座談会 68 栄光の学会創立75周年 広布の勇将 創価班 05/04/01 宗門を救ったのは学会 大石寺 戦後の荒廃で観光地化まで計画 ↓ 学会 39年間で7千万人の登山会を実施 日顕歴代法主の厳命に背き宗門を破壊 日淳法主宗門は学会の大恩を忘れるな 日達法主学会を誹謗する者は無間地獄 正木 「青年・拡大の年」の本年。全国各地で青年部の活躍が一段と光っている。学 会の先頭には、常に情熱みなぎる青年がいる。だから強い。 青木 青年部の皆さんは、仕事に、学会活動にと多忙だ。その中で、創価班、牙城 会、白蓮グループをはじめ、広宣流布の最前線で会員を守り、学会を守ってくださっ ている。どれほど尊い戦いか。改めて感謝申し上げます。 結成30周年へ 栗原 創価班は明年、結成30周年を迎えます。「史上最強の陣列」「圧倒的な拡大」 を目指して意気軒高です。 原田 それだけに皆、今こそ創価班の歴史を学ぼう、使命を果たそうと真剣です。そ こで、ぜひ先輩方に創価班の歴史と使命を教えていただきたいと思います。 青木 大事なことだ。今回は、創価班の歴代委員長の代表にも来てもらった。正木副 会長も、創価班の委員長だったね。 正木 第7代の委員長でした。昭和61年9月から昭和63年1月まで務めさせていただき ました。松本正さんは第9代、山中二三雄さんは第10代の委員長です。 松本 私と山中さんのころは、ちょうど第2次宗門事件が勃発した直後だった。当 時、創価班は大石寺にも着任していた。池田先生が、どれほど宗門に尽くしてこられ たか。どれだけ学会が宗門を外護してきたか。 山中 その大恩を、日顕は卑劣にも仇で返した!「正邪」のすべてを目の当たりにし てきた我々だ。 杉山 私は第13代委員長でした。現在の栗原委員長は第16代です。今や、大石寺に着 任した経験をもつ創価班メンバーは、ほとんどいません。大石寺に行ったことのない 青年部員も多くなってきた。 青木 いや、今の青年部は幸せだ。あんな邪教の巣窟に行かずにすむんだから(大笑 い)。 総代夫婦も脱講 山中 それにしても第2次宗門事件が勃発してから15年。「正邪」「勝劣」は完全に 決まった。学会は全世界に大興隆。かたや日顕宗は壊滅寸前じゃないか。 栗原 その通りだ。最近じゃあ、法華講の幹部までもが日顕を見限りはじめた。あっ ちでもこっちでも脱講している。 青木 全国的な動きになってきたな。 原田 つい先日も、広島・府中市の長妙寺(佐藤記道)で、現職の総代夫婦が脱講し た。元総代は、法主を詐称し、正本堂を破壊した日顕の悪行におかしい。間違って いると感じていた。ちょうどそのころ、学会員が真心をこめて対話。正邪をハッキ リと悟った。 栗原 元総代は2月20日、寺の記念行事の場でこんな上意下達の世界では、広宣流 布はできないと、宗門の実態を鋭く追及。その場で、総代の辞職と脱講を宣言し、 席を蹴って出たんだ。 杉山 痛快だ。これが今の日顕宗の実情だ。 青木 宗門というところは、戸田先生の時代から、学会あっての存在だった。学会こ そ、宗門の柱であり屋根だった。その学会を、嫉妬に狂って切ったんだ。柱を切った ら、家が倒れるのは当たり前だ。 激闘の登山運営 松本 我々も先輩から、よく話を聞いたものだ。戦後の宗門は荒れ果てて、誰も見向 きもしない田舎寺、貧乏寺だった。あんまり食いつめたものだから、大石寺を観光地 にする動きまであった。 青木 その観光地化に断固、反対したのが、戸田先生だった。そして宗門興隆のため に、昭和27年10月、学会による「月例登山会」をスタートされた。学会が宗門を救っ たんだ。 栗原 創価班の前身である「輸送班」が誕生したのは、この時ですね。 正木 その通りだ。登山者の輸送と、無事故の運営のために結成された。以来、学会 は平成3年6月、嫉妬に狂った日顕が拒絶するまで、39年間も登山会を行った。参加者 は延べ約7000万人にものぼる。 青木 池田先生も登山会が始まった当初から、運営の陣頭指揮を幾度も執られた。池 田先生が、今日の創価班の原点と伝統を築いてくださったのです。 山中 39年間、大きな事故は、ただの一度たりともない。これほどの長期間にわた り、これほど大きな規模の行事運営を無事故で行った。奇跡的な大記録だ。 松本 この大恩!日顕をはじめ坊主どもは、学会に感謝してもしきれないはずだ。そ れが血の通った人間だ。 青木 日淳法主は池田先生に「本宗は、戸田先生、創価学会の大恩を永久に忘れては なりません」と言われていた。 正木 日達法主も明言していた。「一大和合僧団創価学会に対し、実にもあれ不実に もあれ謬見を懐き謗言を恣にする者ありとせば、其籍、宗の内外に在るを問はず、全 て是れ広布の浄業を阻礙する大僻見の人、罪を無間に開く者と謂ふべし」等と厳命し ている。 松本 日顕は、この歴代法主の厳命に背き、学会を一方的に切ったんだ。 山中 だが、学会は微動だにしなかった。結局、日顕は自分で宗門を破壊しただけだ (笑い)。 正木 それにしても学会員は、毎月毎月、日本全国から登山した。どれほど大変だっ たか。我々は大石寺で直接、運営に携わってきたから、よく分かる。 松本 当時、創価班は「本山担当」と「輸送担当」の二つのグループに分かれて着任 した。学会員は、飛行機、列車、船、バスなどを乗り継いで登山する。その行程に同 行し、無事故の運営を行ったのが「輸送担当」グループです。 山中 本当に大変だった。たとえば、沖縄からは登山船で往復1週間もの日程にな る。当然、船酔いする人が何人も出る。だが、創価班は不思議と誰一人、酔わない。 松本 そうなんだ。何しろ創価班は気分が悪くなった人の介抱もした。食事が喉を通 らない人には、オニギリをこしらえて、配った。要するに、船に酔ってる暇もなかっ たわけだ。 正木 列車輸送も大変だった。夜行列車を借り切るのだが、途中、何回か駅に止ま る。その時に、登山者が車外に出て戻って来なかったり、関係のない人が乗り込んだ りそういった事故を起こしてはならない。 山中 だから、デッキで警戒しながら仮眠する創価班もいた。また、そうすれば一席 でも、登山者が体を伸ばせるスペースが空く。そういう気遣いでもあった。 松本 まったく瞬時も気の休まる暇のない激闘だった。 正木 列車は時間キッカリに発車する。一人でも乗り遅れたら、登山会全体の運営に 響いてくる。だから創価班の伝統は、まず第一に「時間厳守」だった。 人材育成の伝統 栗原 その精神は、今でも受け継がれています。「今の若者は、時間にだらしない」 と、よく言われるが、創価班に入ったら一変する(笑い)。家族や友人から「変わった ね、変わったね」とビックリされるケースも多い。 正木 私たちの時代も、同じだった。あまり学会を知らない人でも「学会は青年を立 派に育てている」という認識だけは持っている。 松本 そういう人が自分の子どもに「学会に入って、鍛えてもらえ」と勧めたり(大 笑い)。 青木 学会は幾十万、幾百万の青年を、鍛え、育ててきた。社会のあらゆる分野で活 躍する、立派な人材を輩出してきた。学会の誉れの伝統だ。 正木 なかんずく創価班は、次代の広宣流布を担う勇将だ。「学会の宝」の人材群 だ。