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赤谷線の思い出 |
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私の住む、新潟県豊栄市から、JR白新線で北へ向かうと、新発田(しばた)駅で羽越本線と合流します。新発田駅からは、東赤谷駅まで、全長18.9qの赤谷線がのびていました。
高校の頃は、登山などのために東赤谷へ行くのに赤谷線をよく利用していました。2〜3両編成のディーゼルカーが、約40分かかって走っていました。 休日には、結構、乗客がいたような気がしたのですが、赤字ローカル線のため、1984年3月に廃止されてしまいました。私は赤谷線のなかで、東赤谷周辺がとくに好きでした。静かで、のんびりとして、まるで箱庭のようなところでした。 |
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| 1975年4月 東赤谷駅 |
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| 私が赤谷線に最初に乗ったのは、1975年頃の春だったと思います。友人と二人で、東赤谷までギフチョウの採集に行った時でした。ちょうど桜が満開の時で、そのときの東赤谷駅周辺の美しさは、本当にすばらしいものでした。廃線になって久しく、今では色あせた写真と思い出しか残っていません。 |
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1975年3月ダイヤ |
| 121D |
123D |
125D |
6127D |
129D |
131D |
133D |
キロ |
駅名 |
122D |
124D |
126D |
6128D |
130D |
132D |
134D |
| 545 |
718 |
816 |
1307 |
1566 |
1730 |
1944 |
0.0 |
↓ |
発 |
新発田 |
着 |
しばた |
↑ |
708 |
754 |
939 |
1433 |
1701 |
1853 |
2103 |
| 551 |
754 |
822 |
1315 |
1543 |
1738 |
1950 |
4.1 |
〃 |
五十公野 |
〃 |
いじみの |
702 |
744 |
931 |
1425 |
1653 |
1847 |
2057 |
| 555 |
∨ |
826 |
1320 |
1548 |
1742 |
1955 |
6.5 |
〃 |
新江口 |
〃 |
しえぐち |
657 |
740 |
926 |
1420 |
1648 |
1843 |
∨ |
| 600 |
731 |
830 |
1324 |
1552 |
1746 |
2000 |
8.5 |
〃 |
米倉 |
〃 |
よねくら |
654 |
737 |
923 |
1417 |
1645 |
1839 |
2051 |
| 605 |
|
836 |
1329 |
1557 |
1752 |
2005 |
11.2 |
〃 |
新山内 |
〃 |
しんやまうち |
648 |
720 |
918 |
1412 |
1640 |
1835 |
∨ |
| 611 |
|
841 |
1335 |
1603 |
1757 |
2010 |
14.1 |
〃 |
赤谷 |
〃 |
あかたに |
642 |
713 |
912 |
1406 |
1634 |
1828 |
2041 |
| 625 |
|
855 |
1348 |
1617 |
1811 |
2024 |
18.9 |
〃 |
東赤谷 |
発 |
ひがしあかたに |
630 |
701 |
900 |
1354 |
1622 |
1816 |
2029 |
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| 東赤谷から先には、かって、鉄鉱石をとるための専用鉄道があり、このころには小さな電機の引くトロッコ軌道になっていました。まだそのときは赤谷線にも1日1往復の貨物列車が残っていて、数量の貨車を、DLが引いていました。 東赤谷駅は終着駅ですがスイッチバックでした。 |
| 構内は、以外と広く、給水塔と転車台があり、鉱山用だと思いますが、KATO製のディーゼル機関車もありました。駅員さんも、5〜6名いたような気がします。転車台は、1972年春までは、冬の間の貨物は、新津機関区のC11が引いていたので、そのころまでつかわれていたかもしれません。(C11だから、帰りはバックで運転していたかもしれませんが。) |
| 転車台の銘板がロンドン製となっていたのにはびっくりしました。この転車台は、後で、大井川鉄道へ持っていったと聞いています。 |
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東赤谷駅の転車台の銘板
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| 東赤谷駅の前は緩やかな傾斜地になっていて、(ほとんど空き家でしたが)鉱山の社宅がたくさん並んでいました。往時は、そうとうにぎやかだったとおもいます。駅前の道路に沿ってたくさんの桜が植えてあり、また、社宅のまわりにも多くの桜がありました。みる人はほとんどいないのに、それはそれは見事なものでした。 |
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赤谷線のサボ |
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赤谷線は、新発田駅をでると、Uターンするように大きく回り込み、後は、ほぼまっすぐに、終着の東赤谷駅へ向かっていました。
東中学校前、五十公野(いじみの)、新江口、米倉、新山内、赤谷、東赤谷の順に駅がありました。この辺は、秋になると熊がでてきて、時々新聞をにぎわせていました。 |
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| 私が赤谷線を利用したのは、4月から10月の休日に限られていましたが、この期間は、東赤谷近辺の山に上る人の利用が(比較的)多く、車内で見かけた人を、山の頂上でみることもよくありました。 |
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| 私も、車の運転をするようになると、時間の制約を受ける鉄道は、ほとんど利用しなくなってしまいました。それでも、年に数回は東赤谷へ行っていました。 |
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やがて、1983年に赤谷線の貨物もが廃止になり、翌1984年3月で赤谷線そのものが廃止になってしまいました。
現在、線路の跡は、道路やサイクリングロードになってしまいましたが、まだ面影が所々に残っています。しかし、あの沿線の、駅を中心としたのんびりとした雰囲気は、きれいさっぱりなくなってしまいました。
時々、廃線巡りで赤谷線を訪れるかたがいますが、線路跡以外は、ほとんどなにも残っていません。せめて東赤谷駅を残して、旧日中線熱塩駅のように、赤谷線の資料館にしていれば、赤谷線が気持ちのよい鉄道であったことを、わかってもらえたかもしれません。
私にも、ほとんど記録らしいものがありませんが、せめて写真くらいはきちんと整理しておけばよかったとおもいます。
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晩夏の東赤谷駅 |
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| Last Update 2000.02.20 |
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