◆◆ 虹色人生サプリ ◆◆
 
「さじ加減」がわかれば人生の悩みは消える
NO.JIN05-14
虹色人生サプリ <自分を変える> --- 2022/12

 ◆「さじ加減」がわかれば人生の悩みは消える

 料理は「さじ加減」というものがで必要である。レシピ通りに作っても、人が違えば料理の味も変わる。さじ加減が変わるか  らです。さじ加減とは、さじにものを盛る時の加減のことである。医者が薬を調合する時、分量の加減に良く用いられます。  調合のさじ加減一つで、薬は効いたり毒になったりもする。医者が尊敬されるのは、薬のさじ加減一つで患者の生殺与奪権を  握っていたからです。人生にも、さじ加減がある。一定の年月を生きてくれば、自然に覚えるものだが、なかなか覚えられな  い人もいます。いま起きているいろいろな社会問題、例えばいじめとか、子供虐待とか、ストーカー行為などは、さじ加減の  わからない人たちによって引き起こされています。  さじ加減というのは器用さと直結しています。日本人は世界でも類例を見ない器用な国民です。このことは手先の作業を競わ  せてみれば、すぐにわかります。以前、テレビでアメリカの料理番組を見たことがあります。その場で女性の料理人が調理し  ていくのだが、包丁でニンジンを切る様子を見て、とにかく驚いた。日本のどんな不器用な娘でも、あそこまでひどい切り方  はしない。包丁さばきが絶句するほど下手でした。それを少しも恥じている様子がうかがえなかったから、向こうの人間は、  みんなあの程度なのだろうか。手先の器用さの延長線上に、さじ加減がある。さじ加減は一種の感覚だ。感性を研ぎ澄ませて、  「うん、これだ」と目分量で行う。西洋人が何かにつけて「何グラム」とか「スプーン何杯」と具体的な数字を挙げるのは、  さじ加減が全く苦手だからなのです。  ところが、日本人が先天的に持っているはずのさじ加減の妙が最近は見られなくなった気がします。なぜか。戦後、「西洋の  ものは進んでいて、日本のものは遅れている」という誤った考え方が普及したからだ。おかげで正常な視力なのに、近視矯正  の眼鏡をかけるような事態が生じました。例えば、鉛筆削りがそうだ。手先が器用な日本人はナイフで削っても大丈夫なのに、  鉛筆削りの普及に努めた。おかげで、子供たちはナイフできれいに削る器用さを失いました。手を切ると危ないからというの  で、母親も使わせない。かくして鉛筆をナイフで削れなくなったのです。賞味期限も同様だ。賞味期限表示がない頃は、食べ  物の匂いと、見た目と、味に頼って判断していた。それによって五感が研ぎ澄まされたのです。今は賞味期限を見るだけで、  五感を使わない。したがって、次第に五感が衰えてくるのです。子供たちのケンカも同じ。取っ組み合いのケンカを何度かす  ると、手加減ということを覚える。この程度なら相手に大ケガをさせることがないという感覚。今は取っ組み合いのケンカを  させないから、手加減がわからない。徹底的にやって、相手を殺してしまったりする。一事が万事、あらゆる分野で似たよう  なことが起きていて、微妙なさじ加減がわからない日本人を増やしてしまったのです。  これは困ったことである。今からでも遅くはない。私たちは、さじ加減を学ばなければならない。子供を叱れない親、上司と  うまく渡り合えない部下、恋愛しても結婚できない男女、下手なゴルフ、さじ加減がわかればその悩みはいっぺんに解決しま  す。大人になるとは、さじ加減を覚えることでもあるのです。
 

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