昭和34年 現在の関屋堀割町裏の海岸道路のあたり。

昭和30年代には、新潟市内に多くのガス井戸があり、天然ガスを盛んに掘っていました。
私の両親が、現在の場所(関屋堀割町)に家を建ててまもなく、住宅地の裏に新しくガス井戸を掘ることになり、その補償で水道がひかれたそうです。上の写真がそのガス井戸です。帝石(帝国石油)のガス井戸だったと思います。

写真のガス井戸は早々と枯れてしまったのか、10年ほどたった私が小学校3年か4年の時にはもう使われておらず、水のたまったガス井戸は春になるとヒキガエルの格好の繁殖地になっていました。

昭和34年 現在の関屋堀割町裏の海岸道路のあたり。

ガス井戸からはパイプラインでどこかに集められていました。有明線の帝石前バス停は、ガスの充填所のあったところだそうですから、あの辺に集められていたのかも知れません。
上の写真に写っているのがパイプラインです。この場所は昭和40年代後半に掘りさげられて道路になりました。そういえば昔は新潟県の草地試験場がこの辺にあり、そのために今でもオーチャードグラスやウェットラブグラス等の様々な牧草をみることができます。

昭和34年頃  現在の関屋堀割町裏の浜辺

海岸線にも、とてもたくさんのガス井戸がありました。上の写真のガス井戸は6連装の大きなものです。
海岸線のガス井戸は、ガスを汲み上げるときの地下水が温泉のようでした。結構熱いお湯で鉄分が強いせいか真っ赤な色をしてました。湯気が出ているかどうかで、遠くからでも使っているガス井戸かどうかが分かりました。

地盤沈下が問題になったとき、ガスの採取(による地下水の汲み上げ)が原因にあげられ、ガス井戸もだんだんと姿を消していきました。