NO.JIN04-10 |
虹色人生サプリ <三日坊主>--- 2022/12 |
◆何ごとにも「実力」が要る
いざ始めてみると、始める前に思っていたこととは全く違う展開になることがよくあります。たいていのものは、思うように
は進みません。やってみて初めて、その大変さに気づくこともいっぱいあります。頼まれたときには簡単にできそうに思えた
ので引き受けたが、やってみると思いの外時間がかかってしまった。あるいは、思いついたときには、「これでいける!」と
ワクワクしていたのに、いざやってみると「現実はそんなに甘くなかった!」ということは、ほんとうによく経験するところ
です。昨年末には、「よし!来年からは」と意気込んでいたのに、いざ年が明け、早速かかろうとして、いきなりつまずいて
しまった、という人もいるでしょう。日記をつけよう、本や新聞を読もう、早く起きよう、運動しよう、反省をしようと意気
込んで掲げたのに、早くも「三日坊主」となって、自己嫌悪に陥っているかもしれません。
たいていは、「日記ぐらい書ける」「本ぐらい読める」と侮っているのですが、最初から、そうは簡単にいかないものです。
何ごとも、「それ相応の実力」というものが必要です。多くの人は、どこかで、「そんなことぐらいできるよ」と思い込んで
います。しかし、それは、大きな錯覚なのです。自分の納得するレベルでできるようになるには、誰でも、始めてからしばら
くは、集中して練習しないといけないのです。いきなり「質」を求めて、挫折していく人は、ここを勘違いしています。たい
ていのことは、能力の違いではなく、練習量の差なのです。この「練習を飛ばす」人は、「そんなこと!」も、実際にはでき
ないのです。
◆「三日坊主」の本質は?!
「三日坊主」という現象は、時代も年齢も関係なく起きるようです。この「三日坊主」には、二つのイメージがあります。
ひとつは、」や「ダイエット」のように、苦しいことを覚悟の上でトライしたのに、3日も持たなかった、耐えられなかっ
た、というものです。これは、「ギブアップした」という感じです。もうひとつは、「日記」や「運動」のように、自分から
絶対やるぞ!と意気込んで始めたのに、3日でやめてしまった、それ以上続けられなかった、ということです。こちらは、
「熱が冷めた」という感じでしょうか。ここで注意したいのは、どちらも「3日間はやったんだが」というニュアンスがある
ことです。
しかし、ここには、大きな錯覚があります。ごまかしと言ってもいいかもしれません。ほんとうは、「3日間もがんばれてい
ない」のです。もう少し言うならば、「たった3日間ですら、真剣に取り組んではいない」のです。ほんとうは、最初から負
けているのです。いや、戦ってさえいないかもしれません。予想外の苦しさが少し見えただけで、初日から逃げ腰になってい
るのです。たいていは、我慢できる範囲でしか我慢していないのです。これを「我慢」とは言いません。また、ちょっと思い
通りにいかないだけで、初回からやる気が失せてしまっているのです。簡単に諦めてしまうという癖が、ここでも出ているの
です。まだ、全力は出していないのです。まだ、力を振り絞ってもいません。「向いていない」と判断できるほど、量をこな
してはいないのです。そこまでは、真剣にやっていないのです。徹底的にやった訳ではないのです。
要するに、やろうとしただけで、まだ、何もしていないのです。ここには、「続ける」以前の問題があります。それは、何ご
とにも「一所懸命取り組む」という姿勢です。「手を抜かずにやってみる」という態度です。「中途半端にしない」という生
き方なのです。ほんとうにやりたいことを諦めるのを「断念」と言います。これは、「念い」を「断ち切る」という苦渋の決
断です。また、「残念」とは、諦めきれず「念い」が「残る」ことです。しかし、「三日坊主」の人には、この「念い」がな
いのです。したがって、うまくいかなくっても「悔しくもない」のです。
その程度の「念い」こそが問題なのです。中途半端な行動は、「念いの中途半端さ」を示しています。また、真剣にやってい
ないから、「念い」も乗ってこないのです。「やる気」があるから、いろんなものを始めることができるのですが、「やる気」
だけでは、自己変革し、人生を変えるほどのパワーはないのです。今年の抱負、誓い、目標には、「念い」が入っているでし
ょうか?
「三日坊主」になりそうなものを、一度だけ、手を抜かずにど真剣にやってみてください。
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