マレビトとは……

 

マレビトの定義

マレビトとは、客人をあらわす言葉「まろうど」の、古い形の言葉です。国文学者で民俗学者の折口信夫が展開した「マレビト論」のおかげで、民俗学のキーワードとなりました。

 折口信夫は、さまざまな地方に伝わる祭りや伝説などに共通して現れる「村の外からやってくる者」を、マレビトという言葉でまとめました。たとえばお盆にあの世から帰ってくるご先祖様も、東北のナマハゲも、沖縄の八重山地方で豊年祭に出現する「ミルク神」も、みんな「マレビト」の仲間です。それだけではなく、普通の人間も時には「マレビト」として、準神様扱いされることもありました。たとえば遠い所からやってきた旅人。昔は旅人を歓待することは、ごくあたりまえの風習でした。それがどんな様子だったかは、たとえば「世界ウルルン滞在記」などのTV番組を見ていると、なんとなくわかるような気がします。

マレビトはみんな、ある種の力を持っていると考えられていました。それはマレビトがそこの共同体に属さない、異質の存在であるがゆえの力。それは必ずしもよい方向に働くとはかぎりません。時には村に災厄をもたらすマレビトもいたのです(ちなみに「疫病神」もマレビトの仲間)。

さて、現代の代表的なマレビトといえば、それはやはり観光客ということになるでしょう。観光地にお金という具体的な富をもたらす存在でもあり、訪問先の生活をひっかき回し、自然を破壊する困った存在でもあります。今は、人間誰でもすぐにマレビトになれる時代。できるものなら、「悪いマレビト」よりは「良いマレビト」になりたいものです。


マレビトの心得

さて、よいマレビトになるために、わたしが心がけていることがあります。

事前の情報収集を怠らないこと

わたしはどちらかと言えば、予備知識もなくいきあたりばったりな旅のありかたには批判的な立場です。確かに未知のものと出会う衝撃は旅の醍醐味かもしれませんが、「マレビト」を迎える「ムラビト」にとっては、なんら得ることがないばかりか、迷惑をこうむることだってある。そういった客の対応に慣れ、一定のマニュアルができている観光地ならともかく、普通の人の普通の暮らしの中に分け入っていくような旅の場合は、やはりそれなりの配慮が必要だと思うのです。

観察眼をとぎすましておくこと

まわりの環境の変化に鈍感だと、せっかく出会ったものを見落としてしまう可能性もあります。勝手のわからない場所に行っても、そこの人たちの表情を見ていれば、何がやっていいことで何が悪いことか、だいたいは見当がつくというもの。特に外国に出かけた場合、この能力は大切です。

自分とはまったく違った価値観に出会った時も、うろたえないこと

世界は広い。何かあるたびにパニクってたら身がもたない。違いを違いと気づく感受性とともに、その違いに驚いたとしてもそこで冷静な判断を失わないこと、これも旅人には大事な能力。

そして自分と相手の価値観の違いがどこから来るのか、考えてみること

ただビックリしているだけではだめ。それでは「あそこは変な所だ」で終わってしまう(それは下手をすれば偏見のはじまり)。自分の価値観とは違っても、相手には相手の論理があるはず。それに気づけば、たいていのことには動じなくなるし、堅い頭も柔らかくなる。

これだけ心がけておけば、旅は視野を広げ、感性を豊かにするのに大いに役立ってくれます。

もちろん日頃のストレスからの解放も旅の重要な効能ではありますが、ただきれいな景色を眺めて、おいしいものを食べてくるだけの旅、ひたすら安い料金でたくさんの場所を回ってくるだけの旅から、ワンランク上の旅をめざそう! なんてね。