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TBCラジオ「男女りすなあ若者語」初めての公開録音。当時、月曜担当だった、ちょ〜こ姉と二人、看護婦さんの格好で登場。(本物の看護婦さんから借りてきた。)
まだ、このときは「男女りすなあ若者語」オンリーでの公録ができるパワーはありませんでした。だから、富士通の電脳遊園地というイベントの一環として行われていたわけです。
ん〜っ、それにしても懐かしい・・・。
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おぉぉぉっ! |
これも懐かしいぞぉ〜!ちょ〜こ姉の後任の月曜担当のパーソナリティ・おまゆちゃんの初めての公録。記録的な台風で、初日は中止。おぉ〜い!
これはパーソナリティが全員揃った日の公録でした。
なんとリスナー動員数2,000人(!)でした。
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月曜日のパーソナリティが、育美ちゃんに変わっての公録です。
このときは、宮城県のイベント「みどりの祭典」でのトークショーでした。私は、なぜか「みどりの祭典」なのに「いちご」をイメージした衣装でした。(髪の毛はウィッグ)
男女りすなあ若者語が終わる年の新年特別番組での公開生放送での一幕。 でも、このときはまだ番組が終わるなんてこれっぽっちも思ってなかったのよ。 永遠に続くような、そんな気がしていた時期でした。
そうして迎えてしまった、男女りすなあ若者語の最後の公録。このとき、最愛の父が、危篤状態で毎日病院につきっきりだった。
私にとって、忘れられない時期です。
男女りすなあ若者語・サヨナラ公録 自分の立っている地面がすごく頼りなく思えてしょうがなかった。とにかく辛かったなぁ。 でも、明けない夜はない。辛いのは、次にやってくる幸せのための準備なんだよ、って自分に言い聞かせていた頃。 |
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いろんな事に、ありがとうの気持ちを込めての最後の放送。
考えてみれば、やり残したことやできなかったこと、もっと頑張れるのに!と様々な思いが交錯する。
でも、若りすを担当していた数年間、楽しかった。ただ、ただ楽しかったのでした。
このとき、父の死は確実なものになっていて、病院から直行でスタジオ入りしていました。放送中も、いつ父の死を知らせる電話が入るかと心配しながらの最後の放送。そうして仕事をする自分を「鬼のような娘だ」と、責めました。でも、人一倍仕事に厳しかった父だから、きっとわかってくれていると、そう信じるしかすべのない私でもありました。
この数日後に、父は亡くなるわけで、番組の終了を思うとき父の死を、父の死を思うとき愛していた若りすの終了を絶対に思い出してしまうのです。(だから、これを語らせるとすごく感傷的になってしまうの。許してちょ。)
私にとっては、一生忘れられない出来事なのね。どっちも。時が流れても風化しない、そんな痛い思い出です。