新潟大火

 
 
昭和30年(1955年)10月1日未明、当時新潟市医学町にあった県教育庁から出た火は、おりからの強風にあおられて、またたくうちに燃え広がり、市街地を火の海にした。出火原因は、教育庁の漏電とされている。
8時間にわたって燃え続けた火により、市の中心部の主な建物を総なめにして、さらに礎町の方にも飛び火した、全半焼した家屋は1000余戸に達した。
来年は、新潟大火からちょうど半世紀になる。すでに、大火が記憶にない人の方が多くなっているだろう。
ここに掲載する写真は、大火の直後と一ヶ月後に撮影したものと、その後の復興を写した貴重な記録である。
地震、雷、火事、親父。親父の権威は地に落ちてしまったが、火事の恐ろしさは変わらない。
 
第一部
大火の惨状焦土と化した市街
大火詳細(市消防本部調)は、市報にいがた(昭和31年10月1日号)を参照した。
 
第二部
復興工事再建する新潟
 
 
戻る