◆◆ 虹色人生サプリ ◆◆

日本の医学は歪んでいませんか?
NO.JIN08-03
虹色人生サプリ <覚悟の決め方> ---- 2022/12

 ◆病気と仲良くする

 キリスト教の場合、病人の生き方は、端的に言えば、病気と闘え!になります。いえ、病気だけではありません。そこに老い  と死を加えるべきでしょう。人間は老、病、死と闘いながら生きます。それがキリスト教徒らしい生き方になります。でも、  勘違いしないでくださいよ。日本人は“闘う”と言えば、すぐ勝つことを考えます。勝つために闘うのです。しかし人間は老、  病、死に勝てるでしょうか。人間は死を克服できません。必ず死にます。だから、負けるのです。負けるために闘う。負ける  ことを承知のうえで、しかも雄々しく闘う。その闘いぶりにキリスト教徒は拍手喝采を送る。それがキリスト教徒の生き方で  す。だから、欧米のキリスト教徒を見てください。年をとれば、彼らはむしろ派手な服装をします。あれは老いと闘っている  のです。そしてがんになれば、がんと闘います。負けることを承知でがんと闘っているのです。それ故、欧米の医学は、病人  が病人のまま生きる手伝いをしています。しかし、日本の医療はおかしいですね。病気を治そうとします。病気に勝とうとす  るのです。がんになれば、がんと闘います。がんになれば、がんに勝てるわけがないじゃないですか。それなのに、日本の医  者の大部分はがんに勝とうとします。がんに勝とうとするあまり、すぐに患者の臓器を剔出してしまうのです。胃がんで胃を  剔出すれば、ある意味ではがんに勝ったことになりますが、でも人間として生きにくくなります。がんに勝ったが、患者は死  んだ。それじゃあ、勝つ意味がないではありませんか。  慶応義塾大学医学部放射線科講師の近藤誠先生は次のように指摘しておられます。やけどや心臓奇形などの手術に共通するの  は、人体の失われた機能や形態を回復することを目的としています。それ故、手術をすると、身体の調子は上向きます。がん  のバイパス手術でも、機能回復を目的とするので、成功すれば調子が良くなります。これに対し、臓器を切除する場合には、  むしろ機能を損ないます。したがって手術前より、日常生活が苦しくなる。切り取る範囲が広がるほど、体調が落ち、合併症  で亡くなることも増えます。拡大手術をしても、合併症が増えるだけで、生存期間が伸びないのは当然のことです。  ここで言われているのは、がんを含めてあらゆる病気に対して医学がやるべきことは、患者の日常生活が楽になるようにお手  伝いすることです。つまり、病人のまま生活できるようにすることであって、病気を治すことが医学の目的ではありません。  キリスト教の観点からすれば当たり前のことであって、近藤先生はその当たり前のことを言っておられるのです。ともかく、  キリスト教の考え方は、病気が治るか治らないかは神が決められることであって、人間にはそんな未来のことを決める権限は  ありません。人間ができることは、ただ現在をしっかりと生きることです。そして、現在をしっかりと生きるために、人間は  病気になると負けることを承知の上で病気と闘って生きます。それがキリスト教徒らしい生き方です。  日本の医学は、それからすると相当に歪んでいますね。がんという病気は、老衰のように楽に死ねる病気なのです。高齢者が  だんだん食べなくなっていって、痩せて枯れ木のようになって、格別苦しまずに眠るように死んでいく。そういう死に方がで  きるのががんなんです。そして昔は、そのような老衰死が多かった。かつて1918年には、人口10万人当たり178人が  老衰で死亡していました。ところが2001年には、10万人当たり25人でしかありません。総人口に占める65歳以上の  割合は、1918年が5%で、2001年が17%です。老齢人口が激増しているのに、老衰死は逆に減っているわけです。  どうして老衰死が減るのでしょうか? 死因ががんと診断される事例が増えたからです。がん、心臓病、脳卒中の3大死因の  うち、心臓病と脳卒中は発作があるので、昔も診断は容易でした。ところが、昔はがんが死因でも、わざわざ解剖しませんか  ら、がんと診断されずに老衰死とされていたので、老衰死が多かったのです。そしてがんは、実は治療しないでいると、老衰  のように楽に死ねる場合が多いのです。がんにかかると苦しむという印象があるとすれば、それは手術の後遺症や、抗がん剤  の副作用によって苦しんでいるのを、がん自体によるものと勘違いしているのではないか。がんを治療すると苦しむ別の原因  は転移です。例えば食道がんや胃がんで、原発病巣が増大して食事がとれなくなって死亡する場合には、痩せてきて老衰死の  形をとります。これに対し、手術して原発病巣を切除すると、延命効果がある場合もあるでしょう。しかし、その場合、転移  病巣が増大する時間的余裕を与え、移転のために苦痛が生じることにもなるのです。(例えば骨転移が来ると、結構痛い)。  したがって、老衰のような死に方を理想とするなら、がんを無理に発見して治療しない方がよい場合も多々あるわけです。要  するに、臓器を剔出すれば体力が弱るわけです。そして手術がうまくいって延命効果があっても、激しい痛みに苦しみながら  生きねばなりません。がんのまま死ねば、枯れるように老衰死できるのです。あなたはどちらを選びますか? わたしであれ  ば、老衰死を選びますね。仏教の考え方は、老、病、死を敵視しません。それどころか、むしろ老、病、死と仲良くしようと  します。  考えてみてください。人間は老いる存在です。今日、行政的には、65歳以上が「老人」とされています。そして65歳から  74歳までが前期高齢者、75歳以上が後期高齢者と分類されています。だが、人間は65才になって突然、老いるわけでは  ありません。すべての人が1年1年、1月1月、いや1分1秒ごとに老いているのです。老いつつある存在、それが人間なん  です。病気だって同じ。そりゃね、細菌やウィルスによって起きる病気もありますよ。でも、加齢によって起きる病気もある  のです。がんがその代表。人間150歳まで生きると、全員ががん患者になると言います。病みつつある存在、それが人間で  す。そして、死につつある存在、それが人間です。だとすると、老、病、死を敵視することは、自分自身を敵視することにな  ります。それは愚か者のすることです。私たちは、まず自分自身と仲良くしましょう。すなわち、老いと病気の自分をしっか  り肯定するのです。それが仏教的生き方だと思います。
 

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