島旅の心得


沖縄の離島が大好きでよく旅をするわたしですが、何度か訪ねるうちには、最初に見えなかったものが見えてきました。はじめはただ「青い海、青い空、豊かな自然、暖かい島の人情」に感動しているだけだったのが、島の人たちと話をするようになると、島の人たちが「都会の人間」をどう見ているかもわかってくるようになる。親しくなれば、結構辛口の批評も耳に入ってきます。
相互理解の不足からくるトラブルを避けるためにも、島へ旅する時に知っておいたほうがよいことをあげてみました。 

 

1.「どこから来たの?」は大事な入島手続き

島で地元の人と言葉を交わす時、まず最初にかならず来る質問は「どこから来たの?」です。

どこへ行ってもきかれるので、だんだん面倒になってくることもあるし、「そんなことどうでもいいじゃない、プライバシーの侵害だ」と思う人もいるかもしれないけど、これが実は重要な「入島手続き」なのです。
島じゅうの住民がお互いの顔をよく知っている離島では、気心の知れない(従ってなにをやるかわからない)人間というのは、まあたいてい島の外から入ってくるわけで、島の人が見慣れない顔に出会えば、まずやっぱり警戒心がおこってしまうのは当然といえば当然。しかし、 「○○からです」と答えた瞬間、あなたは「えたいのしれない侵入者」ではなく、「○○から来た観光客」として、島民ネットワークの中に登録されるわけです。
(小さな島だと、この情報があっという間に島じゅうに広まったりするんだな、これが)

で、往々にして、その次に来る質問は、「宿はどこ?」です。

これに「△△です」と答えれば、その人のIDは「○○から来た△△の客」と確定し、島の人の警戒心は解除されます。
女性の場合は、相手に泊まっている宿を教えていいものかどうかは、多少判断の必要なところですが、男性の場合は、むしろ積極的に知らせたほうがいいと思います。
その人の身元は宿の人が知っているはずだし、なにか問題が起きれば、よくわからない旅人ではなく、自分のよく知っている宿の人(一応、同じ島民ですから)を窓口にして交渉すればいい。それは島の人にとっては大きな安心材料です。

時には、「へえー、○○から。それは遠いところからよく来たね〜」とか「いやー、うちの娘も○○に住んでるんだよ」とか、そこから話がはずむこともありますよ。


2.水は大切に使え!

川の水、湖の水といえども、もとをただせば空から降ってくる水。本土に比べて受け止める面積の少ない島は、どうしても水の備蓄が少なくなります。だから水不足は島の人たちにとっていつも深刻な問題。貯水池を作ったり、地下から汲み上げたり、屋根に降った水を集めてタンクに溜めたり、イオン交換樹脂で塩分を抜いたりと、どこでも知恵を絞り、手間ひまかけて水を確保しているのが実状。その苦労も知らず、「湯水のごとく」使ってしまうのが都会から来た観光客。そりゃ、頭にくるわなー。

水は大切に。蛇口から水流しっぱなしで歯を磨くなんて、もってのほかです。

(竹富島の仲筋井戸。手前はサンゴ石でできた香炉。祈願のためのもの) 仲筋井戸(竹富島)

3.島の人の悪口を言うな

小さな島ほど島民の結束は固いし、事実島民の大部分は親戚関係だったりすることが多い。うっかり島の人に「あの売店のおばさんは不愛想だ」だの、「あの民宿のおじさんはうるさい」だのとこぼすと、こぼした相手のおじさん・おばさんだったり、相手の同級生の父親・母親だったりする確率はかなり高い。無遠慮な批評はつつしむべきでしょう。まあ、本当のことだったりする場合は仕方ないけど、その場合も言い方に気をつけて。

実はわたしの出身地、名古屋も、都会のわりにはけっこう親戚、友人知人、ビジネス関係の人脈ネットワークが濃くて、関係ない第三者に話したはずの悪口が当の本人に伝わってしまう「恐怖の名古屋コネクション」現象が存在します。名古屋に旅行される方も、ご注意を(笑)。

 

4.「何もない」ということ

これはわたしもうっかりやったことがある失敗。身のまわりにあふれるモノとそのしがらみに押しつぶされそうになっている都会の人間にとって、よけいなモノにわずらわされない、シンプルな島の暮らしがうらやましく思える時もあるものです。しかしこちらが誉め言葉のつもりで使う「何もないけどいい所」とか、「何もなくていい所」という言葉が、施設や物資の不足に悩む島の人たちにはカチンとくる事がある。「何もないとはナニゴトだ」とか、「そんなにいい所なら住んでみろ」という反応を引き出してしまうこともあります。島の人が謙遜の意味で「なんにもないところでねー」などと言うことはあるけれど、基本的には観光客のわたしたちが言っちゃいけない言葉なのです。

 

5.「誰もいない海」にひそむ落とし穴

少しでもハイ・シーズンをはずれると、沖縄のビーチ、特に離島の浜辺はびっくりするほど人がいなくなります。「芋洗い状態」の海水浴しか経験したことがない人にとっては、このプライベートビーチ状態はすごく贅沢な気分になれて、とっても気持ちがいいもの。しかし、ここでひとつ心に留めておかなければいけないことがあります。誰もいないということは、万一深みにはまったり、潮に流されたり、急な高波にさらわれたりしたとしても、誰も助けに来てくれないということ。あまりおおっぴらにはなりませんが、沖縄の島々では、本人の意思によるものか事故によるものか、「消えた観光客」が毎年何人か出るのも事実なのです。

ですから、浜に遊びに出て、島の人や他の観光客に出会ったら、かならず挨拶を。万一行方不明になったとしても、「そういえばあそこの浜で見かけた」という目撃証言があれば、捜索のときの手がかりになる。誰にも出会わなかった場合は、とにかく自分の責任において最大限慎重に。海って、ほんとに何が起こるかわからないんですから。

それから、民宿の人によけいな心配をさせないように、夕食の時間までには必ず宿に戻りましょう。場合によっては島内放送がされたり、捜索隊が出たりするオオゴトになってしまう事もあります。みっともないし、第一みんなに迷惑がかかる。可能な場合は宿に電話で連絡を入れるべきだし、そもそもそんなことにならないよう、気をつけてくださいね。

 

6.共同売店はコンビニにあらず

交通の不便な沖縄の離島では、集落の人がお金を出し合って食料や日用品をまとめて仕入れるしくみがあります。それが共同売店です。「島の人以外お断り」などということはありませんが、もともとは島の人たちのためのお店で、観光客のために開いているわけではありません。ですからお祭りや、小中学校の運動会など(小さな村では運動会も全村あげての行事と変わらない)、島の人たちがみんなで協力しておこなう行事の際には、それにあわせて店じまいが早くなったりすることもあります。「なんで閉まってるんだ!」などと怒らないように。

 

7.聖地は大切に

沖縄の各地では、今でもウタキ(御嶽)、ウガンジョ(拝所)、オン、ワーなどと呼ばれる聖地が信仰の対象として大切にされています。これは立派な社殿や鳥居まで備えたものもありますが、元来は自然の姿そのままに、神様と交流する場所なのです。本土の神社やお寺のように、お賽銭をあげて拝めば御利益がある、という次元のものではありません

特に沖縄の離島では、わたしたちにはなんのへんてつもない空き地や茂み、古い井戸や泉が、島の人たちにとっては大切な聖地だったりすることがあります。場所によっては島の人たちさえ、決められた日以外には入らなかったり、その島の神様に仕える資格を持つ人(ノロとか、ツカサとかよばれる)しか入れないこともあります。まして縁もゆかりもない旅行者が、むやみに立ち入っていいはずがありません。

専門知識のある人や、土地の「雰囲気」に敏感な人でなければ、どこが聖地でどこがそうでないか、判別するのは困難です。用もないのにあちこちうろつかないことと、どうしても必要な場合(たとえば昆虫採集が目的であるとか)は、あらかじめ島の人に入ってはいけない場所を尋ねるくらいの心がけが必要。こと沖縄の聖地に関しては、よい意味で「敬して遠ざける」べきでしょう。

御嶽(竹富島)






(竹富島の御嶽の拝殿。この建物の後ろには絶対に立ち入ってはいけない)



 




8.両替を済ませてから島に渡ろう

「水は大切に使え!」で書いたように、島の資源は無限ではありません(本土だって本当は無限ではないのだけど)。それはお金についても言えることです。大きな町なら、100円のものを買って一万円札を出しても、最悪の場合お店の人が近所に走ればお釣りは調達できます。ま、思い切りイヤな顔をされることはあるかもしれませんけどね。

でも、島の場合、ことはそんなに簡単にはいきません。銀行のない島だってたくさんあるのです。(だから急にお金が必要になった場合に備えて、わたしは郵便貯金の口座を作りました……これは、この先金融自由化が進めば、そんなに心配しなくてもいい問題になるのかもしれませんが) 

島の人にあまり迷惑をかけないよう、島に渡る前には細かいお金を用意しておきましょう。

なお、この項については、島旅ファンのHIROさんのアドバイスをいただきました。感謝。