2001年奄美の旅3(2001.12.22 - 12.24)



12月24日(日)晴れ時々曇りところによってにわか雨

朝の虹 朝食前に、ペンションから下の海岸に下りて日の出見物に行きました。ペンションのすぐ下は、奄美でも指折りの美しさをほこるビーチ、土盛海岸です。そこからは東のほうに喜界島の島かげが見え、朝日もそのあたりから昇ってきます。ちょっと雲が多くてきれいな日の出写真は撮れなかったのですが、空にはまたきれいな虹が……

2日連続で虹を見たのがこれは初めて。奄美は虹の多いところなのかな。確かに雨の多いところだし、ハワイも「虹の島」として有名だけど、なんとなく似たところがあるのかも。

朝食をいただいてから、きのう連れて行ってもらった「あやまる岬」まで歩いていくことにしました。おばちゃまに教えてもらった海岸沿いの遊歩道をてくてく歩いていくと、やがて「あやまる岬」に到着。昨日は時間がなくてじっくりと見られなかったソテツ林の中に入って見ました。

ソテツ自体はうちの近所でも鉢植えにして育ててる人がいるし、珍しい植物ではないのだけど、ここ奄美までくると、やっぱり本来の気候の中で育ってるせいか、なんだか勢いが違う。ずっと元気でエネルギーに満ち溢れた生き物に見えます。頭のてっぺんに赤いソテツの実を満載してるのもたくさんいます。それが何百という単位でかたまって生えてるわけだから……なんだかちょっと不気味。こいつらなんか動き出しそうでコワイなぁ、と思ったとたんに「ウルトラQ」を連想したわたしって……(^^;)

ソテツ林

だって、キモチワルイじゃない、こんなにいると。

のんびりと土盛海岸まで戻ってくると、数人の観光客が海岸にたたずんで海を眺めたり写真を撮ったりしていました。その中のふたりになんか見覚えが……なんと、おとといの夜「かずみ」で一緒になった関西からの二人連れでした。彼女たちはあの後奄美大島の南のほうをまわり、昨夜はリゾートホテル「ばしゃ山村」に泊まったとのことです。ふたり連れだとオプショナル・ツアーもあるので、行動範囲がひろがるんですよね。ちょっぴりうらやましい気も。というより、本当は自分が免許取って、レンタカー借りればいいんですけどね。ふだん首都圏で暮らしていると、車の運転なんて別段必要は感じないのだけど、こういう時はちょっと不便だなぁと思います。
12月とは信じられない海の青さ。 土盛海岸

彼女たちと別れてブルーエンゼルに戻り、おばちゃまに空港まで送っていただきました。荷物をあずけ、空港のレストランでお昼を食べることにします。ここでも「鶏飯」を食べられないことはないのですが、さすがに3日連続、という気にはならないので、「ゴーヤー丼」を注文。炒めたポークとゴーヤーが卵とじになって、丼のごはんにのっかっているというもので、なかなかイケます。

ウィン君のお見送り

ウィン君のお見送り
ゴーヤー丼

ゴーヤー丼

まだまだライブの開催には時間があるので、空港から58号線を名瀬方向に歩いていきました。しばらくすると、和野という集落がありました。集落のたたずまいはなんとなく石垣島の白保に似通った雰囲気があります。集落の道を抜けていくと、やがて海岸に出ました。奄美空港の滑走路となっている人工島の端が、すぐそこまで来ています。

和野の家1

奄美の一般的な家。
屋根はトタン葺き。
和野の家2

ちょっとリッチな家は重厚な瓦葺き。
なぜかシャチホコまで……
和野の猫

にゃんだよー。
ハブに注意

「ハブに注意」
公民館前のポスター

もときた道を戻っていくと、空港の手前で、さきほど集落の入口ですれちがったおばあちゃんふたり連れを追い越しました。そこで初めて、ああ、おばあちゃんたち、空港ライブを見に来たのかぁ、と思い当たりました。和野という集落は、空港と奄美パークのちょうど中間あたりにあります。このおばあちゃんたち、奄美パークでなにかイベントがある時も、こんな感じでてくてく出かけて行くのかもしれません。

空港に戻ってみると、ライブ会場の設営がすんでいました。
空港ロビーの左端には、アイノコ(合の子舟。奄美の板付舟と沖縄のサバニの中間の形なのでその名がある)という木造の舟が置いてあり、そのまわりが花や植物で飾られているのですが、それをバックにするような形でステージが作られ、その前にパイプ椅子がずらりと並べられています。中央には通路があって、その通路に沿った椅子の背にはずらりと「敬老者席」と書いた紙が貼られています。

どこにすわったらいいのかわからないので、とりあえず最後列の右端に腰をおろして開演を待ちましたが、次々とやってくるお年寄りによって、周囲の席はすべて埋まってしまいました。一方、パイプ椅子の席の右側、使われていない搭乗手続きカウンターの前には青いビニールシートが敷かれ、そこには「園児席」と書かれた紙が貼ってあったのですが、やがてそこには島の保育園の子供達が続々と……気がつくと「お年寄りと子供達」に囲まれる形になってしまって、自分がなんだかすごく場違いな気分。ふだん東京で聴きに行っているライブとは、ずいぶん空気が違います。
門松

空港ロビー入口
子供達

始まる頃には、ここが子どもたちでいっぱいに……

やがて、空港ターミナルビル会社の社長さんの挨拶があって、ライブの第一部がはじまりました。トップバッターは中孝介くんによる「朝花節(あさばなぶし)」。龍郷柄の大島紬で仕立てたチャイナドレス姿の中村瑞希さんがハヤシをつとめます。それから繰り広げられたのは、西和美、貴島康男、当原ミツヨ、坪山豊による島唄の競演。

坪山豊&当原ミツヨ

ベテラン二人組
坪山豊&当原ミツヨ
坪山豊&貴島康男

師弟の競演
坪山豊&貴島康男
貴島康男&中孝介

貴島康男&中孝介
貴島康男&当原ミツヨ&中孝介&西和美

貴島康男&当原ミツヨ&中孝介&西和美
まわりのお年寄りは、唄の途中でも1コーラス終わるごとに拍手をします。わたしはあれっと思ったのですが、みんなごくあたりまえのように、一番が終わると拍手、二番が終わると拍手……これは奄美独自の風習なのでしょうか。もしかしたら、一番ごとに歌い手が変わる、あの唄掛けのスタイルなどとも関連しているのかもしれません。

坪山さんの「あやはぶら節」と「ワイド節」を聴いた時は感動しました。この2曲とも、中野の沖縄居酒屋「山原船」のマスター愛蔵さんがよくうたってくれた唄で、前々から「いい唄だなぁ」と思っていました。沖縄ではなく奄美の唄だというのも、愛蔵さんが作曲者である坪山さんに教わったんだというのもずいぶん後になって知ったのですが、まさか本人のナマ唄が聴けるなんて思ってもいなかったのですから……

奄美で必ず最初に唄われる「朝花」の一節に、

 拝(うが)まん人(ちゅ)む 拝(う)がで知りゅり
 神ぬ引逢(ひちゃ)わせに 拝まん人む 拝がで知りゅり
 (神様の引き逢わせによって見知らぬ人にも出会い、親しくなるのです)

という一節があるけど、本当に出会いって不思議なものだなぁ、と感じずにはいられません。

奄美の唄者たち

唄者の勢揃い
(左から貴島康男、当原ミツヨ、中孝介、西和美、中村瑞希、坪山豊)

さて、このようにさまざまな唄のステージがくりひろげられている間、右端の「園児席」の子どもたちはというと、みんなお行儀よく唄に聴き入っています。中には保母さんの膝を枕に、すやすやと眠りこけている子もいましたが……
さすがは奄美、こうやって子どものころから島唄を聴かせて、自分たちの島の文化に親しませているのだなあ、とわたしは思っていましたが、そーんな認識はまだまだ甘かった。

第一部の終わり、奄美民謡の若手三人組(貴島康男、中村瑞希、中孝介)が三味線を持って舞台に並ぶと、司会進行もつとめていた坪山さんが言いました。

「ではこれから、お兄さんやお姉さんの三味線にあわせて、子どもたちがうたいます」

なにーっ? この子どもたちが島唄を?

実ははじめのほうで「後で子どもたちにも歌ってもらいますから」というアナウンスはあったのですが、一応クリスマスコンサートなんだから、クリスマスソングでもうたうのかな、などとうかつにも聞き流していたのです。ところが子どもたちは、坪山さんのひとことを聞くとしゃんと立ちあがり、姿勢を正して、三味線に合わせて「行きゅんにゃ加那節」をうたいはじめました。

 ♪行きゅんにゃ加那 吾きゃ事忘れて 行きゅんにゃ加那……

恐るべし、奄美。

しばし休憩の後、第二部が始まりました。子どもたちは一部が終わると帰っていったので、わたしは後からきたおばぁちゃんに席をゆずってビニールシートの上に移動しました。今度は「ちぢん(鼓)」と呼ばれる奄美独特の太鼓も入り、踊り手も出ていちだんとにぎやか。
会場の雰囲気もどんどん盛り上がり、やがてフィナーレの「六調」に突入しました。客席から立ってきたじいちゃんばあちゃんも、踊り手の女性たちも、空港ターミナルビル会社の社長さんも、入り乱れて踊ります。

六調を踊るオバァ カチャーシーでも六調でも、主役はやっぱりオバァだ。

ライブ終了後、ロビーには募金箱が置かれました。今日のライブはチャリティーのイベントなので、入場は無料。そのかわり、集まったお客さんには募金をお願いするというわけです。もちろんわたしも、しっかり募金させていただきました。

飛行機の出発時間まではまだまだ余裕があります。ロビーでぼーっとしててもしかたないので、名瀬に向かうバスに乗り、途中の「ばしゃ山村」で降りてみました。奄美では代表的なリゾートホテルなのですが、意外にこじんまりとした所です。実はこのすこし先に、「一反ガジュマル」という大きなガジュマルの木があり、そこに中島夢元さんという陶芸家が開いた「夢紅(ゆめくれない)」という工房兼ギャラリー兼喫茶スペースがあります。わたしの第一の目当てはそこだったのですが、たまたまオーナーが外出しているらしく、お店は臨時休業。残念。

「ばしゃ山村」に戻って、おみやげ屋ものぞいてみましたが、空港の売店とさほど変わりません。

奄美のお土産をいろいろ見ていると、「奄美としてのオリジナリティ」を出すのに苦労している様子がよくわかります。黒糖やトロピカルフルーツ、自然塩に海産物……このあたりはどうしても、沖縄とイメージがだぶってしまう。かといって大島紬は、ホンモノはとんでもなく高いし、お土産として手頃な値段の「なんちゃって大島紬」ではいかにも安っぽい。

奄美といえば「アマミノクロウサギ」が有名なのだから、大々的にキャラクター商品でも出してるかと思ったら、意外にそういうものは見あたらない。実は「アマミノクロウサギ」は耳の短いウサギなので、下手に造形するとネズミと見分けがつかない、カワイクナイ、という致命的な難点があったのでした。

頼みの綱の大島紬も実は奄美大島の専売特許というわけではなくて、鹿児島産だってあるし、最近では韓国産も国産に迫る上質で安価なものが出てきた、ということで、奄美の前途は多難です。でも、まだまだ奄美には隠れた魅力がありそうなので、がんばってほしいなぁ……
というより、もうちょっと安い値段で気軽に行けるようになってほしいんだけど。

「ばしゃ山村」のビーチに降りてみました。日もだいぶ傾いてきて、ビーチでは男の子がふたり、波打ち際で足を濡らしながら遊んでいます。
ホテルの建物のほうから、民謡でも流しているのか三味線の音が聞こえて来ました。波音の合間にかすかに聞こえる三味線の音も、なかなかいいものです。

ばしゃ山村ビーチ

夕暮れのばしゃ山村ビーチ

さて、そろそろ空港に戻りましょうか。帰りは鹿児島経由だから、晩ご飯は鹿児島産黒豚のカツ丼かな。