最近のわたくし。(アーカイブス)
2005/04/23 今年も海外。
ちらっと話には聞いていましたが、今年も海外出張に出ることになってしまいました。今年はドイツのドレスデンに出掛けることになります。おかしなことに期間は未定(^_^;)。7月上旬に日本を発って『終わるまで(爆笑)』、だそうです。勤めている会社は海外というと東南アジア向けの機械を作ることが多いのですが、自分が担当する機械は飛行機で片道15時間以上かかるような遠く専門ばっかりです。今回はどんなドタバタ珍道中になることやら・・・。
2005/04/03 訃報
ウチのおじいさんが永眠しました(93歳)。1年前、自分がブダペスト出張中にいったん危篤状態になって、それからリハビリを続けていたんですが、それも及びませんでした。ちょうど自分が実家に帰っているときの出来事でしたので、何かの取り合わせだったのかもしれません。ただ、閉口したのは、知人に連絡したときに「実はお伝えしなければいけないことが・・・。」といったところ、学生時代の友人全員が決まり合わせたかのように『結婚か!結婚するのか!!』という返事・・・。「いやいや、ちがうんだよ(汗)。あのねぇ・・・(´-ω-`)。」
そんななかで、ある方からとても心の温めるメールを頂きました。ちょっと紹介しますと・・・、『亡くなられた人は・・・(途中略)・・・あなたの心の中で生き続けているのですから。・・・』悲しい出来事のある中で、こういうメールというのはとっても嬉しいものです。ありがとうございます。
01/05/2005 謹賀新年
新年明けましておめでとうございます。このサイトをごらん頂く方には旧年中、いろいろとお世話になった方もいらっしゃるかと思います。本年もどうぞよろしくです。上記でちょっと触れましたが、今年は昨年まで犠牲にしてきたもの(プライベート)を取り戻したいなぁと考えています。ま、方法はいろいろ。いきなりゴロッと切り替えることには無理があるので、とりあえず地道に、地味にマイペースでいこうかな。初詣にいっておみくじで大吉引いたことだし。今年はなんだかいいことありそうですo(^-^o)(o^-^)o(あってほしいなという願望も含む。)。
12/26/2004 忘年会
毎年有馬記念の日は大学時代の仲間内での忘年会(知らない間に決まっていたらしいです)ということで、今まで仕事の忙しさにかまけて行けなかったのですが、有給休暇(今年に入って最初で最後の通常連休)をとって、府中の東京競馬場で有馬記念をみてきました。今回は6年前に万馬券をとって以来の勝負!ということですが、馬券はとったけどトータルでは負けといういかにも自分のスタイル(人生の負け組)を象徴しているかのような感じでした。
忘年会は気心の知れた小田急向ケ丘遊園駅の近くにある居酒屋さんで。やっぱり気心の知れたお店と気心の知れた仲間たちというのはいいですねぇ。気持ち良くお酒が進みます。んでもってそういう時って悪酔いしないんですよねぇー。あんまりにも懐かしくって、ゴキゲンになってしまい、“その場にいなかった連中に電話かけまくり大会”になってしまいました。かかってきた皆さん、酔っ払いがご迷惑をおかけしました。ごめんねー。笑って許してください。
次の日、山梨県大月市から東京経由での帰り道、新幹線のりかえの待ち時間を使って、丸ノ内から有楽町間にひろがる“東京ミレナリオ”をみてきました。
そこは冬の夜に映る光の回廊、たくさんの電球で彩られた道が歩くカッブル、家族連れの人々の優しい笑顔を照らしていました。
実はいろいろ考えるところがあって、長い間首都圏にでかけることを躊躇してたんです。そんな間に大学を卒業して、7年近くの時間が流れていく間に当時の知人・友人との縁が切れてしまったような気がしてたんです。大学をでて、実家にもどって3年。さらに実家をでて浜松に移って丸4年が経ち、ちょっと一息つきたい気分だったのかなぁと思います。知り合いが必ずしも多くない静岡県浜松市という地方都市に住んでいると、ちょっと淋しい感じがして、今回の東京行きはそんな時の『渡りに船』だったのかもしれませんね。
(追記)
府中に行った際に有馬記念以外にもいろいろ馬券をハッてました。結果を見ずに放置プレイして年を越してしまったのですが、よくよく見ると当たってました。Σ(□゜/)/うっそーまじかよ!ってぶったまげてしまいました。これも有馬と同じく枠連で。
まぁ、バリバリの1番人気で決まったらしく、負けが少なくなっただけで、飛び上がって喜ぶまではいかなかったのですが、とりあえず勝ちということで。でも・・・換金どうしよう・・・。東京?横浜?中京?う゛〜ん・・・。
他のはずれ馬券は・・・交通安全のお守りにします。『当たらなかった』ということで。
2004/12/21 懐かしい味
つい先日、とあるコンビニで懐かしいお菓子を見つけました。それは・・・『森永ビスケット
CHOICE(チョイス)』です。まだ学生時代のころの大のお気に入りで、お茶のお供にぴったりだったさくさくのビスケットです。見かけなくなってずいぶん経ったんですが、先日売り場に並んでいるのを見つけて思わず「あっ!」と声をあげてしまい、周りの人に振り向かれてしまいました(^_^;)。ついつい、2箱購入してしまい、懐かしい味に感激しながらお茶と読書のお供になっています。こたつとお茶と本とCHOICE・・・冬の贅沢(?)です。
今年は12ヶ月のうち、お仕事(長期&短期出張織り交ぜて)でトータルで4分の1近く浜松の家にいませんでした。やっぱり、30歳を超えて、世間一般でいう"働き盛り”というお年頃。自分の身の回り(仕事)が多忙になってきたなぁとしみじみ感じた1年でした。ただ、そのぶん、プライベートをずいぶんと犠牲にしてしまいました。『なんだかとってもすさんでいる。ホントにこんな生活してていいのかな?』という命題を抱えてて来年、浜松に越してきて5年目である2005年という節目の年を迎えます。
4/18〜5/3はじめての海外出張
いままでチャンスがなかった海外出張に出ることになった。行き先はハンガリーのブダペスト。いきなりヨーロッパです。日本から片道大体16時間くらいかかる長旅です。名古屋空港からフランクフルト経由でいくのかと思っていたが、実際手元に届いたエアチケットをみると関西国際空港からアムステルダム経由でのブダペスト入りになっていました。しかも、フライトが朝10:00と早いため、出国前日は大阪で前泊でした。生まれてはじめて飛行機に乗って海外に出掛けるので、関空でチェックインしてから出国審査を受けて、飛行機に乗って飛び立つまで心臓はバクバクいってました。
←行きのチケット 大阪(関西国際空港)〜アムステルダム(スキポール国際空港)KL868便 アムステルダム〜ブダペスト(フェリヘジ国際空港)MA665便 の2枚です。 |
日本時間で10:00に大阪を発って、オランダ時間の15:00(日本時間は23:00です。)にアムステルダム着、乗り換えてハンガリー時間の18:00頃(日本時間では次の日の夜中2:00)にブダペスト到着。生まれてはじめて『自分の言葉が通じない世界』です。ブダペストには2週間滞在しましたが、日に日に片言の英語に加えて、自分の身振り手振りがオーバーアクションになってくるのが分かります(^_^;)。無事にお仕事も終わり、当初3週間滞在の予定が2週間に短縮されて日本に帰国しました。じ・つ・は、帰国前日ヘベレケになるまでお酒を飲んで、朝5:00にホテルを出発して空港に向かう予定が5:00に叩き起こされる始末(恥)。ほおっておかれたら日本に帰ってこれなかった(苦笑)でしょう。帰りはブダペストのフェリヘジ空港を朝7:00(日本時間では15:00)に発って、9時過ぎにアムステルダムのスキポール国際空港に到着、トランジットで5時間近くお土産買ったり昼食を食べて、14:30(日本時間で22:30)に関西国際空港に向かって出発。大阪到着は次の日の朝8:00過ぎでした。帰りの飛行機は・・・お酒飲んで早々に眠りについて、ほとんど寝ていたので、あんまり機内のことは覚えていないんです。
←帰りのチケット ブダペスト〜アムステルダムMA660便 アムステルダム〜大阪KL867便 の2枚です。 |
5月1日にハンガリーがEU(ヨーロッパ連合)に加盟したということで当日のブダペストはお祭りでした。ホテルの窓からブダペストの町並みが一望できたのですが、花火が上がっていました。で、帰りにハンガリーから出国するときにパスポートに出国印を押してもらったのですが、入国したときのハンコとはちょっと違って、EUをかたどった星の輪っかがハンガリーの頭文字Hをぐるっと囲んでいました。
ま、他にもいろいろあったけど、無事に帰ってこれたし、当分海外にいくことはなかろうから・・・よしとするか。
2004年1月1日
正月早々病院へ行くことになってしまいました。
大晦日の夕方くらいから妙に首と肩と腰が重くって掃除疲れかな?とタカをくくってたんですが、お正月になると身体中が重くなって、頭がポーッとするし、のどが痛くってつばを飲むこともできないしで体温を測ってみると39.0℃。ここまで上がったのも久しぶりだったので、またそれで頭がくらっと来てしまいました。何とか知人の病院にSOSを求め、診ていただいたところ、扁桃炎とのことで、しかも熱を下げようとして汗をかいていても水分を取っていないので、脱水症状になってしまっているということでした。で、約20年ぶりに点滴を受けました。点滴とお薬のおかげで3日には体調も元に戻りつつあるのですが、旅行に出掛ける予定だった正月3が日が吹き飛んでしまいました。いやいや、参った。
2003年の秋に体調を崩してしまいました。というのも普段生活していて、めまいの回数が一気に増え、足元がふらつくようになったのです。職場の人と話してたら、それは一回診てもらったほうがいいだろう。ということで知人の病院で診てもらった。すると『ストレスのためすぎ、不規則な生活、外食ばっかで健全とはいえない食生活など生活の不摂生、運動不足からくる軽い自律神経失調症』とのことでした。お医者さん曰く、『健全な食生活、適度な睡眠&適度な運動で快方に向かうでしょう。』とのことで、ほっとしました。と同時に嗚呼、もうそんな年齢になってしまったんだなぁ、とちょっと感慨深げになってしまいました。
ごらんいただいてる皆さんも気をつけましょうね。
2003/10/12 朋、遠方?より“何の前触れもなく”来る。亦楽しからずや。
それは10月12日に日付が変わって30分ほどたったころ、携帯電話がなった。『こんな時間に珍しい、誰だろ?』と思って出てみると4年ぶりに友人S氏(山梨県大月市在住)からだった。聞けば、『もうすぐ東名御殿場I.C.に着く、これからうなぎを食いに東名に乗って浜松に行くから。』とのこと。この素っ頓狂な申し出に、思わず『はぁ?』と聞き返すことしかできなかった。マジかよとタカをくくっていたら、朝8:00過ぎにまた電話が来て、『もうすぐ浜松I.C.に着く。さぁうなぎを食わせろ。』と。ちょうど今日はお休みなので、東名の浜名湖S.A.で待ち合わせ。三ケ日で東名を降りて浜名湖を横目にぐるっと半周して、中田島砂丘でボーっとして、お昼まで我慢してもらって、自分が気に入っているうなぎ料理のお店に入る。こっち(浜松)にいるとあまり感じないのですが、S氏に言わせるとやっぱり浜松で食べるうなぎは地元の味と違ってうなぎが柔らかくって美味しいそうです。S氏もうなぎを腹いっぱい食べて満足して浜松を後にして大月に帰ってゆきました。
閑話休題:浜松といえばうなぎというふうによく言われます。じつは国内でうなぎの養殖で有名なところとなると浜名湖なのですが、量でみると浜名湖よりもお隣愛知県の幡豆郡一色町のほうが多いそうです。でもさすがに浜名湖のうなぎっていうある種のブランドというのが定着しているのでしょう。確かに浜松市内にはうなぎ料理のお店が多いですし、大体味もハズレがないようです。
これはうなぎの肝焼き
これはうなぎの白焼き
頼んだのは「うな重特上のご飯大盛」です。
ご馳走様でした。
'02/1月 30歳になった自分へのプレゼント
五年前、25歳で大学卒業のちょっと前、ひとりで大学近くの神田神保町界隈を散歩していたところ、当時の自分の理想に一番近い時計を見つけ、手に入れました。WEST
END WATCH COMPANYという聞きなれないメーカーの時計です。
文字盤には"SWISS MADE"の文字が入っているので、多分スイス製なのでしょう。機械式オートマチックで日付と曜日表示がついててほしいというのが当時の理想でした。自分の使い方が荒いからか、ガラスを傷だらけにしてしまい、しまいには落っことしてガラスを割ってしまったり、日付表示が動かなくなってしまったこともありました。そのたびになんとか修理できないかなと時計修理の店を探してを直してもらって使ってきました。
そして去年の12月、30歳という区切りの年の誕生日を迎えました。
大学を出てから五年経ち、これまで働いてチョコチョコとためたお金でまた時計を手に入れました。前々から一生モノの時計を手に入れたいなぁと思っていて、年相応で、派手でないものを色々と考えた末、「よし、これにしよう」ということで今の自分の理想に近いSINNの103.Ti.Ar.UTCを購入しました。
今回の自分の理想とは・・・仕事柄にかかってくるのですが、
・あまり有名どころのメーカーではないこと。
(メーカーはドイツのブランド。ムーブメントはスイス、ETA社のValjoux
7750。オメガやタグ・ホイヤーといった有名どころでも同じムーブメントを使っているそうです)
・耐水、耐磁性があって、丈夫であること
(G-SHOCKほどではないけど耐ショック性、20気圧の耐水性&耐磁性もあり)
・第二時間帯表示があること。
(職場の人が海外に出張の場合に国内でヘルプに回るので相手先の時間を把握できるようにということで。)
・クロノグラフがあること。
(Valjoux 7750はクロノグラフムーブメント)
30万円の予算をちょっとオーバーしましたが、松坂屋名古屋本店南館地下のMONO
SHOPで購入しました。バイクの時といい、相も変わらず『いつもニコニコ現金一括払い』で買ってしまったのですが、バイク買った時より緊張しちゃいました。で、手に入れてみて、しっかりしてるというのが第一印象です。
『そこそこ値の張るお気に入り』を身につけていると、あんまり変なことができないぞっていう感じがします。時計や服って、気楽に身に着けられるものもあるのですが、身につける時にちょっと一呼吸いるというか、ちょっと背伸びしたものっていうのを一つや二つもっていると生活にも張りが出てくるでしょうしね。
さて、次は35歳。どうしようかな?
01/9/24
命の洗濯と冬支度
この週末、22・23・24日は世間では三連休。勤め先でもカレンダー上は三連休でした。で、私はというときっちり三連休というわけではなかったのですが、22・23の二日間は午前中は部屋掃除&洗濯で午後は仕事、夕方は部屋片付けの続きと買い出しで、最終日はまるまる一日休んで、通勤用自転車の掃除と、ここのところ朝晩が冷えてきたので冬支度してました。冬支度といってもコタツとホットカーペットを出しただけというあっさりしたものでした。まぁ、それでもちょっとは身の回りがすっきりしたし、この次いつ休みが取れるかわからないから早めの冬支度をしとかないと、寒くなってから朝ガタガタ震えながら出掛ける準備というのもいやだしね。ということで、忙中閑ありという三連休でした。
01/9/6
全治1週間
朝、自宅アパートの前の駐車場で出勤の準備の前に車の中に荷物を忘れたのに気づいて取りに行こうとした時に転んでしまって、したたかに肘を打ってしまった。それでも会社に行かなければと自転車をこいでいるうちに腕に生あったかいものが…よく見ると血が流れていた。腕時計がまっかっかになっていた。普通、男性は血を見ることに慣れていないからパニックになってしまうことがあるということをきいたことがあるけど、なんだか冷静。手洗い場で腕を洗って、バンドエイドを貼っておけばすぐに血も止まるだろうと思っていた。しかし、一向に血は止まらない。バンドエイドは真っ赤になって、何回変えてもすぐに真っ赤になってしまう。図面引いていても、ひじをつくと図面が真っ赤になっちゃうし、「まずいなぁ」と思って、知人に相談して、仕事が終わってから夜中に夜間診療をしている病院で診てもらった。肘と肩のレントゲンをとって、外科の先生に診てもらった。そしたら、「これは縫うしかない。」ときっぱり。「何でいままで我慢してたの?」というお小言をいただき、早速縫合手術が始まった。3針縫って30分ほどで無事終了。
ここんところ睡眠時間は毎日3時間程度しか取れていなくて四六時中眠いし、そんな時に寝坊してパニックになっちゃってというなかでの怪我でした。、
通勤途中の怪我じゃないから労災がきかないし。包帯を替えに毎日近くの整形外科に通わないとだめだし、今回の怪我はいろんな意味で痛いなぁ。と痛感してしまいました。
教訓:腹八分目、できれば仕事も八分目。
01/8/22
夏休み
今年の夏休みは会社のカレンダー上は1週間あったのですが、実際休んだのは途中の1日と休み後半の土日だけで、半分以上は仕事でした。ということで、大学出てから初めて長期休暇でお出かけなしということになってしまいました。まぁ、設備を作るメーカーというのはお客さんが連休で生産ラインを止める時に設備を納めるというものなので、連休はないんだろうなと予想はしてましたが…まさか代休もろくすっぽ取れないとは…まいった。結構ヘロヘロです。本当だったら仕事のキリのついたところで休みを取ろうかと思っていたのですが、すぐに次の仕事が入ってきてしまい、代休はどこかへ消えてしまいました。嗚呼、休みたい…。
01/6/4
お仕事
今、機械の設計をしています。今の仕事をはじめてからあっという間に半年が経ち、設計や製作の面での基本的な知識が乏しすぎるので周りの人には迷惑かけまくりです。ポカが多いです、自分でも情けなくなるくらい。学生時代の進路を間違えたのかな?と後悔してしまうこともあります。一般的には技術・家庭科は高校時代にやっているんでしょうが、そんなのなかったし、そう考えると高校の普通科ってツブシがきくけど、目標がないと単にのんべんたらりと生活するところだったのかなぁ。大学行ったっていっても、六法見ながら図面はひけないので今の仕事とは全然つながりがないし、自分にとって高校入ってから今の仕事に移るまで、15歳から29歳までの14年間っていったいなんだったのかなぁ。遠回りの人生っていうには遠回りし過ぎなんじゃないのかなぁ。と思ってしまう今日この頃です。でも、ま、そんなこといって嘆いたって、時間はかえってこないので、先に進んでみましょうか。
閑話休題
浜松という街、静岡というところ
いま、浜松に住んでいるわけですが、静岡県というのはなんか不思議なところです。県内には中心といわれる街がいくつもあって、どれが本当の中心だかわからないのです。東部・中部・西部と大雑把に分かれて、東部だと沼津、中部は静岡、西部は浜松、がそれぞれ中心になっているようです。では今のところ一番大きい街はというと、県庁所在地ではない西部の浜松になるし、買い物するのに便利な街となると、お店が充実している静岡でしょう。僕の場合は浜松というところは自分の趣味に合いそうな買い物できるようないいお店というのがないので、静岡に行くより、勝手知ったる名古屋まで足を伸ばしています。テレビ局は全て静岡市内だけど、FM(K-MIX)の本社は浜松にある。新聞はというと静岡新聞の本社は静岡だけど、中日新聞の本社は浜松にある。浜松だとどちらかというと名古屋の色彩が見え隠れするけど、静岡、沼津と東へ進むほど東京の色彩が出てくるような気がします。どういっていいんでしょうか、まだ街の個性(=いいところ)が見えないんです。
いままで住んできた実家のある愛知県刈谷市(全ての中心は名古屋)や学生時代の神奈川県川崎市(中心となると川崎・横浜よりも都心部)近辺はそういう中心都市というのがはっきりしていたからちょっと違和感があるのです。静岡県ってのはやっぱり東西に広い県だからかなぁ?ほかにも交通アクセス(意外に東京や名古屋・大阪に出るのに時間がかかるので海外に出かけるときに頭を抱えそう。国内でもほかの地方に行くにも必ず東京か名古屋まで出てからになってしまう。)がもうちょっと楽になればいいのに。でも、それは空港を作ることじゃなくって、いまあるもののアクセスを考えることのほうが安上がりのように思えます。数年後には名古屋に大きな国際空港ができるっていうし。そういう身の回りとリンクさせて考えることしてなさそうだからなぁお役所って。また、旅客の港がないので、北海道にバイクで行こうというのは難しいかも。一番楽なのは名古屋まで戻る方法になる。でないと新潟か青森までというのは遠いし…
01/2/25
ここのところ暖かい日が続いてました。もうすぐ春ですねぇ。春という季節は何か不思議な感じがする季節です。春にはなぜか鼻の奥がツーンとくるような空気の匂いがします。(といっても花粉症ではありません)
一年の中である種の転換期となる季節だからでしょうか。いままでの人生の中でも入学、卒業、入社という転換期ともいえるイベントはは殆ど春でしたし、春といえば、花びらの舞う桜の木の下でお花見ができるし、そういう思い出のある季節ということが空気の匂いを感じさせるんでしょうね。
これからこの春はどんな思い出ができるんでしょうか。
01/2/20
白髪、続編。
鼻毛に白髪があった。鼻がむずむずするのでティッシュで鼻をかんでみたら一緒に出てきた。「うっそー鼻毛って白髪になるの?」とひとりで部屋で叫んでしまった夜でした。うちは年をとると白髪になる家系だから当たり前って言えば当たり前なのかなぁ。
今回はちょっとお下品でした。ま、笑い話程度ということで。
白髪ネタはここまで。次からはもうちょっとまともな話題にします m(_ _)m
01/1/27
お風呂に入ってからふと鏡をのぞくと、
「げ、白髪だ。」
しかも1本だけじゃない。わかっただけで6本あった。全部抜いてみた。一度にこれだけ多く見つけたのは初めてだ。つい先月ぐらいまでは何ともなかったのに…。まだ仕事に慣れていない分苦労が多いのかなぁ。これは結構ヘコむよ。今年で30歳になるからかなぁ。怖い怖い。
余談、数日後床屋さんにいったところ、「お、白髪だねぇ。ほんとに20代?」とさらにショックなことを言われてしまいました。まだのこっていたんですねぇ。気にしかけた矢先だっていうのに…
00/12月中旬
ひとり
引越しした。独り暮しをはじめた。
四年前にも独り暮しをしていたが、当時は大学生で、仕送りがあるということもあり生計という感覚は乏しかった。これからはお給料をもらってそこから生活費・公共料金・家賃・貯金を考えないと行けないし、仕事があるから次の日のことを考えるとあまり無理が出来ない。しかも住んでるところは昔は首都圏(川崎)、いまは地方都市(浜松)ということで自分にとってこの街が便利な街かどうかもまだわからない。
仕事があるので、平日の夜、11時回ってからでは繁華街に遊びや買い物に行くということは不可能だし、休日は車で30分&駐車場探しに繁華街へ出るのもちょっと億劫なので、街中に何があるのかがわかっていない状態なので、いまのところコレという買い物(たとえば服とか)は東名高速使って名古屋市内のロフトやハンズなどに出かけています。
ま、早くこの街に慣れないとね。
00/11月頃
先日、大学時代の友人と電話でしゃべっていたときにふと口に出してしまった一言、「みんなそれぞれに忙しそうだし、あの時知り合った人たちの中でもう二度と会えない人がたくさんいるんだねぇ。」この言葉を口に出してから、内心『しまった。』と思ったのと同時に、『なにをいまさら、そんなことわかりきっていることなのに。』と思ってしまいました。
結構好きな映画である赤川次郎原作・大林宜彦監督の映画『ふたり』のなかで、死んでしまってもユウレイ(?)というかたちで妹(石田ひかり)のすぐ近くにいる姉(中嶋朋子)が『あたしもいつかあなたの記憶の中からいなくなってしまうでしょう。人はいなくなってしまったものや人のことは忘れていく、それは当たり前のことだよ。』という内容の台詞で妹をさとしていた場面があったのを思い出しました。そして残った自分は目の前からいなくなってしまったものを日常生活の忙しさにまぎれて、忘れてしまった格好をして記憶のどこかにとどめながらその先の人生を進んでいくんですね。
しかも、その記憶というものは怖いもので、ずっと忘れ去ってしまったように見えた記憶が長い時間が過ぎて、あるタイミングでふっと、しかもすべてを思い出すことがあるんですね。
そんなときどんな気持ちになるんでしょうか…
寂しいけれど、これもまた真実なんでしょうね。
学校を卒業した頃や会社を辞めた頃にはそういう過去にすれ違った人たちのことを考えて結構感慨深くなるもので、身の回りの環境が変わるということはやっぱり寂しいものです。それでも生きてさえいれば、また何処かで出会えるでしょう。長い人生のどこかの交差点でばったりと。
00/10/08
1ヶ月ほど前に我が家の近辺に豪雨がやってきた。
24時間で平年の1年分の1/3の雨が降ったといわれてもピンとこなかったが、家から数百m離れた近くの川も警戒水位すれすれまで水位が上がり、付近の道路が川のようになっていたという現実をみて、ああこういうものかと納得してしまいました。
同じ市内で床上浸水した地域も出たというのは結構ショックでした。
我が家も車庫が20cmほど水に浸かりましたが、母屋は車庫の上にあるので無事だったし、停電もガス・水道・電話が止まるということもなく、無事でなによりというところでした。
この1ヶ月顔を合わせる人からは挨拶の次に必ず「お宅のあたりはどうでした?」という一言が出てきた。
生まれてこのかた身近で災害らしい災害に直面したことがなかったので、どうしたらいいものかなぁとちょっとばかりどきどきしてました。
人間の考えや想像を越えた被害が出るから災害なんだろう。人間の想像の及ぶ範囲なら想像の延長線上の災害を防ぐというところまで考えが回りますもんね。
それをあとから「お上はあれをやればよかった」だの「お上はなぜ準備できなかった」だのいってもそれは『あとのまつり』じゃないのかなぁ。
災害が起きようとしたときにそこにいる人たちがどこまで準備しているか、そこから何をしたらいいのかを考えて動くか、動けるか、なんでしょうね。
筆者注)
ただ、実際に多大な被害にあわれたかたにとって、上に書き綴った言葉は「詭弁」としかうつらないことでしょうが、
あんまりヘビーなことを書き綴ることは本意ではないので、さらっと読み流してください。
00/7/31
会社を辞めた。転職する。いまの会社は今日で最後。4月下旬に辞めると宣言してから2ヶ月バタバタして7月10日から今日まで有給休暇をとっていた。約20日間の「ロング バケーション 命の洗濯」だ。
洗濯も済んで、きれいさっぱり。またあしたから働くよ。
00/7/20
家にCBR1000Fがやってきた。おもったよりでかい。当初置き場に考えていたところに収まらず、置き場がない。大騒ぎである。
「バイク買うなんて聞いてないわよ、いったいどこに置くの」(母)
「こーんな大きいもの買ってきてどうするんだ!」(祖父)
「俺も一応のれるんだよなぁ」(父)←「無理しちゃいかん」(わたし、姉&母)
結局、バイク1台で自動車1台分の駐車スペースを占領してしまった。
閑話休題
バイクを買う際に家族といろいろ約束を交わしていた。
父とは「オレはバイク買う代わりに煙草をやめる」
母とは「無茶な乗り方はしない」
後者はじぶんで気をつけれるものなので問題ないんだけど、問題は前者である。
煙草を吸うようになってながいことたつが、いまだかつて禁煙したことがない。
どうしたものか。
00/7/19
自動車学校に行って卒業証明書を受け取り、その足で名古屋・平針にある運転免許試験場へいってきた。大型二輪免許の申請である。
手続き自体は申請(3分)と視力・色覚検査(3分)と写真撮影(5分)だけだったが途中1時間半ほど待たされた。
そのときちょうど学科試験の合格発表に鉢合わせた。合格者の受験番号が掲示板の表示されると歓声がそこかしこからわきおこっていた。
自分もはじめて普通自動車免許の試験を受けた8年前にこんなふうに試験の結果をドキドキしながら待っていたんだなぁとかんがえると感慨もひとしおである。
でもまた来週平針に来る。今度は大型特殊免許の申請である。
まとめて申請しようかと思ってたけど。あしたバイクを取りに行くつもりなので、さっさと二輪だけとってしまおう。
00/6/18
バイク屋さんにいってきた。4月下旬から大型二輪に免許を取得中で、7月中には免許を取っちゃおうということで、バイクを決めにいってきた。
ということで、あっさり機種を決めてしまった。HONDA
CBR1000F('90 走行24,000km)にすることにした。
最初はYAMAHA TDM850('99 スペイン仕様の新車)にしようとしてたが、予算の関係(上限50万円)上と『できればニコニコ現金一括払い主義』のため新車購入を断念し、中古を探してたら結構程度のいいCBR1000Fがあったのでまたがって、ほぼ即決。
10Valve Twinには魅力があったが、16Valve Inline4に一度乗ってみたかったということも購入の一因である。
99/11/16
今日は会社を休んだ。ここ何年かの過労が一気にきたような風邪をひいてしまった。で、ぼーっとしてた。
大学時代の知人が結婚するいうのを思い出し、祝電でも打とうかと昔の名簿を探してたらいろいろ懐かしいものが出てきた。
1年のときから5年のときまでの学祭のパンフレットや機関紙だ。パンフレットを見てると昔はこんなことしてたんだなぁという余韻に浸ってしまっていた。
当時のいっしょにいた人たちやその人たちとの間での楽しかったことやつらい出来事が鮮明に思い浮かび、
それと同時に、周りの人たちは今元気にしているのかな。今の俺みたいにへこんだりしてないかな。って考えてしまった。
それぞれに今日を生きている。この国のどこかで、それぞれの生活をして、それぞれの生きがいと居場所を探し、ある人はすでに居場所を見つけ、生きている。
元気にしてるんだろうな。
おんなじ空の下で、流れてきた雲のもとで、流れていく雲の先で、きっと元気にしてる。そんなことを考えたてたら、ちょっとはがんばらないと、うだうだしてても始まらないな。そう思った。
会社に入って二年半が過ぎ、もうすぐ丸三年を超える。会社に入って仕事をするときに昔は何を考えていたんだろう。
きっともうそんなときのことなんて日々の仕事に忙殺されて忘れてしまっているのだろう。
ほんとは自分のものの考え方のコアな部分だから、絶対忘れることがないんだけどね。
でも、どこかで再確認しておかないとこの先ホントに忘れちゃいそう。
で、社会での自分の居場所を見つけたいということで居場所を今の会社にもとめたわけだが、どうだろう?
ちょっと考える頃なのかなと思う。