NO.JIN01-03 |
虹色人生サプリ <覚悟の決め方> --- 2022/09 |
「他人に迷惑をかけてはいけない」みんな、このように教育されて育ちます。この言葉には反対する理由がないから、誰も
がそういうものだと思っているのではないでしょうか。現実には、かけたくないと思っていながら、ついかけてしまうのが
迷惑ですが、「迷惑」については、一度きっちりと問題を整理しておく必要があると思います。どういうことかというと、
「人に迷惑をかけてはいけない」という考え方の背景には「迷惑をかけなければ何をしてもいい」という気持ちが潜んでい
る。私はかねがね、これが大きな問題だと思っています。迷惑というのは、かけられた方が感じることで、かけた方がどう
こういう問題ではないはずです。ところが、「迷惑をかけなければ何をしてもいい」は、かける側の判断が前提になってい
る。これはおかしい。
例えば、友人をご飯に誘うのは善意や友好目的である。しかし、誘われたほうが、「迷惑だな」と感じることがないとは言
えません。お腹がすいていないとか、別の約束があれば明らかに相手は困ります。そういう事情を気にせず、前後の見境な
くやたらと人をご飯に誘い、断られると怒るような人間がいたら、そんな奴は迷惑千万な存在です。しかし、その人間が迷
惑というものを、他人の身になって考えようとせず、自分の都合だけで判断していたら、よもや自分が迷惑がられていると
は思わないでしょう。世の中には、この種の人間が結構いるものです。余計なおせっかいも、そのひとつ。他人に対して
「迷惑をかけまい、かけまい」と思っている人間は、逆に人が自分にかけてくる迷惑に敏感になる傾向があります。
例えば、混んでいる電車の中でちょっと相手の肩に触れただけで、人を睨みつけるようなタイプ。「俺はお前に迷惑をかけ
ていないのに、お前は俺に迷惑をかけるのか」この種の狭量さが私は嫌いです。人間、どこでどんな風に他人に迷惑をかけ
るかわからない。人間関係は、ある意味で迷惑の掛け合いのようなものです。なるべく迷惑をかけないように気を配るべき
だが、それでも気づかず、かけてしまうことがあるに違いありません。だから「迷惑をかけまい」ではなく、「自分もかけ
るから、相手の迷惑も受け入れる」という態度で臨むのが、もっと友好的な態度ではないかと思います。「私は他人様に迷
惑をかけていない」などと言い張る人間は無神経極まる、存在自体が迷惑そのものだと思います。
よく、「年をとってから、子供に迷惑をかけられない」と言う人がいますが、そういう方には、「これまでさんざん迷惑を
かけてきたことを忘れて、今さら迷惑をかけたくないなんて変ですよ」と、言わせてください。別にその人たちを悪者にし
ているのではなく、そもそも人が生きるというのは迷惑をかけるということなのです。それに気づいていない人がたくさん
おられるんですね。誰の世話にもならずに生きていると信じきっている人が多いのです。
今日、野菜サラダを食べました。では、野菜は誰が育てたのですか?お百姓さんが育てたのですか?違いますよね。太陽と
土、水、微生物なのです。お百姓さんはそれを手伝っただけでしょう。これは事実ですよね。事実なんですが、面倒くさい
から普段はそこまで見ないだけなんです。
目が見えない人が、外出する際は、人に道を尋ねなくてはなりません。いろんな人のお世話になっています。たまに「ずい
ぶん人に甘えて生きているんですね」と非難がましく言う人がいるのですが、もし、私が言われた立場だったら、「その通
りです」とお答えします。そして「ところであなたはどうやって、目的地に行くんですか?」と尋ねると、たいてい、「自
分で案内板を見ていきますよ」と言う。では、その案内板は誰が設置したのかな? あなたが設置したわけではないですよ
ね?その案内板がなかったら、目的地に行くまでに苦労するはずです。だから、わざわざ案内板を設置してくれている人が
いるのです。もし案内板がなければ、あなたは不満・不機嫌になるのではないでしょうか?つまり、あなたも「ずいぶん人
に甘えて生きているんですね」と言わせていただきます。
私自身は、「ずいぶん、たくさんの人に思いっきり甘えさせてもらって生きているんです! いろんな人にいっぱいお世話
になっています」。これが私の人生観なので〜す!!
これからも、みなさんにご迷惑をかけますが、よろしくお願いしま〜す。
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