NO.JIN07-07 |
虹色人生サプリ <子育て> --- 2022/12 |
◆虚構が作るみんなが同じでなければという観念
みんなと同じことをしなければならない。学校へ行ったら一人でも多くの友達をつくらなければならない。力を合わせみん
なで成し遂げることが美しい。感動とは、みんなで一緒に作るものだ。それが現代の「良い子」たちである。
大勢が、「感動」をもらおうとして口を開けているヒナのように見えてしまいます。自分の頭の中から湧き出る本当の「感
動」を知らない。誰もいないところで、一日中ただ一匹の虫を見ているだけで、素晴らしい感動が得られることを体験する
ことができないのです。このような洗脳から生み出されるのは、「孤独を恐れ、人とつながる感動に飢えた人々」であり、
これはすなわち、「大量生産された感動」を買ってくれる「良い消費者」にほかならない。企業はこんな大衆を望んでいる
のです。社会は、こんな風にして消費者というヒナを飼育して、利益を得ているのです。言うなれば「家畜」である。私に
は、こんな大勢は眠っているように(意思がないように)見えてしまう。ごく率直な視点から眺めればそう見えるというこ
とです。
けれども、家畜はある意味で幸せかもしれないし、本人が知覚していなければ「寂しい」わけでもなんでもない。それはそ
れで良い。口出しするつもりは、私にはない。ただ、その家畜たちが、ごく少数のオタクを指さして、「あいつは寂しいな」
と笑うのは、間違いというよりも、滑稽だと感じるだけである。どちらが寂しいかという問題でもない。どちらも自分の好
きなようにすればよい。つまり、私がここであえて過激に書いたのは、少々のカウンタ・パンチを打たないと、気づかない
人が多いためです。大勢は少数を否定するが、少数は大勢を認めているのである。お互いが認め合うのが筋ではないのかと
いうことを言いたかっただけです。
商売の観点からすると、「寂しい」ことは、「売れない」ことであって、経営における死活問題になります。これが、商売
の生死観だ。だから、できる限り「寂しくない」ような演出をしなければならない。またも例が悪いかもしれないが、例え
ば、スポーツ選手が勝つために努力をするのは、非常に個人的な活動であり、そこには必ず孤独があるはずだ。けれども、
その選手が勝利したときのインタビューでは、「一人でこつこつとやってきた甲斐がありました」とは言えない。「応援し
てくれた皆さんのおかげです」といった言葉になるのである。それを聞いた子供たちは、「感動をもらった」というような
言葉を鵜呑みにして、「僕もみんなから注目されたい」と考えるだろう。そのスポーツ選手は、ファンがいなければ業界が
傾くから、宣伝文句としてそう言っているだけである。つまり、コマーシャルのキャッチコピーなのだ。年齢を重ねれば、
だんだんわかってくることでも、子供はそうは受け取らないという点を忘れないほうが良いでしょう。
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