NO.BIZ03-07 |
虹色ビジネスサプリ <覚悟を決める/自分を磨く> |
◆職業に貴賤はあるか
そもそも、職業に貴賤はない。「偉い仕事」というのは、つまりは給料が高いとか、能力や人気で選ばれた者だけが就ける
とか、そういった「ポスト」を示すようだけれど、その偉さは、たいていは賃金によって既にペイされているはずです。つ
まり、そういう「偉そうな仕事」をしたら、その分の高給を得ているわけで、それでその偉さは差し引かれているはずです。
もし、賃金は一切いらないというのなら本当に偉いと思うけれど、金をもらっているなら、それでいいじゃないですかと僕
は考えてしまう。例えば、国を動かす凄い仕事をしているといっても、それだけの金をもらっているのなら、それくらいし
ても当たり前ではと思います。下の者に命令ができる人が偉いわけでもない。命令をきく人たちは、その分の賃金を得てい
るから言うことを聞くだけだし、また、命令できるのも、それは単にその場に限って通用するローカル・ルールがあるだけ
のことで、要するに一種のゲームだと思えばわかりやすいでしょう。鬼ごっこをする時、鬼は別に偉いわけではない。怖い
から逃げているのでもない。そういうルールなのである。どちらの立場も、嫌ならいつでもゲームから降りることができる
のだから。
また、若い人は、「格好の良い仕事」に憧れる傾向があります。この格好が良い仕事というのは何なのか、僕には正直なと
ころわからない。例えば、デザイナは清掃業者よりは格好良いのだろうか。その理由を教えてほしい。建築家なんかも格好
良い仕事に含まれているようです。
◆偉大さ・大変さを捏造
こういった社会背景から、多くの人は深く考えもせず、仕事というものは「人の価値を決めるものだ」と信じている。どん
な職業かということで人の評価の大半を決めてしまっているのだ。だが、それははっきり言って間違いだし、これからはだ
んだん間違いは正されていくでしょう。最近では、以前に比べればであるが、私的情報を非公開にするのが当たり前になっ
てきたし、尋ねられても答えなくても良い場合は多くなってきた。こういう社会では、次第に職業というものの価値は下が
っていくはずです。それでも、子供には、「仕事は大事だ」「仕事は大変なのだ」というふうに大人は語りたがります。こ
れはもう、単に「大人は凄いぞ」と思わせたいだけのことで、大人のいやらしさだと断言しても良い。
子供は、学校で結構苦労している。勉強も大変である。僕は、社会人のしている仕事のほうが、学業よりも楽だと考えてい
る。どちらかといえば、子供のほうが大変だと思う。ただ、そう思わせては、子供もかわいそうだし、大人もやりづらい。
だから、やっきになって大人は「仕事の大変さ」を捏造しているのです。大人の何が楽かといって、仕事はやめられるが、
子供は学校は辞められない。また、事実上、子供の自由で学校は選べない。大人は仕事を選べる。これだけを取っても、子
供のほうが過酷です。仕事は基本的に自分の得意な分野であるはずだ。一方、学業は、不得意なものでも、(特に小さい子
供ほど)しっかりと向き合わなければならない。仕事が凄いものだというイメージを、まるでテレビコマーシャルのように
大人は作っている。実際に、テレビコマーシャルになっているものもある。例えば、「国を動かす仕事」とか、「未来を築
く仕事」とか、そういう言葉の印象だけで大きく見せる。まるで、それらが「ゲームを作る仕事」よりも「やりがい」があ
るかのようだ。そんなイメージを植え付けようとしているのである。
しかし、既に書いたことと一部重複するけれど、国を動かすとか、未来を築くとか、それは個人の力によるものではない。
そういう力を持っていると錯覚しているだけです。権力を握るのも、大きなお金を動かすのも、仕事上の立場、つまりルー
ル上に成り立つものであって、個人として特に偉いわけではない。「俺が国を動かした」と言いたいのかもしれないが、せ
いぜい、「関わった」という程度のものにすぎない。そんなことを言ったら、ほとんどの人が国を選挙を通じて動かしてい
る。巨大な橋の建設に関わった人は、大根を毎年収穫する人よりも偉いわけではない。そういうものに「未来」や「やりが
い」があると感じさせるのは、明らかに言葉だけのイメージで錯覚を誘っている。要するに「自慢できる仕事」みたいな他
者の目を気にした浅ましさに過ぎない。もし、個々の仕事に差があるとすれば、それは賃金の高低くらいだろう。賃金の高
い仕事は、能力が要求されたり、大きなな責任を問われるものだ。高ければ高いなりにリスクがある。だから、それだけ神
経を使う必要があって、体力的にも精神的にも消化するだろう。だから賃金が高い。逆に、誰にでもできるものは、賃金が
安くなる。このあたりは、商品と同じだ。
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