情報発信型教育の手法を用いたHR指導

はじめに

 教科担当制をとっている高校教育において、担任がクラスの生徒と接するのは通常では登校時と下校時のショートホームルーム(SHR)の時間と水曜日の1限目に行われるロングホームルーム(LHR)の時間が主な機会となる。
 これらのSHRやLHRのホームルーム(HR)指導では、主に学校行事の取り組みや諸連絡、進路指導にはじまり、目立つ生徒の生活指導に追われてしまうのが実情で、教科指導とは違った観点からの徳育的指導をクラス全体にすることがなかなか出来ないのが現状となっている。
 ところが昨今の日本の教育現場を見るとナイフ事件に代表されるように心の荒みが原因と見られる多くの事件が多発している。心の荒みは、自分自身に自信が持てないことが大きな要因と考えられる。自分自身に自信が持てないことが、情緒の安定をかき、それが相手の発言や行動によってすぐにキレたり、あるいは相手のことを受け入れられなかったりしている。
 学校として、こういった問題への取り組みは、日頃からの語り掛けが積み重なり大きな成果として実を結ぶものと考えられる。これを継続的に実践していくには、教科指導の中で行なうことは勿論であるがHR指導が一番の要となる。
 1996年4月〜1999年3月までの3年間、短い接触時間の中で如何に「人としての生き方や考え方、行動について導いていくか。また自分自身を好きになるとともに相手のことも受け入れられる人に育つこと」を研究の主眼として、『情報発信方教育の手法(大福帳)』(本校研究紀要8集:水野)を利用したHR指導を継続的に実践してきた。今回の紀要は、3年間の実践をもとに「大福帳を活用したHR指導の実践」についてまとめた。

HR指導

 本校に在籍する生徒は、中学校時代に中心になって活動した経験が乏しい生徒が多いように感じる。自分の良いところを認めてもらいたくても、どうしても活動的な生徒の影に隠れてしまい、なかなかそれを出せずにいる。このため自分に自信をもてなかったり「どうせ何かをやっても」という諦めや逃避、あるいは反抗的な態度へ自分を置くことによって自己主張をするといったような行動をしてしまいがちになっている。
 人に認められずに育つと他の人を認められないだけでなく、自分自身を認められなくなるという分析も心理学のなかでは通説になっている。自分を認めてもらうには、自己を表現していかなくてはならないのだが、何度か自己表現をしても否定されたり無視されたりすると、自分を表現することに対し、心理的にブレーキがかかってしまう。一度心理的にブレーキがかかってしまうと、その呪縛から抜け出すのが難しくなる。
 自己表現をするのにブレーキがかかってしまうような生徒が自己発信をすることに抵抗がなるくなるようになれば、少しでも自分自身に自信を持つ事できるのではないかと考えた。この状況を改善する一つの試みとして水野は1993年から1995年まで作文を用いたHR指導を行ってきた。(研究紀要No8)
 この作文指導では、毎月一回テーマを決めて作文を書くことにしていた。その中で生徒は「書くことに慣れた」と言っている。書くことに慣れたということは、文章が書けたという単純な事ではなく、自分が頭の中で考えたことをある程度文字として外に取り出すことが出来るようになったということであり、自己表現が少しでもできるようになったという喜びの声である。これは何も巧い文章で書かれてなくてもよいのである。文字として取り出せるようになることによって、もう一度自分で書いた文章を自分が読み自分自身を認めることができたということが大切なのである。
 また「他の生徒の作文が気になった」という意見もあった。作文指導では自分のことを発表するだけでなく、無意識に他の人の意見からも何かを学ぼうとする態度も伸張されていた。
 生徒は「自分のことをわかって欲しい」と望むのが本来の姿ではないだろうか。そして機会があれば「自分のことをもっと話したい」、「自分のことをもっと知ってもらいたい」と考えている。これは生徒と向き合い、話しこんで行けば行くほど良くわかる。
 作文指導が、そういった状況から一歩踏み出す切っ掛けとなった。3年間の作文指導の経験から「教師が話せというのではなく自発的に話すようにしむけることが大切であり、彼らが内面に持っている情報を発信したくてうずうずするような環境を作ることが大切である」ことを強く感じた。
 3年間の作文指導を終えたとき『情報を発信したい』という状況を月一回ではなく普段から作り出すせば、さらに個を伸ばす大きな力となると考えた。そのための手法として授業で毎時間書いている大福帳が、この状況を作り出す切っ掛けになるのではないかと考え、今回『大福帳を用いたHR指導』について3年間の実施を試みた。また、前回と同じように月一回の作文を用いた指導も併用し、大福帳だけでは不足する部分を作文指導でも補うようにした。

大福帳とは

 大福帳を用いた実践は1990年以来、情報の授業で積み重ねてきた。『大福帳って何?』と生徒からよく尋ねられるが、大福帳はもともと「生徒による授業評価」を基本とし、授業改善のための情報収集のためにはじめたシャトルカードである。
 このシャトルカードによる授業改善の方法は三重大学教育学部の織田揮準が1982年に実施し、提唱してきたもので『大福帳』の命名も織田によるものである。
 織田は「学期末に実施する『学生よる授業評価』を授業改善のフィードバック情報と活用してきたが、これが日常的な授業ごとに行われればより細かな授業改善が可能になる。こういった着想のもとに、毎授業の終了直前に「授業に関する意見や感想」を求める一種の受講カードを実施し、これを『大福帳(Shuttle Card "DAIFUKU")』と命名した。」名前の由来について織田は「授業改善という『福』をもたらす夢のカードであり、また学生にとっても"閻魔帳"にならないように自身を戒める意味と期待をこめて名づけた。」と言っている。
 1989年、この実践をコンピュータ通信で知り、刺激を受けた水野は1990年以来、本校の情報の授業で実践し、現在では情報科として取り組んでいる。(水野:本校研究紀要No6、本校研究紀要No.8)。
 本校の情報科で授業のシャトルカードとして使っている大福帳は、B4の用紙を用い図のように線を引いたものである。左から日付の欄、評価・反省・感想を書く欄で、ここまでが生徒が授業終了時の数分を使って書きこむ所である。その右にあるコメント欄は、教師が次の授業までにコメントを朱書する欄である。
 この形態を応用し、HR用の大福帳カードを作成した。こちらは当初B4の用紙に両面印刷をして使っていたが、使って行くうちにB5の用紙が使いやすいことに気づきB5用紙の両面印刷に変更した。片面に一週間分の記入ができるようにしてある。このカードが1人につき1枚ある。週が変わると新しいカードを配布していく。

大福帳を導入したHRの大きな流れ

1)終礼の時に大福帳を個人に配布
 毎回、終礼の始まる時に大福帳を列毎に配布する。生徒は自分の大福帳を取り出す。事前に列毎に配布できるように並べておくと短時間で処理ができる。配布された大福帳は、週毎に一つの面に書けるようになっている。生徒は前に書いた自分の文章を読むこともできるし、教師が朱書したコメントを読むこともできる。

2)テーマの提示
 配布が終わった後、学校からの伝達事項を伝え、その後大福帳に記入のヒントとなることについてコメントする。この時、意見の誘導にならないように配慮する。

3)生徒は大福帳に記入する
 生徒は提示されたテーマをもとに大福帳に記入をする。記入の仕方は1年生の時と2〜3年生の時では若干違う。

4)生徒は大福帳を提出する
 書き終えた大福帳は後ろから集めてくる。その時に書き終えていない生徒は終礼後、直接担任の所まで持ってくるようにした。

5)翌日までに教師は大福帳をまとめる
 大福帳を回収し、まとめの作業を行う。1年生の時はコメント欄にコメントを毎回朱書した。2年生、3年生の時は、コメントは書かず全て学級通信に載せた。

大福帳の実践

 大福帳の大きな流れは先に説明したとおりである。この基本的な流れに沿って大福帳のキャッチボールが始まっていく。一年生の時は、こちらも初めてのことになるので実験的に様々な方法を試みた。2年、3年は一年の時の実験的な試みから学んだ方法を組み直して実践した。一年から三年までの流れは次のようになる。

導入)
 大福帳は1年生の授業初日から始めた。終礼の始めに用紙を配布し、大福帳の書き方を説明する。まだ入学当初の緊張感があり、しかも学校にもクラスにも慣れていないことから、生徒も素直で全くと言ってよいほど抵抗無く受け入れられた。
 最初は、今日の出来事など、身近にあった事柄に目を向け、気づいたことや感じたこと、行動の反省などを書くようにした。記入された大福帳を終礼の終わる直前に回収する。回収した大福帳は家に持ち帰り書かれた内容を読みながら、それに対してコメントを朱書していく。コメントは、なるべく叱責するような文言は避け、本人を認めるような言葉を選んで記入する。クラス全員のコメントを記入するのに約1時間から2時間ほどかかる。
 内容を読んでいると、こちらにはたわいの無いことでも生徒にとっては大きな事柄であったり、また逆に生徒にとって大きな事柄がこちらにとってはたわいの無いことであったりすることに気づく。また生徒一人一人の違いや感じ方の差異が伝わってくる。まだ顔も性格も良くわからない入学当初、生徒を知る上でも役に立った。
 このようなやりとりを1ヶ月ほど続けた。大福帳の実践を進めて行く上で、この1ヶ月間がとても重要で、お互いの信頼関係をここで築くことができた。この信頼関係がこの時成立しなければ、三年間の実践は不可能だったろう。

週毎のテーマ)
 96年5月13日より、週毎にテーマを決めて大福帳を記入するようにした。各週のテーマは、最初は教師側から提示した。
 例えば、最初のテーマは、遅刻の問題を考えてもらおうと『時間』というテーマを提示した。
 月曜の終礼で週毎にテーマを持つことを解説する。1週間、同じテーマについて考えて行くには、やはり日ごとにテーマに対する切り口がないと書く内容が乏しくなってしまう。このため週毎のテーマを実施するにあたり、当初は大福帳を配布した後、毎回テーマに対する切り口について話しをした。
 しかし週毎のテーマに慣れてくると解説なしでも文章を構成する時と同じように、生徒自ら切り口を探すことができるようになってくる。こうなると教師側はテーマを提示した時に、どのような意図でテーマを設定したのか、おおまかな解説をするだけである程度の意思の疎通が図れるようになる。
 一ヶ月ほど実践すると、このような関係が出来上がってくる。頃合を見計らって週毎のテーマを自分で設定するよ自由テーマとして指導し、二週間ほど実践した。
 各生徒の個人テーマは、それぞれの視点があり、生徒の生活環境や物を考える源となる考え方が見え、興味深いものだった。「メディア」、「切り捨てる教育」についてのやりとりは特に印象に残っている。その他にも「映画の作成」、「旅」などよく考えたテーマが上がっていた。しかし、自分で考えてテーマを決めるとなると、個人差がかなりあり、クラスの1/3ほどの生徒は何を考えてよいのかわからないというのが実情だった。まだこの段階では全員が考える習慣が形成されているとは言いがたい。
 残念なのはコメントを朱書するのに忙しく個人のテーマを記録しておかなかったことである。
 期末試験前の二週間は、試験準備も兼ねて各自の各教科の勉強方をテーマとした。具体的には国語・社会、数学・英語というように一日に二教科ずつ、習ったことの確認や勉強方について記述してもらった。それを読みながらコメント欄を活用して学習についての指導を行った。また場合によっては個別に呼んで面接指導を併用して試験前の指導を行った。大福帳がなければ見過ごしてしまう生徒も多く、生徒一人一人に対してきめの細かい指導は出来なかっただろう。

特定のテーマに対しての意見を述べる)
 二学期の前半は、自分の週間目標を設定し、それに対しての自己評価・反省を通常の大福帳の記入事項とした。時折、新聞の切り抜きや防災についてなどタイムリーな問題について考えたりもした。また学園祭のシーズンでもあり、学園祭にちなんだテーマなども織り交ぜて行った。
 例えば、新聞の切り抜きでは、1996年9月6日の朝日新聞から天声人語を使った。これを学級通信に載せ終礼で配布し、その場で読み合わせをしてから大福帳に意見の記入をした。記入された意見は、次の学級通信に番号を振って掲載した。次の終礼で大福帳の意見が載った学級通信を配布し、生徒は番号が振られた大福帳の意見に対して、さらに意見を積み重ねるように大福帳に意見を記入するようにした。
 週間目標の評価・反省の大福帳をベースに、学級通信と大福帳を併用して行う方法を時折折りませ、繰り返して行い「人の意見をよく読み、それに対して自分の意見を述べて行く」ということが習慣づくように二学期前半を指導した。

大福帳の意見をもとに意見交換)
 二学期後半は、ある程度前半で習慣づいた「人の意見を聞き、自分の意見を述べる」ということをさらに深めるために、学級通信を活用した紙上ディベートを実施した。
 しかし、ある程度の準備はしていたもののテーマ設定のまずさや生徒にとってディベート自体がまだ馴染みが薄く、さらに2年生の選択を決めるための面接などに忙殺され、十分な指導ができず中途半端なものとなってしまった。

身近な問題について考える)
 三学期になってからは、「高校生らしい服装・学習の場にふさわしい服装」や「校則」など、より身近な事柄に対し、問題意識をもって見つめなおしてみることを主眼においたテーマにした。普段、あまり意識せずに過ごしていることでも、自分なりの視座で見つめなおしてみることによって新たな発見や問題意識が生まれることに気づいたようだ。

自分自身を振り返る)
 また、三学期は一年の締めくくりの時期ということもあり、一年間を振りかえり、まとめをした。何かをし終えた時、かならず自分のやってきたことを振り返り自己評価を下し、反省をすることは大事な事である。さらに反省だけで終わってしまうのではなく、反省した事を元に次にどのようにするかが問われてくる。
 些細な事柄かもしれないが、こういった習慣が身に着くのと着かないのでは、将来大きな影響が出てくる。頭ではわかっていても実際に実行するとなるとなかなか出来ないのが実情である。こういったことは、何度も何度も繰り返す事で意識の中に刷り込む必要がある。今回だけで身に着くものではないが、「計画、実行、評価・反省、そして次へのアクション」というループに少しでも気づいてくれればと考えた。

二年生からの大福帳)
 二年生になるとクラス替えになる。二年生ともなると毎日の終礼で大福帳を書くとなると一年生の時と違い、かなりの抵抗を受けることを覚悟していた。このため一年の時のように時間をかけて信頼関係を築いていると、その前に生徒が大福帳への記入をしなくなってしまうことが予測された。
 そのため生徒にとって興味があり書きやすい事柄をテーマとして、まずは書く習慣付けから始めた。さらにコメントを書くのではなく、一年の時に始めた生徒の意見を学級通信に載せる手法を用い畳み掛けるように大福帳の習慣付けを行った。
 二年生も一年生の時と同じように一ヶ月もすると大福帳の記入に慣れてくる。慣れてくると大福帳の配布が始まると筆記用具を持ち「今日のテーマは?」と生徒の方から尋ねてくるようになる。一つには早く書いて終わらせたいという気持ちもあるのだろうが、もう一方では大福帳に記入し、学級通信で発表されるのを楽しみにしているという心理的な動きもある。このような傾向は興味のあるテーマが続く時は顕著である。学級通信を配布した時に、貪るように読んでいる姿でそれがわかる。

生徒が自分たちで出したテーマ)
 二年生になって一ヶ月が過ぎた頃、テーマを生徒に募集してみた。いろいろなテーマがあがってきた。97年5月15日以降、特に日学祭のクラス企画のことや実習生の選んだテーマなど、こちらからのタイムリーなテーマが無い限り生徒からのテーマで書く事にした。
 また教育実習生のクラス指導があったが、その時も実習生に実施してもらった。
 第一回目のテーマ募集の時は、比較的無難なテーマがあがっていた。しかし二回目のテーマ募集の時は、大福帳への慣れもあるのか「性的欲求につてアダルトビデオの賛否について」といったテーマもあがってきた。
 正直なところ、この時はどのように指導するか悩んだ。けれども、かえってこういうテーマは、生徒が教師の反応を試している時であり、この問題にどのように関わって行くかが問われている。ここでいい加減な対応をしてしまうと、これ以降の大福帳の実践が形だけの空虚なものとなっている。むしろこのような時こそ指導の好機であり、生徒と深く関わっていくことができる。
 このときは、このテーマを使って「性」を考えることを試みた。最初に生徒が出したテーマをそのまま提示し、翌日「近しい人が出演したらどう思うか」ということで大福帳に記述してもらった。それを名前は伏せたが同じ人が書いたことが分かるように続けて学級通信に載せた。そして「近しい人が出ていたら何故嫌なのか」について考えた。この一連の流れから「性」について考えることを試みた。始めは冗談半分の生徒も、毎回の問いの中から性についての問題を真摯にみつめていた。
 これはほんの一例であるが、このような問いかけを続ける事で、人としての生き方や考え方、そしてどのような行動をとらなければならないかを考えてきた。

二年生から三年生の大福帳)
 二年生から三年生の大福帳では、基本的に毎日テーマを出し、それに対して生徒が考えや意見を記述し、教師がコメントを朱書せずに学級通信によほどのことがないかぎり全文を載せるといつ方法を用いた。しかし、誤字、脱字がはなはだしい時は、文意が読み取れない場合も考え補完した。また特定の個人を誹謗中傷する場合は伏せ字を用いた。
 これは一年生の指導の時に教師と生徒の対話ではなく、生徒対生徒の対話が重要だと感じたためである。生徒自身が、他の生徒から学ぶ事が一番の学習に繋がる。

書く生徒・書かない生徒)
 毎回の大福帳ということで、当初は暫く続けると書かない生徒が出てくるかもしれないと予測していたが、幸いな事に出席していれば全ての生徒が大福帳への記入をし恒常的に記入しないという生徒は居なかった。
 ただ時折記入しない生徒が2〜3人居たが、書かない日が続くということはなかった。無記入というのも情報の一つの表れで、これはテーマに対して興味が無いか、あるいは反発を示していることの表れと考えられる。

大福帳による効果

 大福帳は、その日その日によって求めるテーマが違っているので、効果としても漠然としたものになるが、大福帳を続ける事により次のような効果が得られた。

1)自分を認めてもらう事の喜び
 大福帳に書くことは、誰かに読んでもらうために書くのである。何かを書いて相手からの反応があるのは、少なくとも自分とのコミュニケーションをとっているということになる。それが、教師からの朱書であったり、あるいは学級通信に載った時に、自分の意見に対しクラスメートが意見を寄せてくれる事も自分を認知してくれたことになる。人は誰かに自分を認めてもらいたいと願うものであり、こういった些細な日々の積み重ねによる認知行動は、情緒の安定へとつながり、自分の存在価値の確認ともなる。

2)信頼関係の促進
 先にも述べたように、生徒と教師との信頼関係は勿論、あまり話をしない生徒同士でも、どこかでおおよそ何を考えているかということが分かるということは、不安をなくす大きな要因となる。クラスの中でお互いに信頼できるという関係が築けると、クラスの情緒が安定してくる。これが大福帳の効果だと目に見えるものではないが、クラスの生徒の表情を見ていると落ち着いた良い表情をしており、大福帳がクラスの中での信頼関係を築くことに大きな役割を果たしたことが確信できる。

3)情報共有
 校則の問題や社会的な事象、将来についての不安やクラスのこれからの動向など、同じことがらについて、クラスの仲間がどのように考えているのか、ある一定の人が把握しているのではなく、全体の共通認識として持てる意味は大きい。

4)考えることの習慣
 普段疑問に思わないことでも、ちょっと考えてみると分からないことが多い。世の中に答えが無いことの方が多いことに気づき、そして、一つ一つについて教えてもらうのではなく、自分で考えて一つの考えを導き出し、人に分かるように表現できることは大きな意味がある。
 また、簡単なことでも、頭で考えたことを表現するのは難しい。頭に浮かんだことをまとめて表現することができるという文章を書きなれるという効果もある。

5)問題を見つける習慣
 考えることの習慣でも述べたように、普段何にも疑問に思わないことに目を向けること、何気ない事に問題意識を持つことは、新しい発想が生まれたり、また学問の進歩へと繋がる。

6)人の意見を聞く習慣
 とかく人の意見を聞かず自分のことを主張しがちであるが、大福帳によるディベートを繰り返していると、自然と人の意見も聞く習慣がついてくる。

7)保護者の共通意識
 生徒のみならず、親が自分の子どもがどのように考えているのかを知ることができるし、本校の息子と同世代の高校生がどのような考え方をしているのかを知ることに意味が有る。  学級通信に載った大福帳の意見を読む事により、現在の高校生の考え方やものの見方がわかってくる。今まで自分の子供を通してしか見えておらず、不安に思っていたことが、高校生全体の中の自分の子供という視点で見られるようになってくる。そうすることで、自分の子供だけでなくクラスの子供との対比で自分の子供を見られると共に、それと同じように他のクラスの子供達も見られるようなってくる。
 このようになってくると学校と家庭という対峙した関係でなく学校の延長に家庭があり家庭の延長に学校があるという共通の環境が広がった関係になってくる。
 ささいな問題が生じても家庭との共通意識が良い方向に働き、大きな問題となることはなかった。またこのような安定した関係が生徒に与える影響は大きい。

8)生徒一人一人の理解
 大福帳をまとめるには、必ず生徒と向かい合わなければならない。まとめの作業を通しながら、より一人一人の生徒を知る事ができる。また悩みなどの問題を抱えている生徒に対しても比較的早期に問題点を見出す事ができる。

まとめ

 大福帳の初期段階で生徒と教師の信頼関係が築けるかが、この実践の大きなポイントとなる。1年生の時に実施した生徒が一日を振り返って大福帳に評価・反省を記入し、それに対して教師がコメントを書くとう形式は、生徒との信頼関係を築くのに大きな役割を果たした。
 生徒にとって、普段はなかなか話すことのできない教師と、たわいの無いことまでも話題にできることは親近感を与えると共に、自分の意見を正面から聞いてもらえるという安心感にも繋がっている。初期段階でのこの関係作りが、その後の実践の大きな土台となる。また「自分を認めてもらえている」という信頼関係が、最初は不安だらけの学校生活への期待と安心感へと繋がっている。次に生徒同士の情報交換、情報の共有化が進む事によって生徒同士の信頼関係が築かれてくる。
 このように、教師との信頼関係を作り、それを軸に生徒との信頼関係を深めて行くことが、生徒にとってのバックボーンとなり、知らぬ間に「自分に対して自信を持つ」ことになり、こうした安心感は他へも目を向けることに繋がっている。
 信頼関係が築けると、何でも自由に話し合える雰囲気が出来てくる。本来なら、膝を交えて話して行くのが一番良いのだが、今回は大福帳でこれを代替した。
 もう一つの「人としての生き方や考え方、行動について」というテーマについては、大福帳のテーマとして提示することで考えさせたが、実際には、生徒一人一人、感じ方や捕らえ方が違うので、すぐにテーマに沿った指導が出来るとは限らなかった。
 しかし見掛け上のテーマを変えても何度も何度も根本に流れるテーマを変えずに提示して行く事でやがて生徒自身にとって、自分の心に引っ掛かるテーマと出会い、悩み、考え、自分の答えを出してくるようになった。
 三年間、大福帳の実践を積み重ねて言えるのは、「生徒同士の雰囲気が家庭的で温かみに満ちたクラスだった」ということである。これはお互いの信頼があればこそできるもので、クラスの生徒と教師だけでなく、その背景にある家庭までも含んだ環境作りができたことが、このような雰囲気を作っていったものと考えられる。
 いずれにしろ、この大福帳による教育実践の本当の手応えは、今すぐ出てくるものではなく、彼らが30歳になり自分が他の人を育てるときに花開くものと考えている。また、大福帳の試みは今でも続けており、卒業生に対してはネットワークのボードを使って継続している。
 最後の大福帳で生徒に「大福帳から何を学んだか」を記述してもらった。全文を資料として掲載しておく。