FK☆S由希子SS「夕日の先の明日へ」



「よぉ、由希子!買い物か?」

聞き慣れた声が商店街を歩いていた由希子を呼び止める。
その声の主に気が付いた由希子はあわてて紙袋の口を閉じると、いつものように気さくな声を返した。

「うん、そうよ。ちょっと足らないものがあったのよね」

「なんだ?」

「ま、楽しみにしていなさいよ。もうすぐわかるわよ」

「そっか‥‥。あ、オレも買い物していかなきゃならないから。ノート切らしちゃってな。もうすぐ卒業だから半分無駄なんだけどな」

「ふふっ、確かにそうよね」

「じゃあな」

「うん」


家に帰った由希子は素早く着替えると台所に降りて手慣れた手つきで準備をすませた。

大きな鍋にお湯を沸かし、適度に温まったら火を小さくする。
そしてその中に材料の入った容器を入れ、温度計を差し込む。
熱くしすぎず冷ましすぎず、その微妙な難しい温度調整を何気なくこなしているところは、由希子の料理(この場合はお菓子づくりだが)の腕前が単なる付け焼き刃でないことを示している。

先ほど買って帰ってきた可愛らしい型を紙袋の中からとりだして、ほっと一息ついた由希子は最後の仕上げにかかる。
快活に動く由希子に導かれるようにエプロンの裾が舞う。
思わず出てしまった鼻歌が誰もいない台所に彩りを与えている。

「うん、一つ目は成功。ふふっ、ちょっと悪いけど‥‥これは綾乃くんの分ね」

そして由希子は冷蔵庫から温存しておいたとっておきの材料を取り出してその小瓶のふたを開けた。
それとなく聞き出しておいた芳彦の好物である紅茶をベースにして作ったエッセンスである。

湯煎した容器にそれを静かにそそぎ込み、ムラの出ないように慎重にかき混ぜる。
その紅茶の香りが部屋に形のない余慶を送り込み、由希子自身の香りと融和して、本人には全く気づかない最高に魅力的な空間を作りだしている。

そして最後の仕上げに取りかかる由希子。
二つ目も成功。
由希子にとっても会心の出来であった。

「なんかはずかしいわね‥‥」

そっと顔を赤らめる由希子。
このチョコレートの受取手を想像して、由希子は自分の胸が少しだけ暖かくなるのを感じた。いつの頃かは分からないが、この微妙な恋の芽は卒業という春を前にして大きく成長しているようであった。

この微風高校に入学して以来、最初は単に席が近いというだけで始まった友達づきあい。
同じように気のあった綾乃と共に、軽い冗談や悪口などを応酬しあいながら気さくに楽しくつきあってきた。
ちょっと身の回りでいやなことがあっても、彼らと話していれば忘れることが出来る‥‥そんな理想的な友達だった。

赤と青の間には紫色があって明確な境界はないように、由希子の心はいつか知れぬうちに変化していた。
ひょっとすると何かきっかけがあったのかも知れない。
体調の悪いときにそっと気遣ってくれたあの時か、クラブの試合で致命的なミスをして落ち込んでいたのを何も言わずに見守ってくれたあの時か‥‥。

「あっ、もうちょうどいい頃合いね」

いつものように明るい顔に戻った由希子は、できあがったチョコレートを可愛らしくラッピングした。
最後に小さなリボンで口を結び、めでたく完成。
あとはこれを明日学校に持って行くだけである。




校内のあちこちでお菓子に乗った妖精たちが飛び回る2月14日。
そこにはいくつもの気持ちがこめられて運ばれていったであろう。
卒業を間近に控えたこの3年の一つの教室でも、一見、いつものような空気の中で妖精の一人がそっと由希子を見守っていた。

「はい、これは綾乃くんの分ね」

「杉崎っ、俺にこれをくれるのか!」

「勿論よ、それは綾乃くんのために作ったんだから」

「おおおっ!俺はこの喜びの前でじっとしていられん。ちょっと校庭を走ってくる!」

「おいおい‥‥」

苦笑する由希子と芳彦を残して、重厚な疾風は教室を去っていった。

期せずしてというかある程度予測されてというか、とにかく教室の片隅に由希子と芳彦は二人残される形になった。
わずかな緊張をいつもの気さくさと明るさに隠し、由希子はもう一つのチョコレートを取り出した。

「ねえ、芳彦っ。これがあなたのよ」

「おっ、ありがとう!帰ったら早速食べさせてもらうよ」

「そうね、織倉さんなんかからももらうでしょうけど、わたしのを一番先に食べてよね」

そこにこめられた微妙な感情に芳彦は果たして気が付いたであろうか?

「えっ‥‥、由希子、それは大した自信だな」

「そりゃそうよ‥‥。ほら、あなたの好物だっていう紅茶をエッセンスにしてみたんだから。とっておきなのよ」

「そうか、あの時の話はそういうことだったのか。ありがとう」

「ま、もう今年で最後だしね‥‥」

そう言う由希子とそれを聞く芳彦の双方に一瞬寂しい表情が浮かんだが、お互い、相手のそれに気が付く余裕はなかった。


夕方、部屋に戻った芳彦が真っ先にそのチョコレートを口にしたことは言うまでもない。
このときの由希子は、たとえば自分の気持ちを書いたカードなどを入れてそれを伝えることは出来なかったが、そのチョコレートの味だけで芳彦にその気持ちが伝わったに違いない。

(由希子‥‥。そろそろ卒業なんだな)

こちらも悪く言えば脳天気とも言われかねない明るさをどこかに置いて、感慨深い表情で部屋にたたずむ芳彦であった。




オレンジ色の日の光が川の向こうで地面に迫りながら輝いている。
低い角度から差し込むその光が、水面をきらきらと輝かせているが、今日という一日から立ち去ろうとする太陽のもたらすその輝きは、美しさの中にどこか寂しげな様相をも持ち合わせていた。
川の水はいつもと変わらずに穏やかにゆっくりと流れていく。

由希子の知らないどこか遠くの場所からやってきて、また由希子の知らない街へ、そして無限に広がる海へといつかはたどりつく、目の前の水の流れは迷いつつ、逡巡しつつも必ずどこかへ到達する人の営みの投影なのかもしれない。

2月の下旬にしては暖かい、過ごしやすい一日であった。
そんな平穏に見える日もそろそろ暮れようとしている。

河原に一台の自転車がぽつんと止められており、そこから少し離れた草の上に由希子は座り、そんな光景を静かに眺めていた。
傾いた日は長い陰を形成し、傍らのその自転車の機械的な複雑な影が由希子の背中にまで到達していた。

風がそよぎ、由希子の綺麗な黒髪と制服のリボンを静かに揺らす。
憂いのある表情が、いつもの闊達な由希子とまた違った魅力というものを引き出しているようにも見えた。

杉崎由希子‥‥、外見だけ見ても年頃の娘らしいかわいらしさと芽を出し始めた美しさの同居する、形容しがたい魅力が感じられる。
内面にあるおしとやかさや女の子らしさというものよりは自由闊達な明るい雰囲気を持ち味にしている‥‥本来はそんな女の子であった。

肩の少し下まで届くその髪は、流れるように柔らかく自然に由希子を彩っていた。
デザインこそシンプルであるが、かわいらしさを引き立てる制服の上着やブラウスを飾るリボンもまた由希子にはとてもよく似合っていた。

ピィィィッ‥‥!

汽笛の音が響き、由希子の耳にもその音が町中の様々な雑音に混じって届いた。
遠くに見える橋を寝台特急が渡っていく。

いつも見慣れた通勤型電車に混じって同じ線路を行くその長距離列車の行き先に、日常とこれから訪れようとするそこからの変化というものが暗示される。
これから一晩走り続け、再び明るくなったときには新しい土地を走っているのだろう。

それもまた由希子の心の中にある押さえきれない気持ちの行き先の暗喩であったのかもしれない。

「そうよね‥‥、だってわたし‥‥」

つぶやくように独語した由希子は、そのまましばらくその光景に同化していた。
普段の由希子や彼女と一緒にいるなじみの友人である芳彦や綾乃を知る人が見たら意外に思う風景に見えたが、高校の卒業前という微妙な時期を過ごす一人の女の子としてはありふれた、それでいてつらくせつない想いを心に秘め、それが由希子を苦しめているのだった。

(芳彦のことが好き。でも今みたいな楽しい日常は変えたくない。でももう半月もしたら卒業して芳彦や綾乃君とは離れてしまうのよね‥‥)

ありふれた、三文青春ドラマのような心理であった。
気さくなつきあいを続けてきた友人同士。

そこから抜け出すには産みの苦しみを味あわなくてはならないのか?

でもそんなリスクを取るのは大きな勇気が必要であった。
一つ間違えれば今までの居心地のいい、楽しい関係をもすべて失ってしまう。

傍観者としてその勇気のなさを責めることは簡単かもしれない。
でも、本当に相手のことを思う気持ちが強ければ強いほどその勇気を出すには大きな力が必要であった。

そしてそれは余人には決して理解できないものであろう。
それが人を好きになるということなのだから。

人が人を好きになるのにはそれぞれの無限の形がある。
そしてここにはその中の一つとして、由希子の「好き」があった。


考え事をしていた由希子が少し強く吹いてきた風にようやく寒さを感じて心を現実に戻した。
顔を上げてもう地面に触ろうとしている太陽の方に名残を惜しむように目をやった由希子は、聞き慣れたテンポの足音が近づいてくるのを感じ取った。あわてて今の自分の気持ちを心の棚の中にしまい込む。

「よっ、由希子。こんなところでどうしたんだ?」

そこに立っていたのは芳彦であった。なぜだか由希子にはそれがうれしかった。

「ううん、ちょっとね。考えごとしていたのよ」

「そうか。でもそろそろ日も暮れるぞ。寒くないか?」

何かその微妙な雰囲気に気づいたのだろうか、いつものように軽い調子ででも深く踏み込んでこない芳彦に由希子は救われた思いがした。
そして由希子のそんな気持ちに気づいてか、そんな気遣いに見えぬ気遣いをしてくれる芳彦をうれしく思うのだった。

「夕方になると寒くなってくるわよね。でも大丈夫よ、そろそろ帰ろうと思っていたところだから」

「そうか、風邪引くなよ。ま、せっかくだから途中まで一緒に帰ろうぜ」

「そうね‥‥。うん、ありがとう」

河原の土手に、この日で一番長い影を二つ並べながら、由希子と芳彦は家路を急いだ‥‥。




そして、卒業式を間近に控えたある日。
由希子の傍らに芳彦が立っている。

あの日より確実に暖かくなり、春の訪れをわずかながらも感じさせている。
春は変化の季節である、うれしい変化も悲しい変化も皆巻き込んだ‥‥。
みんなに平等にやってくる変化をうれしいものにするのか、悲しいものにするのかはその人次第なのかもしれない。

そして由希子は‥‥まだその決断を出来ずにいた。
いや、決断は出来ているのだがそれを形にすることを出来ずにいた。

物理的には本当に簡単なこと。
ささやきすら聞こえてくるような距離にいる芳彦に、ただ「あなたのことが好きなの」と言えばよいのだから‥‥。

(ここで今までの関係が壊れてしまっても、卒業して時が過ぎればきっと癒してくれるわよね‥‥)

そんな簡単に気持ちが収まるとは当然思っていなかった。
自分の勇気を振り絞るために、決してそんなことはありえないという偽りまで動員しなくてはならない自分にまたつらいものを感じてしまう由希子であった。
本当の卒業まではまだ少しの時間が残されている‥‥そんな事実も由希子を攻め立てていた。

風がそよぎ、由希子の綺麗な黒髪と制服のリボンを静かに揺らす。
同じように隣にいる芳彦の制服もわずかに波打った。

きっかけなどそんな程度のものでよいのだろう。
後悔しないように‥‥、自分を後押ししてくれる何かがほしかったのだ。
口を開こうとした由希子の耳に、隣の少年の聞き慣れた声が聞こえてきた。

「由希子‥‥」

「えっ‥‥、どうしたの?」

その芳彦の表情に自分と似た何かを感じた由希子であった。

自分の気持ちをよく認識しているだけに、とまどいと期待の混じった不安定な宙に浮かんだような気持ちが言葉に現れ出た。

「由希子、お前も言っていたけど、そろそろ卒業だよな」

普段なら由希子の方を向いて話す芳彦が努めて表情を変えぬまま逆の川の流れの方に目をやって言葉だけを由希子に向けている。

「‥‥」

「俺も両親のところにとりあえずは戻るだろうし、そうなると由希子や綾乃と一緒にいられるのもわずかなんだよな‥‥」

「そうね‥‥、だからわたし‥‥」

意を決して次の言葉を紬だそうとした由希子が、まだ一瞬だけ躊躇する間に芳彦は自分の言葉を続けていた。

「一つ、忘れ物に気が付いたんだ」

「忘れ物?」

「今までの日常がいつまでも続くと思いこんでいて、大切なことを忘れそうになっていたのに気が付いた」

「大切なこと‥‥?」

「そう。正確には『大切なことを言うこと』かな」

「それって‥‥」

あえて無表情であらぬ方を向いて話していた芳彦が由希子の方に体を向けた。
その表情はこれまで由希子が見たことのない真剣なもので、素晴らしく格好良く見えた。

「俺、由希子のことが好きだ」

それまでと変わらぬ静かな口調であった。
しかし、そこには確かに由希子と同じ感情があった。

由希子の最も望む人の中に!

「わたしもよ、今までずっと言えずにいたけど‥‥」

由希子は後ろの言葉を続けることが出来なかった。
しかし、目の前の芳彦を見れば自分の気持ちも確かに伝わったのがはっきりと分かった。


風がそよぎ、由希子の綺麗な黒髪と制服のリボンを静かに揺らす。
二人は無言でお互いをじっと見つめ合った。

周囲の全ての音も消えたかのようにこの時の二人には感じられた。

最も長く続く一瞬であった。
目の前にあるお互いの顔に自分たちの心を揺らし、今、ようやく叶った幸せを認識しながら、由希子と芳彦はそっと自分の目を閉じた。

きわめて緩慢な速度で顔を近づけていくその時間‥‥。
高校に入って初めて出会ってからの3年間のすべてが凝縮され、一つの結晶となった。
そしてついに‥‥。

「う‥‥ん‥‥」

由希子と芳彦の唇が重ね合わされた。
その接点を通じてお互いのお互いを思う、お互いのために出せずにいた気持ちがお互いの心を潤しあった。

芳彦が目を開くと、そこには小刻みに肩ふるわせながら目を潤ませている由希子の姿があった。
目からあふれた涙が頬を使って地面に一つの雫を落とした。

肩を抱いてそっと由希子を引き寄せようとする芳彦の腕を待ちきれないかのように由希子は自分の体と気持ちを芳彦に預けた。
それをしっかりと包み込む芳彦。
今、影は一つになった。


「わたし、あなたのことがずっと大好きだったのよ‥‥」

ゆっくりと自転車を押しながら歩く由希子に芳彦がそっと付き添って歩く。
今までの笑顔に新しい笑顔の加わった、これ以上ない最高の表情を見せて由希子は芳彦と河原の土手を歩いていく。

高校生活最後の日がまもなくやってくるある夕方、一つの物語が大団円を迎え、そしてもう一つの新しい物語が幕を開けた。

ピィィィッ‥‥!

遠くの地を目指して旅を始めた寝台特急が汽笛を響かせながら橋をゆっくりと渡っていく。
この祝福をくれた列車のように、由希子と芳彦の二人にも輝く明日が待っているであろう。

そう、夕日の先に続く、輝く明日という日に‥‥。




管理人より・・・


徐直諒さんより頂いた、「FK☆S」由希子SSをお届けしました。

徐さんに「FK☆S」を勧めた私が言うのも何ですが、ここまで由希子に萌えるとは・・・(^^;)

さて、お読みになった皆さんは、どんな感想を抱かれたでしょうか?
是非、御本人に感想を送って上げて下さい。

さて、私も負けないような作品を書かなければ・・・




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