子に、外出禁止や食事抜きなどの厳しい罰も与えるだろう、
もちろん王家の気分を害するような行為を二度とさせないためである。
 かように、現代社会のメディアは身内に反大勢の意見を唱える者がいたら
その存在を隠してしまう。組織ぐるみでその人の主張をもみ消してしまうのは
汚いと思われるだろうが、彼らにとっては生き残る術なのである。
正義を貫くよりは権力者の気分を損ねないことが
この世で何よりも大事なことなのだ。
 組織全体で大勢に屈しない意志がなければ正義の報道機関はありえない。
しかし大勢に屈しない意志を維持する組織を保たせるのも困難なのが現実だ。
個人的には「影響力を持つ正義の人物」の登場を期待したいところである。



/* 以下、しばらく妄想 */

 影響力のある者といえば、政治関係者、財界人などが思いつくところだが、
私個人が必要だと思うのは「大衆に人気のある人物」である。たとえば、
若者に人気のあるアイドル芸能人、一躍スターになったノーベル賞受賞者、
海外で活躍するプロスポーツ選手などである。
 人気絶頂、CDを出すたびにオリコン上位を確保するアイドル歌手グループが
ゴールデンタイムの生放送で

「読売巨人ってチョーウザいよねえ」

「ナベツネ引っ込めって感じ?」

「応援してる人たちって本当に野球のこと知ってるの?」

「実はあたし、日本ハムの大ファンなの。ラブリーひちょりー」


と、口にしようものなら国中を混乱させることはできるはずだ。

 当然、その放送は中止させられるだろうしマネージャーや放送関係者の
首がすっとぶどころか、プロダクション自体が無くなってしまうだろう。
当のアイドル達自身も信用と仕事を失うことになる。
が、アイドル達は全てを失うだろうか?純粋なファンなら残ると私は思う。
 翌日からそのアイドル達がメディアから姿を消したればファン達が
「なぜ彼女達を出さないのか」と各種メディアに猛抗議すればいい。
あとはその勢力がメディアを上回れば情報の革命はなせる。
元が「大衆支持」の人物ならば状況が異常でもスポンサーがつくと思うし。

/* 妄想終わり */



 結局、現実的に考えるならば国民ひとりひとりが情報に対しての意識を
見直していくしかないのかな。
 テレビや新聞、雑誌記事などを目にしたとき、ただ情報を受け入れるだけでは
なくて、「この話、おかしくないか?」と疑ってみること。
情報を伝える側はなぜ自分がおかしいと思える情報を流してきたのかを
考えることで、メディア側の立場と自分の立場の隔たりを意識すること。
そしてその考えを家族、学校、部活、会社の人たちと話し合うこと。
以上のことが必要なのだと思う。特に自分以外の人と話し合うことは重要。

 少数派意見を持っていると自覚している人は、それゆえに大衆から
疎外されることを恐れ、自分の意見を隠しがちになる。逆に多数派の
意見を持つ人はそれぞれの主張が強くなるから、より多数に見える。
相対的に少数派の意見を持つ人は実際より更に少なく見られてしまう。
これが沈黙のらせん効果と呼ばれる情報操作の仕組みなんだが…。


 幸い、近年ではネットが普及している。ネットがもたらしたもののひとつとして、
少数派意見者同士のコミュニケーションが容易になったことが挙げられる。
ネットの中では少数派意見だからといって縮こまる必要など無いのである。
 野球しか例にとれず恐縮であるが、一定以上の情報色がある野球関係
サイトではアンチ巨人管理者が多い。巨人ファンサイトを探す方が時間を
要しそうである。これには、
1.Gファン系サイトが他のファンサイトから隔離されている
2.Gファンがわざわざ野球のためにサイトを構成しない
3.Gファンが意見、情報をネットに求めるという需要自体が無い
4.Gファンが作成したいと思ってもスキルを得られない

 などの理由が考えられそうである。

1.は非G系サイトの管理者同士が球団の壁を超えて仲がいいという事実。

ここでは2,3,4がポイントであり、多数派意見者はもともと欲しい情報がテレビや
新聞といった簡単なメディアで手に入るのだから、わざわざネットを利用しないし、
そのスキルも積極的に身につけないだろう、と。

以上のことをデータと伴わせて提出したのが私の卒業論文であったが
(データといっても多少の指摘があれば崩れるほど脆弱なものである)
もしもこの話が意外と深刻で、将来的に高度な情報技術をもった人物達が
軒並み反大衆的、ひいては反マスメディア的な意見の持ち主となれば…。

どうだ、みんな?ひとつ日本を転覆させてみないか?







大衆の同調を得られるように加工した情報…

 定番では大リーグや海外サッカーの球団に所属している邦人選手が
 出場した試合を、目立った活躍がなくとも「××選手が勝利に貢献〜」、
 「○○選手の活躍により〜」と無理に協調して伝える報道。
 最近では「皇室の赤ん坊」や「川に住みついて鯉を食らうアザラシ」を
 国民の総意見として可愛いだとか、癒されるだとか報じるケースもある。



「長い物に巻かれなければ生きていけない日本人の性質」のデメリット…

 明確な自分の意見を持たないため、
 日本人の発言力が国際レベルで低く扱われてしまう
 (今でも十分低く扱われていると思うが)



「この話、おかしくないか?」と疑ってみること…

 カープファンの私がカープ肯定の記事においてもケチをつける理由は、
 情報を簡単に受け流さないという信念に基づくところもあるのだが、
 今まで散々期待を裏切り続けられてきた背景も当然無視できない。




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