2005.05.16(月)聖教一面見出し 教学は正義と勝利の人生の力 9月青年部教学試験1級を実施 今月20日から受験申し込みを開始29日まで 勇気のスクラムに恐れなし!全国で大会 創価大学が4連覇!東京新大学野球 6月の全日本大学選手権へ 愛知で教育本部の講演会 新潟大学の生田孝至教授が語る 【主な内容】 随筆 人間世紀の光「大東京の常勝城・足立」 座談会 完勝の扉は東京・目黒が開け!! 〈教育〉思春期の親子の対話 新・人間革命  希望 六十二 (3076)  山本伸一の提案に、正弘もまた、胸を高鳴らせていた。 地球環境を守るといっても、自分の身近な環境を守り、自然を育んでいくことから始ま る。それができれば、生徒たちは、環境保護の大きな体験と自信をもつにちがいない″  正弘は、一人の弟子として、伸一の教育思想を実践するために、蛍と桜の保護に取り組 もうと決意した。  教師たちは皆、真剣であった。  蛍の保存・育成を買って出た、松尾繁男という数学の教師は、蛍の研究から開始した。  さまざまな文献を読みあさり、蛍に関して知識の豊富な人がいると、どこへでも飛んで 行って話を聞いた。  また、深夜、川に出かけて行き、腹這いになり、蛍の幼虫を観察した。警察官から不審 者と思われ、職務質問されたこともあった。  さらに、蛍を育てるための人工の川を校内に造り、池から竹の樋で水を引いた。  この川は「蛍の川」と名づけられた。  蛍を育てるには、幼虫の餌となる「カワニナ」という貝を採取しなければならなかった。  正弘も担当の教師と共に、この「カワニナ」を探りに歩いた。ズボンを泥だらけにしな がら、川に入り、懸命に探した。 必ず蛍を飛ばそう″  教師たちの誓いは固かった。  生徒たちの有志で蛍保存会もできた。  伸一もまた、応援を惜しまなかった。  鳥取を訪問した折には、たくさんの蛍を飛ばして歓迎してくれたメンバーに頼んで、蛍 を分けてもらい、学園に送った。  学園では、そのなかから雌を選んで、水槽の中で養殖を始めた。  産卵から幼虫になるまで、毎日、水温や水質を調べながら、水をかえ、餌を与え、細心 の注意を払い、根気強く育てた。  しかし、わずかな環境の変化で、すぐに死んでしまう。何度か失敗も重ねた。だが、失 敗に学んで、一つ一つ困難を克服しながら、幼虫へと育て上げていった。その労苦には喜 びがあった。  ゲーテは叫んだ。 「小事によろこびを感じる人を見るならば思え  彼はすでに大事をなしとげたのだ」(注) 引用文献 注 『ゲーテ全集1』高安国世訳、人文書院 名字の言 2005.5.16 ▼野に咲く花の種は土にまかれても、なかなか芽を出さないらしい。しかしそれも、気候 の変化に負けない力を蓄える準備の時期なのだろう ▼ある野草は、一定期間以上の低温を経験した後に、やっと芽生える。つまり、冬を越す まで土の中で、じっと待つのだ。ほかにも、光の強さや雨の量を測って出芽し、枯死する 危機を避けるものなど、野の草花は驚くほど生き抜く知恵″をもっている(瀧本敦書 『ヒマワリはなぜ東を向くか』) ▼晴れや雨の日、寒暖の季節があって、はじめて促される種の発芽。先輩から学ぶ信仰の 姿に似た点がある。結果が出なくて辛いのは、厳しい一冬を越すための準備。悩みの雨や 不遇の日照りも、立派に芽を出すための助走――まさに変毒為薬の人生といえる ▼日蓮大聖人は「秋の稲には、早稲と中手と晩稲と、実りの時期が異なる三種の稲がある けれども、いずれも一年のうちに収穫できる」(御書411n、趣意)と。信心に徹しゆ けば、いかなる人も平等に、一生のうちに最高の幸福境涯を開いていけるとの仰せである ▼私たちの生命に宿る、必ず芽が出て実を結ぶ幸福の種″。一人ひとりがそれを証明し、 自身がまた、人々の希望の種″になる人生を歩みたい。 (申) 北斗七星 2005.5.16 ◆飛行機などの運行距離の累計(総マイル数)を意味するマイレージという言葉をよく耳 にする。利用距離に応じて特典もある ◆数値が上がるほど不安が大きくなるのはフード(食料)・マイレージである。農産物の 輸入量(トン)に輸入距離(キロメートル)を掛けたもので、日本は約5000億トン・ `b、世界一との試算もある ◆日本の消費者が食品の情報に敏感になっているのは、こうした事情と無縁ではない。地 域で入手できる食物を消費していた時代には考えられなかったほど、食の安全への関心は 高まっている ◆内閣府の食品安全委員会はこのほど、BSE(牛海綿状脳症)対策の柱であった国内産 牛の全頭検査の見直しを了承。生後20カ月以下の牛を検査対象から除外することが認め られた。日米間で合意している「生後20カ月以下」の輸入再開への道が開かれたようで ある ◆ただ、日本では今後も、国内産牛について国が自治体に検査費用を全額補助するため、 全頭検査体制は揺るがない。「生後30カ月以上の検査で十分」とする米国と、これまで 全頭検査などで国産牛の安全確保を図ってきた日本との間には、まだ溝がある ◆安全と安心は違う。専門家がいくら安全だと説明しても、消費者が安心できないことも ある。最終的な選択権は消費者にあることを忘れてはならない。     (山) ☆「わが友に贈る」☆ 戦いを 始めた以上は 断じて勝て! 総力をあげて 一直線に進め! ―5月16日― ★今週のことば★ 正義によって立て! 汝の力二倍せん。 不知恩の裏切りは 断じて許すな! 悪を打ち破れ!       5月16日 座談会 10 大東京は正義の言論で勝て 完勝の扉は東京目黒が開け!! 05/05/16 昭和20年7月3日戸田先生出獄から60年 学会建設の第一歩も目黒 青木 今、大東京の奮闘に日本中が注目している。熱い声援を送っている。 谷川 本当に嬉しい。東京は勇気百倍です。心から感謝します。 青木 特に目黒の勢い!すごい。全東京を力強くリードしている。 山本 目黒は昨年、総区体制に発展。新たな支部、地区も誕生しました。「月月・日 日につより給へ」です。前進あるのみ、です。 青木 池田先生も、目黒の見事な拡大を「壮挙であり、慶事である」と讃えてくださ いました。 山本 目黒の誇りは同志愛です。絆が強い。全国各地の「目黒兄弟会」も、常に「心 は目黒」(笑い)。本当に、ありがたいことです。 山口 目黒兄弟会の淵源は、昭和48年3月29日。目黒の友の代表が学会本部に集っ た。そこで行われた、池田先生との誉れの記念撮影でした。 松岡 この時、先生は、目黒の青年部に「このメンバーで『目黒兄弟会』を結成し、 定期的に本部に集い、成長を刻む節にしてはどうか」と提案してくださった。そして 「いかなる立場であれ全員が目黒の責任者です」と全魂の指導をしてくださいまし た。 青木 大事な指針だ。 山本 3月20日にも、兄弟会の総会が行われました。懐かしい友が全国各地から意気 軒高と集ってくれました。頼もしい限りです。 谷川 何といっても「師弟有縁」の目黒です。池田先生は「随筆人間世紀の光」で綴 られました。「目黒は、恩師・戸田先生と共に歩んだ、私の青春時代の故郷でもあ る。妻と結婚して最初に住んだのも、目黒区の三田であった」東京きっての「原点の 地」だ。 山口 先生の奥様も当時、蒲田支部・目黒班で班担当員をなさっていました。子ども さんの手を引き、背に負いながら、折伏に、友の激励に走り回られた。目黒婦人部の 最大の誇りです。 松岡 昭和20年の「7月3日」――軍部権力の迫書と戦い抜き、出獄なさった戸田先生 が降り立ったのも「目黒駅」でした。学会再建の第一歩は、わが目黒から始まった。 山本 目黒駅周辺の栄光支部も昨年、新しく栄光支部と桜城支部の2支部に発展しま した。 青木 目黒の大発展の象徴だ。 山口 今年の「7・3」は、その歴史の日から、ちょうど60年です。目黒が戦う時で す。目黒の圧倒的な大勝利から、広宣流布の「次の50年」の大道を開きゆく決意で す。 敗走した日顕 谷川 目黒といえば、あの日顕が豪邸の建設を目論んだことがあったな。 西 平成3年だ。ちょうど日顕が「C作戦」を始めた直後だ。あいつは、目黒区八雲の 超高級住宅地に20億円もの大豪邸を建てようとした。 谷川 学会を切って、信者を奪おう。金を集めて、贅沢三昧に遊んで暮らそう。そう いう一石二烏の魂胆だった。 山本 本当に悪いやつだ。 青木 嫉妬で狂い、金を持ちすぎて狂った。それで「成金」の地が出た(笑い)。 松岡 だが、事前に計画が発覚して、大慌てで中止した(大笑い)。 山本 計画が発覚した当初、宗門が、どう言い訳していたか。「出張所ないし寺院と して設計準備中」なんて、とってつけたような言い訳を並べていた。 西 何が「寺」だよ。実際に作ろうとしていたのは、仏間よりも広いプール。大きな トレーニング・ルーム。完全に日顕の遊びの家だった(笑い)。 青木 こんなのを「寺」と呼ぶのは日顕宗だけだ(大笑い)。 松岡 日蓮大聖人は「但正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ」「出 家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは是仏在世の六師外道が弟子なり」等と厳重、厳格に 戒められているではないか。日顕こそ正真正銘の「六師外道の弟子」だ。「魔僧」 だ。御聖訓に照らして、明確だ。 山口 まったく冗談じゃありませんよ!当時、地元の八雲支部の同志は「極悪の一凶 を断じて目黒に入れるな」と祈り抜きました。結局、日顕の邪計、悪計は木っ端微塵 に崩れたのです。 谷川 大きかったのは、この一件で日顕の堕落しきった正体が完全に暴かれたこと だ。 山口 近隣の方々も、みな拍手喝采でした。「本当によかった。あんな成金趣味で品 格のない、坊主のねぐらなんか建てられたら、八雲が汚れていた」と喜んでいました (大笑い)。 青木 宗門事件の初動段階で、目黒が日顕の暗躍を完璧に打ち砕いた。目黒から学会 の完全勝利の流れが始まったんだ。 西 その後の日顕(笑い)。哀れも哀れな敗北地獄だ。最高裁で2度も断罪。自分のほ うで訴えた「シアトル事件」の裁判で大敗北。「芸者写真」裁判でも負けた。 谷川 自分で訴えて、自分で「大ウソつき」「下劣」の正体を晒け出した。これを 「自滅」という(大笑い)。 山本 今も追撃中だ。昨年は「支部4」を超える脱講を成し遂げた。日顕だけは、未 来永 劫、永久に許さぬ! 山口 かたや学会は大前進。日顕を追っぱらった八雲支部も昨年、八雲凱旋支部と八 雲旭日支部の2支部に発展しました(拍手)。 松岡 この地域では、男子部、女子部でも新しい人材が育っている。大いに成長して います。 青木 広宣流布は、永遠に仏と魔との戦いだ。ゆえに極悪と戦い、勝った地域が、い ちばん発展する。福徳が輝く。人材も出る。戸田先生が三類の強敵に向かって、 我々が敢然と戦うときに、広宣流布は成し遂げられると指導された通りだ。その模 範中の模範が目黒だ。 随筆 人間世紀の光 080 ◆大東京の常勝城・足立 ―― 激戦の中で『王者』とそびえ立て! ―― ―― 広宣流布とは「仏」と「魔」の大闘争 ―― ―― 「師弟の道」に勝利あり! ――   「師弟の道」は尊極である。  「師弟の道」は峻厳である。  この「師弟の道」にこそ、広宣流布の永遠の勝利が開かれていくのだ。  日興上人は、五老僧らとの戦いのなかで言われた。  「日蓮大聖人の弟子たち(五老僧ら)は、ことごとく師敵対してしまった。  日興一人が、本師・大聖人の正義を守って、広宣流布の本懐を遂げ奉るべき 人であると自覚するので、その本意を忘れないのである」(編年体御書一七三三 ページ、通解)  御本仏から大事にされ、門下の最も上に立つ弟子たちが、増上慢にも師を軽 んじ、師の心を踏みにじった。  ただ一人、奮然と「師弟の道」を貫き通していかれたのが、日興上人であら れる。  そして、そのあとに続いていったのが、青年であった。  日興上人は、若き門下へ、こう仰せである。  「あなた方はいずれも、大聖人の正義をわきまえておられるので、私は心か ら喜んでいる」(同一七三四ページ、通解)  いかに忘恩の背信の輩が出ようとも、正義の青年が厳として立てば、希望は 絶対に尽きない。  ゆえに創価の花の若人よ!  恩師が「青年訓」に叫ばれた如く、心を一にして難を乗り越え、同信退転の 徒の屍を踏み越えて、末法濁世の正義の闘争を断固として勝ちゆくのだ!      ◇  先日、ニューデリー郊外に広がるインド創価菩提樹園の素晴らしい全景写真 が、聖教新聞の一面を飾った。  ここには、大東京の王者・「足立総区」の木や、「足立兄弟会」の木も、立 派に植樹されている。  法華経寿量品の――  「園林 諸の堂閣は  種種の宝もて荘厳し  宝樹は花菓多くして  衆生の遊楽する所なり」(創価学会版法華経四九一ページ)との文を彷佛させ る輝く緑の景観は、まことに美しかった。  今回、尊きインドの同志たちから、私の名代としてこの園林を訪問した長男 に託して、菩提樹の葉が贈られた。  「菩提樹」――その名は、釈尊が、この木の下で、襲い来る魔の軍勢を打ち 破って、成道したことに由来する。  仏法では、「降魔成道」といわれている。  魔との戦いなくして成仏はない。  「仏」とは、魔軍に打ち勝つ勝利者なのだ。  その戦場は、無明に覆われた人間の心であり、人間が生き抜く娑婆世界であ る。  ことに、法華経の行者として広宣流布の戦いを起こすならば、必ず「三障四 魔」「三類の強敵」が競い起こる。広布を妨げようと、「第六天の魔王」は嫉 妬に狂い、難が襲ってくる。  日蓮大聖人は仰せだ。  「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中 にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあた りて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(御書一二二 四ページ)  仏法は、観念でもなく、形式でもない。魔との大闘争に勝利しゆく法則なの だ。  魔は、予期せぬ姿を現じ、意表をつくようにして、ある時はマスコミを使い、 ある時は政治権力に取り入り、ある時は師子身中の虫となって、和合僧を撹乱 してくる。  多くの者たちを最も動揺させ、やる気を失わせることこそが、魔の実態であ り狙いなのである。  しかし、大聖人は厳然と仰せだ。断じて恐れてはならない。絶対に恐れては ならない。臆病風に吹かれて怯んではならない、と。  「日蓮一度もしりぞく心なし」と仰せの闘魂を、大聖人は弟子たちに打ち込 まれた。  自身の人間革命も、宿命転換も、仏の正義軍の勝利も、勇敢なる「難を乗り 越える信心」、そして「絶対勝利の信心」の決意を持っているかどうかに、か かっているのだ。  シェークスピア劇に登場するある国王は、危険に直面した戦場で叫んだ。  君たちよ――「だからこそいっそう勇気をふるい起こさねばならぬのだ」と。  有名な言葉である。  ともあれ、仏法では「変毒為薬」と教えている。  その逆転劇を生み、勝利しゆくのは、勇気ある信心だ。  現実の困難に立ち向かう勇気から、無量の智慧が湧いてくるのだ。  ピンチをチャンスに変えていける。これが、妙法という不可思議の法則なの である。  王者の魂を持っている君たちよ!  長者の幸福の魂を持っている貴女たちよ! 何があろうが、微動だにする な! 毅然として、大聖人と一体となり、わが勇敢なる同志と一体となり、す なわち異体同心で立ち上がれ!  そして、一切の難を悠然と乗り越え、必ず勝利することだ。  勝利だ! 勝利だ!      ◇  日本に"常勝関西"があるように、大首都圏にも常勝の"王者・足立"があ ることを忘れまい。  これは、全同志が「その通りだ、全くその通りだ!」と賞讃する事実だ。  思えば、昭和六十年前後の七、八年間、私は、幾度となく、足立に足を運び、 この民衆城を完璧に築き上げるために死力を尽くした。  「真剣」には「真剣」が、「誠実」には「誠実」が返ってくるものだ。  わが足立の尊き同志は、やると決めたら一歩も引かない。最後の最後まで、 戦い勝ち抜く執念を燃やしてやり切る。これが、足立の誇り高き友の根性であ った。  当時、私は指導した。  「首都圏が大事だ。各区・各県の境目はあるが、大きく見れば境目はない。  "関西が一つ"であるように、首都圏も一体でいくのだ。  首都圏が団結すれば、すごい力が出る。だから、埼玉、神奈川、千葉、さら に茨城、群馬、栃木、山梨と、東京が連携し、連合していくのだ。  足立はその中心軸になって、大渦を巻き起こす深い宿命に立っていることを 忘れないでいただきたい」  では、どうすれば、首都圏を一つに結合させる大渦を巻き起こせるのか?  それは、わが足立が先陣を切って、最難関の壁を破る大闘争を起こすことだ!  一番戦っている、一番激戦のところに、一番強い、難攻不落の城ができるか らだ。それを中心として、正義の団結の同心円を、勝利の同心円を、限りなく 広げていくのだ。  これが、広宣流布の大指導者であられた戸田先生の弟子として、私が若き日 から築き上げてきた創価学会である。  蒲田を見よ。文京を見よ。札幌を見よ。大阪を見よ。  そして今こそ、わが東京の王者・足立を見よ!  大激戦に鍛えられてこそ、組織も、自分も、強くなる。王者の生命となるの だ。  忘れもしない昭和六十年の一月、私は、足立の一人の幹部に言った。何年か 前に、他県から足立にやって来たリーダーであった。  「君は、いったい、どこの人間なんだ!」  腹の決まらぬ人間は、激戦を支えられない。これは、油断も、逡巡も、弱音 も、あってはならない戦いなのだ。  彼は、決然と叫んだ。  「私は、この足立に骨を埋めます!」  師弟の呼吸だった。  「そうだ。今、戦いの場所はここなんだ。ここに覚悟を決めれば勝てるのだ」  この時、彼だけでなく、皆が強い心、深い決意を定めた。そして皆が、足立 を日本一にしゆく崇高なる決心をもって、一人ひとりが闘将として立ち上がっ た。  そして、皆様方の激闘に次ぐ激闘のおかげで、王者・足立の新時代は始まっ たのだ。これは、永遠に輝く勝利の歴史となっている。  自分のいる場所から、朗らかに戦いを起こせ!  祈りと歌を響かせながら、勇敢に敵を倒せ!  大聖人は、若き南条時光に対して、「をなじくは・かり(仮)にも法華経のゆ へに命をすてよ」(同一五六一ページ)と激励された。  「不惜身命」の信心でこそ、いかなる苦難も、いかなる宿命も乗り越え、勝 ち越えていくことができるのだ。  そして、永遠の功徳を積みながら、広宣流布の大願を達成させていくのだ。      ◇  今年は、私が足立の会合に初めて出席してより、ちょうど五十周年と伺った。  足立の同志の皆様は、私と共に、本当によく戦ってきてくださった。  昨年の春、「さすが王者の足立だ!」と、周囲を感嘆させたことがあった。  東京で初の"トインビー展"の開催である(「『21世紀への対話』――トイン ビー・池田大作展」)。  男女青年部の諸君が献身的に取り組み、会期中、会場である足立文化講堂に は、何と内外十万人近い方々が訪れてくださったそうだ。  思い起こせば、トインビー博士と私の二年越し、のべ四十時間に及んだ対話 は、私に対する博士の期待、いや遺言というべき言葉で終わった。  「ミスター池田!あなたが、世界に対話の旋風を巻き起こしていくことを、 私は、強く念願しています」  以来、私が世界の指導者や文化人と、千六百回を超える対話を重ねてきたこ とは、ご存じの通りだ。  勇気と正義の対話を!  開かれた心の対話を!  この私の信念の行動を受け継ぎ、足立の同志は、勇敢に「対話の旋風」を巻 き起こしてこられた。  痛快なるその風に、創価の完勝の旗が翻ることは、絶対に間違いはないであ ろう。  トインビー博士は、偉大な仕事を為す指針の一つを、こう書き残しておられ た。  「自分の精神が行動する用意ができたと感じたらすぐに、すばやく行動せよ」  いつかではない、今だ!  どこかではない、ここだ!  生き生きとして「所願満足」であり、後悔のない素晴らしき人生であるため に、仏法はある。  その「真実の仏法」「真実の信心」は、戦うことだ。そして、ありとあらゆ るものに断固と勝つことだ。  偉大なる民衆の王者・足立よ!  威風堂々、勝ちまくれ!足立よ! 2005年(平成17年)5月16日(月)掲載 フェイク 第603号(発行= 05.05.16) 日顕は「血脈断絶論者」だった  日顕宗が浅井の対決申入れに珍回答  ビール片手に「血脈が切れたって別段いいんだ」  日顕宗の「青年僧侶邪義破折班」は今回の顕正会・浅井の「対決申 し入れ書」には無かった「血脈断絶論」にも言及し、陳腐な反論を書 いている。  破折班が取り上げているのは浅井が平成十一年四月に語った次の内 容である。  「細井管長は昭和五十四年七月二十二日、入院していたフジヤマ病 院で、臨終思うようにならず急死を遂げた。貫首の立場にある人が、 誰もそばにいない時、一人で急死してしまった。よって御相承をする ことが出来なかったのであります。まさしく御遺命に背いたゆえに、 細井管長は御相承を『授ける』ことができず、阿部管長また御遺命違 背の科によって『受ける』ことができなかった。『授』なく『受』な しであります」(顕正新聞 平成十一年四月二五日付)  この「御遺命に背いたゆえに」は浅井の我見だ。日達師は日顕への 相承の意思がなかった。また「『授』なく『受』なし」は学会の主張 に便乗した説で、その意味では宗門が浅井を指し「突如として血脈が 断絶したと言い出した。全く主義主張の一貫しないあきれ果てた変節 漢である。(中略) 登座後二十年も経ってからそのようなことを言い 出すとは、正信会・創価学会のあと乗りも良いところである」「自分 の都合で主義主張を変更する変節漢」との罵倒は的を射ている。  そこで「変節漢」と指弾されても反論できない浅井に一つ重要な情 報を教えてあげよう。実は、日顕自身が法灯連綿を否定する「血脈断 絶論者」なのである。  それは日顕が本行寺住職であった当時の昭和三十三年、教区内の末 寺の御会式に向かう途中、同行の所化に語ったことがある。  日顕は、これから御会式に参加するというのに所化を食堂に誘って、 ビールをグイグイ飲みながら突然、日蓮正宗は血脈が途切れていると 言い出したのだ。  日顕 お前は、血脈というものが切れたら、どうなると思う?  所化 いけないと思います。日顕 君はそう思うか。そりゃ、しか し宗門の歴史の中には、そういうことがあるんだよ。  所化 あるって言いますと……?  日顕 歴史の中には切れたような感じもあるんだよ。要は「内容」 なんだ。血脈が切れたって別段いいんだと俺はそう思うが、お前はど う思う?  日顕の「血脈断絶論」を聞いたその所化は、余りの衝撃の大きさに 当時のことを今も鮮明に記憶しているという。  青年僧侶邪義破折班は浅井を変節漢と呼ぶのであれば、同じく日顕 も変節漢だと糾弾せよ。或いは、日顕が変節漢でないのなら今も「血 脈断絶論者」なのか?  さて、破折班の幼稚な反論の中で、特に滑稽なのは山崎正友を擁護 している箇所だ。山崎は「板本尊偽作論」(身延僧・安永弁哲著)を掘 り下げ、本腰を入れて戒壇の大御本尊を攻撃せよ、と身延派の会合で 煽った事実は本紙で詳報した。  それを浅井が勝手に流用して日顕を攻撃したのだが、破折班は詭弁 を弄して「(山崎が)日蓮宗の謗法を指摘した」と支離滅裂の弁解。  折伏の経験もない山崎が、身延派に招かれた会合の席で、日蓮宗を 破折することなど絶対にありえない。 フェイク 第602号(発行= 05.05.15) 「浅井の主張は学会の二番煎じ」  日顕宗が浅井の対決申入れに珍回答  身延僧、邪教幹部を招くのが大石寺古来の化儀?  邪教・顕正会の浅井昭衛が日顕に突きつけた「対決申し入れ書」に 対し、日顕側は「大白法」の四月十六日付に続いて五月一日付でも頓 珍漢な反論をしている。  本号では浅井の日顕攻撃、それに対する宗門側の珍妙な反論を紹介 しながら解説を加えることにする。  まず、浅井は学会系の創価新報、各種文書を丸写し。「戒壇の大御 本尊に敵対している身延派の悪侶を幾たびも大石寺に招き入れた」と 攻撃した。これに対し宗門の「青年僧侶邪義破折班」の回答は「大石 寺の見学を許可するのは本宗古来の化儀」だと、見学に限って許可し ていると、いきなり嘘をついている。  許可するのは見学だけ?  かつて、宗門は国柱会の幹部や身延派の僧に御開扉を受けさせてい たではないか。五十五世・日布が山川智応ら国柱会幹部、姉崎某など 未入信の仏教学者に御開扉を許可し、参詣の御礼まで述べた謗法行為 は有名だ。  だが、顕正会は会館・事務所に、この日布の御本尊の複製を安置し ているため日布の悪口が言えないのが辛いようだ。加えて大石寺近く の身延派本源寺の本間俊顕住職は何度も御開扉を受けていたと証言し ていた。  次に、浅井は「高野日海をして蓮葉庵において饗応せしめた」と非 難している。  これに対する宗門側の言い訳が面白い。「(大石寺に来た)日蓮宗 僧侶の中に(高野日海の)大学の同窓生がいたから)蓮葉庵でお茶を出 した」と弁解。まさに「招き入れて接待した」と告白しているのと同じ だ。  そして宗門は「(浅井の主張は)創価学会の怪文書そのままの受け売 りではないか。貴殿はいつから創価学会の飼い犬となったのだ」と揶 揄している。  一つ断っておくと、浅井は本紙も参考にしているが、本紙は「創価 学会の怪文書」ではない。中立・公平な宗教関係の情報紙であること を念告しておく。  更に、浅井が「(身延派の悪侶)一行を案内したのは大石寺内事部 理事・小川只道。しかも、この小川は、帰着した佐藤順映に礼状まで 送っている」と追及。その宗門側の弁明は「身延派日蓮宗の僧侶を案 内したのは小川理事ではない。内事部の職員が案内した」と開き直っ ているから滑稽だ。どっちにしても身延僧を案内した事実に変わりは ない。  また、浅井は「(日顕が)昭和五十三年二月七日(中略)戒壇の大御 本尊を『偽物』と誹謗した――この事実は、河辺慈篤の記録いわゆる 『河辺メモ』に明らかである」と「同盟通信」等の丸写しで迫ってい る。  ここでも宗門側が「これは創価学会の『二番煎じ』である」として 「河辺慈篤師の逝去を良いことに言いたい放題のことを言っている」 と述べ、「記録ミス」と断じている。  河辺の死を良いことに大嘘を並べているのは宗門だ。メモ魔・河辺 の記録の正確さは宗内でも定評があった。   浅井の「奉安堂という大規模な礼拝施設を作り、各末寺・法華講に 登山を強要しては収入の増大を図っている。これ戒壇の大御本尊を営 利の具とする以外の何ものでもない」との主張に対し「登山参詣を奨 励するのは当然」と強弁する。  法華講員は今後も「登山地獄」が続くことを覚悟する必要がある。 (つづく)