Rev020804(改訂)
小生のPC遍歴(笑)をちょっとばかり公開です。
主に1980年代前半から、1990年代末までです。いやぁ〜、車買える以上に使って増すねぇ、お金

ナイコン(死語)時代 1981−1982
いやー、この頃は楽しかったです。毎日がマイコン(当時はパソコンを「マイコン」とか、「パーコン」とか呼んでいました)をめぐる冒険の日々でした。
コンピュータなんて、車買うぐらいの気持ちでないと買えない状況で、当時中学生だった僕は電気店や、デパートで「マイコン」をさわる日々を送っていました。
秋葉原でAPPLEUの互換機「青りんご」とか、「VIC1001」なんか、ショーウィンドウに顔を押し当てるような「熱い眼差し」で見つめていました。PCが欲しくてI/Oを読み漁り、しまいには夢にまでみました。あれほどの「切望」は未だに体験していません。
当時人気があったのが、シャープのMZ−80シリーズ(MZ−80K/C/K2/K2E)と、NEC PC−8001であった。もちろん、少年たちは人気機種に群がりBASICや、アセンブラでゲームを入力したり、遊んでいたりしました。
小生は仕方なしに、タンディラジオジャック社のTRS−80とか、日立 BASICマスターレベルUとか「マイナーな機種」でBASICの勉強をしていたのでした。ラ製(ラジオの製作)の付録だったマイコンBASICマガジンを片手にリストを打ち込みまくって目が悪くなったのもこの頃です

FM−8購入 1982
中学2年生の晩秋だったと思います。親が息子を不憫に思ったのでしょうか、PCを買ってくれることになりました。当時の我が家の経済状況から考えると、かなりの冒険だったと思います。
わくわくしながら、MZ−2000とか、出たばかりのPC−8801、VIC−1001全方位的に調べました。でも、子供だったんですね。秋葉原でFM−8を勧められると、「おう、6809。究極の8ビットかぁ」などと、つい富士通に転んでしまいました。まぁ、それは、それで高性能なコンピュータだったんで良かったのですが、1ヶ月ほどの間にFM−7がFM−8の半額で、倍速というウルトラプライスで登場し、秋葉の「マ○電気」にだまされたような気になりました。
マシンのスピード差に悔しさを覚え、ツクモ電気(当時は九十九電気でした)オリジナルのFM−8倍速基盤なるものを購入し、FM−7並みの速度で動かしたりしていました。
そうなんです。この頃から、今で言う「オーバークロッカー」だったんですねぇ)
■ちなみに、このFM−8は、小生の実家に2002年になった現在もしまってあります。すでに我が家に来てから20年なのですわ。
PC−8801mkU購入 1983
■高校に入り、FM−8に加えてPC−8801mkUを買いました。(買ってもらったのですね(笑))
やはり、この頃からNECの製品が市場を席巻し、(布陣はすでにPC−8001でひかれていた)「PC−88にあらずんばマイコンにあらず。」的な感じでした。
購入したときには、フロッピーディスク装置(当時は1基¥60,000-)は実装されていないモデル10というのを選択しました。これでも、¥168,000−でした。当時大人気で、秋葉原のいくつもの店を親父と探し回って購入したのを記憶しています。
FDは松下製のものをあとで買足し、DISKBASICを利用してけっこうプログラムも書きました。
(ちなみに松下のFDは、LED部分が丸く、一時期TEACのFD生産が間に合わない、一時、NECが88に載せていた機種です。当時かなり安価でしたが、¥27,000−もしました)
その後、アセンブラを覚えていくのと、成績が落ちていくのがほぼ反比例していきました。(笑)
PC−8801mkUMRを中古で譲り受ける。1991.秋
■大学に入り、池袋の書店でアルバイトをしているとき、アルバイト仲間がPC−98を買うので、PC−88MR、ソフト40本で、25,000円で買ってほしい。といわれる。
この頃は金まわりもそんなに悪くなかったので、(バブルだったんですねぇ学生も)即OKし、使い始めた。音源が付き、mkUの倍速で動くMRで、いろいろなGAMEで遊んだ。ほとんどゲームマシンだったが、卒論を書くために使おうとしたとたん、壊れてしまった。
PC−9801DSの購入 1992.冬
■その頃、小生は大学生でした。
すでに4年生の秋で、就職は決まり、バブル(平成景気)も終焉を迎え、そろそろ経済が弱り始めたころだった。「卒論書かなきゃ!」ってことで、手持ちのPC−88でユーカラ使って「しこしこ」打ってたんですが、笑っちゃうほど「非効率的」。おまけにご機嫌ななめなのかすぐに暴走する。(上記88MR参照)
「こりゃ使い物になら!」てことで、当時アルバイトしていた池袋で、マシンを探し、購入。
ATは海のものとも山のものともわからない「マニアック」な時代で、「おっかない」ので選択肢から外し、国民機であるNEC 9801シリーズを選んだ。「カメラのサクラヤ」で値切り倒し、30万以上もしたものを、21万で購入した。(おまけに税込。店員さんが泣きをいれてました。)
もちろん、プロレタリアな人民の私は、40MBのDISKもついていない、PC−9801DS/U2を購入したのでありました。

自宅で使い始めると、無茶苦茶はやい!!
i386sx 16MHzだったんですが、あのときの感動は今も忘れられません。私がコンピュータ購入から離れていた5年の間に、こんなに技術的進歩があったとは思いもしませんでした。(そう、私は16bit機を持っていないんです)
卒論は、内容は別として、4太郎Dashと、このマシンのおかげでスピーディーに進みました。
98増設 1993.夏
社会人になり、給料をもらうようになると、うれしさのあまり増設に走りまくった。元来、物欲が強いところがあって我慢できなくなってしまうのだ。
地方に赴任し、車もなかったので、せっせとメモリを増設し(4MB+2MBで、5万もした。)、ハードディスク 200MB(¥69,800−、これでも、安かったんだぜ。くっそう!!)CPUをTI486に乗せ換えたりした。(アセットコアのVIPER P−28ってやつ。CPUに「パコッ」てかぶせるだけの便利なやつ。NICEなアイディアでした)
Win3.1をインストールしたり、けっこう遊ばせてもらった。でも、速度は麻薬。それ以上のスピードを求め水晶発振器(クロックオシレータ)を交換することにした。
98の昇天。そして、財布はからっぽに 1993.冬
子供の頃から半田ごては扱いなれていたし、それなりに自信もあったのでクロックの交換を実施した。当時は、今のようにジャンパで簡単に外部クロックなど変更できず、クロックオシレータそのものを物理的に交換する必要があったのだ。
9801の386機は、CPUクロックをシステムクロックから分周して作っていたので、386sx16MHzのシステムでは、31.xxMHzのオシレータが付いている。これを40.xxMHzのやつに交換すれば、20MHzのシステムになる。(シリアルも速くなっちゃうんで、通信はできなくなる)
早速、マシンを分解し、オシレータの足にはんだをあてがいました。
じわっと熱くなったところで、「ぐい」っとパーツを引っ張ると...
すべてが終わりました。階層基盤のランドごと引き抜いてしまったのです。加熱が弱かったのでしょう。それっきり、何をしてもDSはただのガラクタになってしまいました。
僕が98シリーズをメインマシンにしたのは、これが最後となりました。

ちなみにこの後、この98は、会社に落ちていたDA(i386DX 20MHz)の基盤に換装し、「DSの皮を被ったDA」として、メモリもMAXまで搭載し、2002年現在も自宅で息を潜めています(笑)
PC−98をあきらめ、AT互換機を作りました 1994早春
PC−9801DS/U2の改造に失敗し、しばらくの間、自宅にPCのない生活が続きました。
生き残ったパーツは、売り払い、いくばくかの金として残りました。2月に中古で買ったギャランが車検を迎え、千葉の実家に帰りました。車を引き取りに行き、その足で秋葉原に向かいました。
目的はただひとつ。AT互換マシンを組み上げるためです。
いくらかは知識を得てはいたものの、かなりの部分は未知の領域でした。
ロビン電子で、ケース、マザー、FD、ビデオボード、HDDなど、キーボード、I/Oボードなど必要最低限なものを購入しました。(この頃は、IDEつなぐのにボードが必要だったのよ)
つづいて、路駐したまま、他の店まで行きCPU(486DX 33MHz ¥8,000−)、4MB SIMM(70ns ¥12,500-)、VGAディスプレイ、OSなどを買いあさり、山梨に戻りました。
しめて、¥157,600−
【初のAT購入リスト】
MOTHER GA−486IM 14,800
ケース B−202 11,800
FD(2MODE) TEAC 4,800
CPU i486DX 33MHz 8,000
Memory 70ns 4MB SIMM 12,500
VIDEO GA−DPC2(PCI GD5434 2MB) 18,500
I/O SuperMulti I/O 2,900
DISK Cavier425(425MB IDE) 18,500
KEYBORD BTC 106キーボード 4,800
MOUSE MA−400PS 3,000
CRT ロジテック LCM-15 32,000
OS MS−DOS 6.2V 10,000
Windows3.1 16,000
合計 157,600
はじめてって、けっこう辛い
さっそく、組み立てるんですが、けっこう怖いんです。ATマシンの電源って、二口に分かれていて誤って逆に差し込むと、それだけでマザーが「お亡くなり」になるんです。
何度も馬鹿みたいにチェックしてから電源いれました。それでも、HDDとか、FDをちゃーんと認識するまで2日もかかってしまいました。(ケーブルの逆差しとかBIOSの設定の誤り)
ケースで「ずばずば」に手を切り血みどろの作業でした。(やっぱり文系なんだなぁ、俺)
動いて、DOSベースのOSが動いたときは感動しました。
組み立てた方は共感してもらえると思うのですが、なんか、自分で作ったものがメーカーのそれと遜色なく動くってのは、「ぐっ」とくるものがあります
ボーナスで増設 1994.夏
夏のボーナスが出たので、CD−ROMとCPUを買いに秋葉原へ行きました。
この頃には、IDE接続可能なATAPI準拠CD−ROMが普及し始め、高価だったSCSI機器接続の必要性がなくなったからです。
加えて、DX4 100MHzが安価になったので、全体のパフォーマンスを上げようと考えたからです。
雑誌の付録には、FD媒体から、CD−ROM媒体への移行もあり、最新版のソフトや、FREESOFTを利用するのに必要だったのです。
交換し動かすと、さすがにパフォーマンスがあがった。Win3.1も軽くなった。メモリの増設でDISKへ逃げることが減り、かなり、高速になったので大満足でした。

CPU I486DX4 100MHz 20,500
Memory 70ns 4MB SIMM 12,500
SOUND SOUNDEASY 8,800
CD−ROM WEARNS220(ATAPI 4倍速) 16,800
合計 58,600
95祭りと、CPUマザーの交換
■95年、PC業界では劇的な祭りごとがありました。Windows95の発売です。
記憶に遠いのですが、確か金曜日のことで、当然仕事があったので、秋葉原のにぎわいの中へ身を投じることはできませんでした。山梨のお店でも午前0:00に売り出すってので車で出かけました。さすが地方都市。集まったのは30人くらいで、そのうち半分くらいは「サクラ」だったようです。それでも、地方新聞社や、ローカルのTV局が取材に来ていて、私が互換機版の媒体を買ってる姿が新聞に載っていました。
さっそく、インストール。単純にTCP/IP関係がOSに付いてくるってのが気に入って購入したんですが、Win3.1にくらべてかなり使いやすいのに驚かされました。Win95導入後、DOSへ降りることがめっきり減りました。

使い慣れてくると、やはり、CPUを無茶苦茶使うので、DX4ではきつくなってきました。これを知り合いに8MBのSIMM2枚と交換し、Cyrix5x86(120MHz)を購入しました。こいつは、CyrixのPentium互換 6X86(M1)のサブセット版で、M1SCというコードで発売前から評判が高かったものです。Pentium75MHz〜90MHzぐらいのパフォーマンスを持っていました。
ただ、今までのマザーでは使えず、仕方なしにシャトルコンピュータのHOT−433というマザーを購入しなおしました。おまけにDiskを850MB追加し、しばらくは満足のいく形態を取ったのです。(1年以上、このスタイルが続きました)
MOTHER HOT−433 16,000
CPU I486DX4 100MHz 19,800
Memory 60ns 4MB SIMM 14,500
合計 50,300
デジタルカメラ購入 1997.4
■ホームページに「華」を添えようと、クレジットでデジカメを衝動買い。オリンパスのC400ってやつ。甲府のヤマダ電機で、特価¥16,800-也。さっそく持ち帰ったら、PCと接続するキットは、別売り。
「おいおい」ってな具合で購入したら、\12,800-...なんか「サギ」みたい...
性能は、まずまず。38万画素、320×240dotで36枚。シリアル接続。液晶モニタなし。まぁ、定価\49,800-もするものだから仕方ないか。
とうとうSocket7 1997.8
■6x86L(IBM版)が安価だったことと、マザーが甲府でも比較的入手し易くなったことから、Socket7を遅ればせながら導入。甲府のノジマで、ASUSU-Teckのボードを購入P54T4(?)。しかし、組み上げてから3ヶ月で知り合いに売り飛ばしました。なんでかっていうと、Cyrixの本来の機能を生かせるリニアバーストモードが、このIntelのチップセットでは実現できないから。ま、これを機会にATマシンはお終いにするのです。はい。

ATXマシンの製作 1997.12
1997年の年末。ボーナスをもらったのをいいことに、ATXマシンを組み上げました。
いやー、秋葉原は無茶混みでした。どこの店も「山手線ラッシュ状態」で、まるで、バーゲンセールに出かけてしまったようでした。購入したパーツ類は下記のとおり。

MotherBord FIC PA2010+
Video MATROX Mystique220
Sound  SOUNDBLASTER互換ボード
CD−Rom 12倍速(ミツミ製 ATAPI)
FDD 3.5インチ 1.44(ミツミ製)
もちろん、CPUは手持ちのCyrix 6X86L。Memoryは無印16MB×4(70ns)、Diskは今までの850MB×2、SCSIはTekram DC390を流用し組み上げました。
完成したマシンは左の写真のようなやつです。このMAC風の筐体って、けっこう人気があって秋葉原の多くの店でで売り切れていて探すのに苦労しました。(¥16,800− NT97ってやつ)
まぁ、個人的にはNECのExpress5800シリーズや、SGIのO2みたいなケースが好みなんですが、ないっすね。
作った感想ですか?ATに比べてやっぱり、ボードの相性(ケースに干渉する、しない)に悩まされないのが良かったですね。
でも、このケース、見た目はいいんですが、開けたり閉めたりするのが面倒くさいんです。
Cyrix 6x86Lと別れ、Intel MMX Pentiumに寝返る
AT時代からのCPU「Cyrix 6X86L(200MHz)」を流用して使っていたんですが、ひょんなことから、知人にMMX Pentium(233MHz)を頂き、載せかえちゃいました。
「俺はCyrixのちょっとマイナーな感じが好きだぁ、Pentiumなんかつかわないぜぇ」なんて暴言を吐いていたんですが、すっかり「寝返っちゃいました」(笑)
6X86Lは、外部75MHzの2倍。つまり、150MHzで駆動します。まぁ、83.3MHzの2倍で使ってたんですが...。でも、このPentiumは外部66MHzの3.5倍の233MHzで駆動します。マザーは同じですから、外部を83.3MHzまで持っていけばおよそ300MHz近くで動くはずです。「0.25ミクロンレールはクロックアップ耐性にとても優れている」って雑誌で読んだことがあったので、早速いろいろ実験してみました。結果は右の図のとおりです。ベンチマークにはHDベンチを利用しました。予想通り83.3MHzの3.5倍=291.6MHzでも、ちゃーんと動きました。さすがに、パフォーマンスは良いのですが発熱の問題があり、(ケースごと熱くなる)。「おっかない」ので規定クロックにもどしました。

CD−R購入。Goodな使い心地
CD−Rはつい最近、IODATAの型遅れのものを¥39,800-で購入したのですが、なかなか良いものです。
ここ1年の「お買い物」のなかで一番かもしれません。私の車はカーステレオが壊れて、CD1枚だけのデッキに入れ替えたのですがどうも、カセットデッキに比べると自分の好きな曲だけ集めたり、曲順を任意に変えたりできないので不満を持っていました。
CD−Rを購入してから、それもなくなりました。シングルCDで購入したものを集めて「懐かしの70年代特集」なんか作ったりして楽しんでいます。ZIPに集めたフリーソフトなんかもこれで焼けば大量に保存できます。 

Linuxをインストールしてみた 1998.4
■なーんか最近、PCの世界ってハード関係は別として「ソフトまわり」はつまらないですね。
やっぱり、MS帝国一辺倒だと、良くないんですね。
てなわけで(どういうわけ?)Linuxインストールしてみました。
まぁ、前に作ったPCでもインストールはしてたんですが、「Linux Japan」にRedHutがバンドルされてたもんだから、今度はこれでいって、みました。SlackWareより簡単なインストーラがついていて、とても楽ちんだったです。
おまけにGIMPをインストールしました。こいつはまだ、Ver0.99.××です。正式リリース前のやつだそうです。Adobeの「フォトショップ」的な機能をUnix上で利用可能にしています。
Configure、Makeは時間こそかかりますが、簡単です。ただ、なぜかライブラリが見つからんっていうんで困りました。シンボリックリンクはってみたけど、駄目なんで、もいちど、Libcを入れ直したら嘘のように動きました。どうして?
UNIX初心者の私にはまるでわかりません。
おまけに、雑誌についていたNetscpaeもRPMファイルをぶちこんでやりました。
でも、PPPはできません。うまく動いてくれないんです。画面はローカルのものです
キーボードを交換してみた 1998.5
98年5月の連休中に「秋葉原」に買い物に出かけました。実家の父に以前から私が持っていたパーツを組み合わせて「手作りパソコン」を一台くみ上げるためです。マザーだけは、AsusuのNT−97(?)を買って、Cyrixの無印6x86をのっけてあげました。うーん、このマザー、今使ってるFICの奴より高速なCPUクロックに対応してるもんで、そのうちチューンしちゃおうと考えてます。 さて、本題。良い機会だったので、今まで使っていたATキーボード(106)を親父にくれてやりました。ま、PS2コネクタに変換ケーブル通して接続するのも何かスマートじゃないもんですから。はい。
それで、自分用のキーボードがなくなっちゃったんで秋葉原で安いやつ探してみたんです。
すると、アキアと、コンパックのメーカー製キーボードがたたき売られてるじゃないですか!
アキアのが2980円だったのに、コンパックは2000円。即コンパックのキーボード買いました。使ってみた感想?んー、まぁごく普通のキータッチじゃないですか?基本的には僕は「カチッ」としたキータッチが好きなんですが、これはちと軟い感じがしますね
SCSIケースを購入 1998.8 
98年8月、いらなくなったSCSI2のハードディスク(壊れている)をもらったので、家に持ち帰り実験しました。捨てられるだけのことがあって、やはり「動きません」でした。
仕方なしにばらして中身を手作り互換機にぶち込んでみると動くではないですか。
「こりゃえーわい」と思い、近くのショップ(甲府のTZONE)に行ってSCSIケースを購入しました。(¥8.800−)
さっそくぶち込んで、使い始めたところ、ある事柄に気づいたのです。
それは速度です。いやー、「死ぬほど遅いんです。」「どーにも遅いんです」「ZIPぐらいか、それ以下なんです」。それでも、使ってる私は「もちろん、電脳乞食」です。

アートパッドで芸術する? 1998.9
■98年9月初旬、関連会社の若者たちが、日頃の私の布教活動(笑)の賜物か、「自作互換機やりたいんで、秋葉原に行きましょう!」ってんで買い物に出かけました。
いやー、朝早かったです。連中、7:30出発って「りきんで」いるんで、参りやした。
さて、本題。ちょっと前まで、PC−BANKがあったところにツクモのニューセンター店が拡張されてました。そこに、「あれ、IBM純正のアートパッドだ。¥9,800-」。甲府ではWACOMのが¥17,800−だったので、即買いました。やはり、WACOMのOEM品でした。
これで、コンピュータ上で「あーと」ができます。うーん。ほんとかい。


Celeron300Aマシンに作り変える 1998.12
98年も年の瀬、ボーナスも出たので、自作PCを来年用にアップグレードすることにした。
ほんとは、DISK増設だけで済ますつもりだった。(というのも、MMX Pen233は外部クロック83.3の3.5倍速、およそ300MHzで安定稼動しているし、SCSI機器をはじめ、すべての周辺がしっかりついてきていたからだ)
うーん、でもねぇ、しっかり仲間が新規に組み立てたり、アップグレードするんで、ついやっちゃいました。(仲間とは、12月23日に秋葉へ出かけたのよ。でも、IDEの4.3GBのDISKしか買わずにその場は我慢したんだ。まぁ偉い!)
12月29日に、仲間の車で秋葉原に乗り付けお買い物。っていうのも、小生、事故でBMWを一台潰して、車ないから...
最初は100MHz対応のSuperSocket7機でもこさえて「それでもSocket7で生きていく!」って題名のホームページでも作ろうかと思ったのですが、Celeron300Aも440BXマザーも値段が、Socket7で作るのと変わらないのよね、これが。
ってなわけで(どういう訳だ?)Celeronと、CL2のDIMMとをオウムの店で買い、嘘のように激安のRIVA−TNTをお買い上げになっちゃいました。(だーって、16MBのメモリつきで、税抜¥9,999っすよ。でもね、ほんとはG200とどっちにしようか悩んだのよさぁ)
最後まで悩むのがマザー。今までも「これは!」って思っても、いざ組み上げて使用してみると、
「どうもなぁ」って具合のが多い。ABITのBH6がBESTなんだけど、23日に来たとき、すでに後輩が購入している。「おたくな」まぴおにとって、同じボードは決して選択しないのが鉄則だ。
【今回の購入パーツリスト】
Celelon300A 9,930
DIMM (CL2) 64MB 9,780
RIVA-TNT(16MB) 9,999
CPU-FAN 2,580
P2BXA(Mother) 11,000
Disk(4.3GB IDE) 14,800
小計 58,089
消費税 2905
合計 60,994
(これで、失敗してるっちゅうのにね。)安価なボードを探し回ると、DCSっていう怪しげなメーカーのボードがある。BXチップセットで、DOSVパラダイスで¥1,1000−。
店の人は「Celeronねぇ。どうかなぁ」ってあんまり明確なお答えが頂けない。でも、まぴおの記憶では確か「Aztec」で300A、333対応って書いてあった気がする。えーーい買ってしまえ!
勢いだけで買いました。(AzよりDOSパラの方が安かったんですもの。ちなみに秋葉では、ひとつのマザー買うんでも、いろいろな店を回ることで、価格以外の情報も入手するのが常套手段)
さぁ作ろう! 1999.1
■そのまま、実家で年を越し、下宿に戻ったのが1/3。早速組み上げる。ざっと小一時間でケースに収まる。問題なく300MHzで立ち上がる。一通りこれで、OSを落とし込み、ベンチを取る。
まぁ、こんなもんかなぁって感じ。MMXに比べて劇的に速いとは思えなかった。仕方なしに、(?)BIOS上で外部クロックをいじる。83.3の4.5倍まで何の問題もなく、起動、ベンチも動く。でも、「あれ?外部クロック100MHzがないぞぉ」
そうなんです。このマザー、PenU(100MHz要求CPU)だけ、AUTOで100を供給し、Manualでは83.3までしか設定できないのだ。あきらめきれないので、DCSのサイトまでたどり着いて、確認すると、強制的に100MHzを選択できるジャンパが、改版されたマニュアルに記載されている
「なんだ、あるじゃん」ってな具合で、鼻歌まじりに、その場所をじっと見る。じっと見る。
んー、ジャンパがないんだな、これが。マザーそのもののバージョンが違うんだなぁ。
というわけで、450MHz実験はできません。100MHzノーウェイトのメモリも真価を発揮できない。
誰か助けて...。
Celeron300Aを450MHzで動かせ! 1999.1
■途方に暮れていると、関連会社のセンター長(親方)が「雑誌に記事がのってたよぉ、B21ピン。こいつで100MHzで動かせる」などと、謎の言葉を聞かせてくれた。早速帰宅してから、それらしい言葉をぶちこんでインターネットを泳ぎ回る。
ありました、ありました。
内容としては、要はCeleronのB21ピンをマスクすると、100MHzのCPUとマザーが判断するってものだ。さっそくマシンをばらし、CPUファンを外し、Celeronを裸にする。やにわにコンビにで買った極細マジック(¥110−)で、B21ピンを黒く、黒ぉく塗る。何度か重ね塗りしてから乾燥させ、逆の手順でマシンを組み上げる。
いきなり、起動。BIOSはAUTOなので、 バスクロック100MHzで動作しているはず。出ました、出ました「Celeron 450MHz」と。
  図【B21Pinの捜し方】 
そのまま、すんなり、Windowsも立ち上がる。HDベンチをかけ、確かに高速化していることを確認する。暴走の可能性もあるので、レタッチソフトを動かしたり、インターネットの海へ出てみたり、ほおって置いたりしたが、何ら不具合がでない。
はっきり言ってすんなり動きすぎて「面白くない
つづいて外部103MHz、113MHzと試してみるが、103MHzではWin98起動後落ちまくる。
113MHzでは、マシンが、ピーピー泣きを入れる。さすがに500MHzオーバーは、このままでは無理なようである。
電圧を上げることで動くような気もするが、まぁこの程度で許してやるのが「おとな」ってもんだろう。
それにしても、動作保証クロックの50%増しで平気で動くこのCPUの耐性には驚かされる。
うーーん、Celeron300A、いいCPUであります。