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最初観た時には見えなかった色んなものが、2度目に観た時にはっきりと見えてきた。 この映画では『事件の真相』とか『黒幕が誰』とか、そうことは問題ではない。 強烈な個性を持った主役の3人の男たちの『ポリシー』や『正義』が、 ひとつの事件に関わり、お互いが絡み合っていくうちに変わっていく様子が見事に描かれた作品なのだと思う。 |
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まず、ラッセル・クロウ演じるバド・ホワイト。 12歳の時、父親が母親を縛り付け、暴力を振るった上に殺害する姿を目の当りにした。 そのまま父親は出て行ってしまい、彼もまた父親に縛り付けられた状態で、 助けてもらうまでの3日間を、死んだ母の姿だけを見つめて過ごす。 父親への憎しみが彼が刑事になるきっかけとなり、女に暴力を振るう男には構わず制裁を加えて行く。 つまり、彼にとって『女に暴力を振るう男』全てが『父親』なのだ。 そして、職権乱用だと思われるほどの激しい制裁こそが、彼にとっての『正義』なのだろう。 『血のクリスマス事件』でのこと。 バドの相棒の刑事が、警官に暴行を働いて捕まった男たちに掴みかかった時、 それを止めようと真っ先に間に割って入ったのがバド本人だった。 しかし、その時男に“mother fucker”(字幕では、らしき表現はされていなかった)と罵られ、その瞬間にキレる。 ただ暴力的なだけの男、というわけではない。 普段は冷静にものを見極める目を持っているのに、キレると冷静さを失ってしまう男、それがバド・ホワイト。 |
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| そんなバドを『ただのゴロツキ』と馬鹿にしているのが、ガイ・ピアース演じるエド・エクスリー。 36歳で殉職した伝説の優秀な刑事を父親に持ち、父親を目標に警察官になった。 主席で警察学校を卒業し刑事課への転属を狙う彼は、仲間の不正をも告発する正義漢。 父親を殺した犯人は結局捕まっておらず、この世のどこかで平気な顔をして暮らしているのが許せない。 名前すら分からないその男に『ロロ・トマシ』と名付け、世の『ロロ・トマシ』たちを逮捕しようと意気込む。 一見『真の正義の男』に見えるが、実はそうでもない。 彼の本当の目標は『出世』であり、頭のキレる彼は常に自分に対する利益を計算して行動するのだ。 つまり彼にとっての『正義』とは、自分に対する利益=出世なくしては語れない。 なりふり構わず行動するバドとは全く正反対の計算高い男、それがエド・エクスリー。 |
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そして、ケビン・スペーシー演じるジャック・ビンセンズ。 彼はロス市警の活躍を描いた人気TVドラマ『名誉のバッヂ』のテクニカル・アドバイザーを務める異色の刑事。 その裏ではハリウッドスターの暴露雑誌の記者シドと結託し、逮捕劇をスクープさせては金を取っていた。 彼には『正義』なんてものはない。しかし、金が欲しくてそんなことをやっているわけでもない。 現にシドからせしめたばかりの50ドルを、『靴でも買え』とエドにあげてしまおうとする。 それなら、なぜそんな事をしているのだろうか。 ジャックはエドから刑事になった理由を尋ねられた時、『忘れた』と答えた。 かつては彼にも彼なりの『正義』があったに違いない。 しかし、『名誉のバッヂ』のテクニカル・アドバイザーを務めるようになり、 華やかなハリウッドの世界に足を踏み入れるうちに、いつしかそれが彼が刑事をやっている理由になってしまった。 あるいは・・・・彼はハリウッドスターになり損ねて刑事になったのかもしれない。 しかし、刑事になってもその華やかな世界への想いは断ち切れなかった。 やがてその夢は形を変え、『名誉のバッヂ』のテクニカル・アドバイザーとして花開いた、とも考えられる。 だからそれを続けるためなら、どんなことでもする。でなければ、彼には刑事をやっている意味などないからだ。 一方、裏ではスターの不正を見つけては逮捕することに快感を覚えている。 映画館をバックに俳優を逮捕しているシーンを写真に撮らせ、優越感に浸っている。 華やかなハリウッドスターに対する憧れと妬みを持ち合わせた男、それがジャック・ビンセンズ。 |
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3人の男たちに共通しているのは、確固とした『ポリシー』を持っており、 それが本能的に彼らを行動へと導いているということだ。 しかし『ナイト・アウル・カフェ』で起こった惨殺事件をきっかけに、3人の『正義』の形は微妙に変化していく。 この作品の陰の小道具は『眼鏡』である。 刑事課への転属を申し出たエドは、上司のダドリー・スミス警部に、 『刑事課に転属したいなら、眼鏡を外せ』と再三言われる。 なぜ、そんな必要があるのだろうか。刑事なら、どんな細かい証拠も見逃してはならないはず。 ダドリーは頭のキレるエドを恐れていた、と私は解釈する。 『眼鏡を外す』ということは、エドに真実を見せないためではないだろうか。 現に、眼鏡を外して行動していた時のエドには真実は見えていなかった。 『ナイト・アウル・カフェ事件』の真犯人が黒人3人組みではないと知った時、エドは愕然とする。 自分が事件解決を称えられ、受けた勲章は何だったのか。 自分に対する利益=出世の上にのみ成り立っていたはずの彼の『正義』が揺らぐ。 『真の正義』に目覚めた彼は、貰った勲章をフイにすることになってもこの事件を解決しようと決心する。 そして、再び眼鏡をかけて行動を始めたエドには色んなことが見えて来るのだった。 彼は事件を再調査するため聞き込みに回るが、そこをすでにバドが先回りしていることを知る。 エドは、『ただのゴロツキ』としか思っていなかったバドのことを見直すと同時に、 バドへのライバル心が煽り立てられる。 バドの行動を知りたいエドはジャックに協力を要請する。 バドを尾行し、手柄を横取りしようという計画だろうか。 そんなエドに、普段ならジャックは頼まれても協力などしないだろう。 しかし彼はその時、自分が引き起こしたひとりの若き男優の死によって気持ちが変化していた。 ジャックは『やらせ』をしようとしたことを後悔していた。 だから、シドを待たずに一人でモーテルへと出向いたのだ。 夢ある若き男優の芽を摘み取ってしまおうとしている自分自身が嫌になったのだと思う。 しかし、その男優を止めようとして入ったモーテルの部屋で、彼が殺されているのを見つける。 そして、ジャックはその時『正義』に目覚めるのだ。 それはかつては自分が持っていた『忘れていた正義』かもしれないし、 無念の死をもって夢を果たすことが出来なかった若き男優に自分の姿を見て、 その夢を奪った『ロロ・トマシ』への怒りが芽生えたのかもしれない。 バドを尾行して、ベロニカ・レイク似の美しい娼婦リン・ブラッケンの元にたどり着いたエドは、 またもやバドに出し抜かれた悔しさを味わう。 おまけにリンから『彼とは寝たくて寝た。あなたとは正反対の人だから』などと言われ、 カッと頭に血が上り、力ずくで彼女を押し倒してしまう。 いつも計算でもって行動をしていたエドが、計算では行動できなくなってしまった瞬間だ。 しかし、それは『ロロ・トマシ』によって計算されていた出来事だった。 エドに協力して捜査を進めるうち、ジャックは『ロロ・トマシ』の正体に気付く。 そして危険をかえりみず、単身で奴のところに乗り込む。 なぜエドにそれを打ち明ける前に、火がついたように飛び出して行ってしまったのか。 恐らく突然に目覚めてしまった『正義』によって、彼は正常な判断力を欠いてしまったのだろう。 そして、彼はあっけなく殺されてしまう。 『ロロ・トマシ』の仕掛けた罠に掛かってしまったバドは、 わき目もふらずにエドと寝たリンの元へと駆けつける。 そして女に暴力を振るう男を許せないとする彼が、リンを力任せに殴り付ける。 彼は自分の中に確固として保ってきた『正義』を、自分自身の手によって崩してしまうのだ。 気持ちが収まりきれないバドは、今度はエドの元へと駆けつける。 バドは既に理性を失った獣と化し、エドを殺さんばかりにと襲いかかった。 しかしエドから黒幕の正体を聞かされ、ようやく冷静さを取り戻すと、 今度は怒りの矛先が『ロロ・トマシ』に向けられる。 自分が守ってきた『正義』を罠によって崩させた『ロロ・トマシ』こそが、真の敵であると分かる。 そして自分の『正義』を崩した黒幕を自らの手で片づけることが、彼の新たな『正義』になるのだ。 物語の冒頭で刑事課への転属を申し出たエドは、上司のダドリー・スミス警部に、 『丸腰で背中を向けた犯人に引き金が引けるか?』と尋ねられ、『出来ない』と答えた。 それが彼の『正義』だったからだ。 しかしクライマックスで、エドは降伏した『ロロ・トマシ』を背後から撃ち殺す。 その瞬間、彼の中で一連の事件の黒幕の姿が父を殺した男の姿と重なったのだ。 彼の父を殺した『ロロ・トマシ』に対するやりきれない怒りが、一発の銃弾に込められた。 事件を通して微妙に変化し続けてきた彼の『正義』は、完全に形を変えてしまったように思えた。 しかし、エドは最後にとんでもない計算をする。 『ロロ・トマシ』の正体を永久に葬り去ることと引き換えに、 自分を英雄として表彰することを申し出るのだ。 『正義』を守るために警察を辞めて事件の真相を暴いたところで、その先彼には何の得も無い。 『ロロ・トマシ』は死んだ。だから、今度はそれを利用する。 よくあるハリウッド映画のヒーローたちは決してそんなことはしないだろう。 しかし、彼が『真のヒーロー』になりきらないところがこの作品の面白さなのだと私は思う。 『confidential』=『極秘』 1度目に観て黒幕の正体を知った時、私は面白くないと思った。 しかし2度目に観て、彼が黒幕であるからこそ、そしてエドが『真のヒーロー』にならなかったからこそ、 この『L.A.confidential』は成立するということが分かった。 ラストシーンで、バドはリンと一緒にアリゾナへと旅立つ。 愛を知ってしまった彼には、もう命を張ってまで刑事を続けることは出来まい。 『世の暴力を振るう男から女を守る』という彼の『正義』は、 『たった一人の女を守る』ということに形を変えて完結した。 エドの『正義』は、これからどう変化するのだろう。 それはこの物語の中では語られず、映画を観た人の想像に委ねられている。それでいいと思う。 ジャックの『正義』も決して無駄にはならなかった。 エンドロールが全て出終わったあとに『名誉のバッヂ/ジャック・ビンセンズに捧げる』という文字が出る。 何というセンスの良さだろう。 彼がこの事件の英雄であることは、TVドラマ『名誉のバッヂ』の視聴者は誰も知らないはず。 しかし、映画『L.A.コンフィデンシャル』を観た人は知っている。 つまり『L.A.コンフィデンシャル』を『名誉のバッヂ』の1話として同化させて完結させたのだ。 この映画には余計なセリフは一切ない。 だから、主役たちの気持ちは非常に分かりにくかった。 しかし改めて観てみることで、その気持ちの表現力が素晴らしいことに気がついた。 主役の3人の行動ひとつひとつが、セリフなしで彼らの気持ちを表現していたのだ。 最近のエンターテイメントの中では、突出して完璧な人間ドラマを描いた作品だったと思う。 全米であれほどまでに評価された理由が、2度観てようやく分かった。 |
1998.08.23.
By Maruko