2005.9.24SP  創価一貫教育協議会での創立者のスピーチ〔上〕 ◆◆◆ 人材を見つけ、育てよ! それが勝利の鉄則 ◆≪ユゴー≫未来は教師の手の中に     ――青年に贈る宝は「悪と戦い抜く勇気」 ◆◆ 〔戸田大学での薫陶〕      どんな大学者とも論じあえる力を持て 【創立者のスピーチ】  一、創価一貫教育協議会の開催、まことに、ご苦労さまです。  ご存じのように、これからの教育界は、少子化の影響を絶対に避けては通れ ない時代に入っていく。  すでに、定員割れなどの厳しい現実に直面している大学や高校も少なくない。 どんな有名校といえども、決して安閑としてはいられない。  生き残りをかけて、どの学校も必死で戦っている。一段と熾烈(しれつ)な 競争の時代を迎えている。  こうした重大な転換期にあって、今、わが創価大学、創価学園は、教育界の 「希望の太陽」と輝いている。  ありがたいことに、国内からも海外からも、大きな期待と賞讃の声が寄せら れている。  そのことを、だれよりも、牧口先生が、戸田先生が喜んでくださっていると 確信する。  創価教育の前進と興隆こそ、両先生の悲願であったからだ。 ◆ 素晴らしき活躍  一、先日18日、第1回の「創価学園大会」が盛大に開催された。  東西の創価学園、ならびに札幌創価幼稚園の出身者が、一堂に会することが できた。  皆、本当に立派になっていた。懐かしい顔ばかりであった。  その際、学園出身者の皆さんの活躍も、さまざまにうかがった。  博士号の取得者は193人。  医師、歯科医師、そして現役の医学生は310人。  司法試験の合格者は88人。  公認会計士は105人。  小学・中学・高校の教員は1000人以上。  大学教員・研究員は146人。  パイロットは7人。  企業経営者は156人。  このほかにも、あらゆる分野で、学園生が見事に勝利の実証を示してくれて いる。  学園時代の誓いを果たさんと、皆、涙ぐましいほどの努力と挑戦を続けてく れている。  創立者として、これほど、うれしいことはない。誇り高いことはない(大拍 手)。 ◆ 後輩よ続け!  一、後輩の学園生の皆さん方も、偉大なる先輩たちの後に、陸続と続いてい ってもらいたい。  また、日ごろから全身全霊で薫陶にあたってくださっている教職員の皆さま 方には、どうか、これからも、大切な大切なわが創大生、短大生、学園生を、 よろしくお願い申し上げたい。  フランスの文豪ユゴーは、名作『レ・ミゼラブル』のなかで、こう綴った。  「未来は教師の手にある」(辻昶訳『ヴィクトル・ユゴー文学館 第3巻』所 収、潮出版社)と。  未来は、教員の皆さん方の手の中にある。  未来の宝の人材を育てゆく、皆さま方の使命は、限りなく大きい。 ◆ 学校の真価は生徒で決まる  一、戸田先生は言われた。  「学校は、生徒で決まる。どれだけ、いい生徒を集め、育てたかで決まる。 また、それができるのが、いい教師なのだ」と。  学校の真価は、生徒で決まる。学生で決まる。  どれだけ優秀な人材を社会に送り出したか。それで決まるのである。  私は、世界最高峰の名門・モスクワ大学のサドーヴニチィ総長とも、21世 紀の大学のあり方などをめぐって、種々、語り合ってきた。  モスクワ大学は、本年で創立250周年。  この佳節を記念して、サドーヴニチィ総長との対談集のロシア語版も発刊さ れた。  <総長との対談集の日本語版は、『新しき人類を新しき世界を――教育と社 会を語る』『学は光――文明と教育の未来を語る』の2冊が潮出版社から刊行 されている>  対談の中で、総長は、モスクワ大学の教員たちが、最優秀の学生を集めるた めに、いかに真剣に努力しているかを話してくださった。  すなわち、,新入生を迎える準備として、まず大学の教員が、小グループに 分かれ、ロシアの50以上の地方都市を訪問する。  そこで、さまざまな角度から実力を試す、科目別の「オリンピック」を開催 し、最優秀の学生を選出する。  そのようにして優れた才能を発見し、受験のアドバイスを行うというのであ る。  いい学生を集めるために、世界の一流大学も真剣である。だれよりも、総長 自らが率先して行動しておられた。  そして、21世紀のロシアを任せられる、世界の平和を託していける、偉大 な青年が、数多くモスクワ大学に入ってくるように――こう祈るような思いで あると述べておられた。  指導者の深き決意と真剣な行動こそが、世界屈指のモスクワ大学の伝統を築 いてきたのではないかと私は思う。 ◆ 辛労(しんろう)を尽くしたものは壊れない  一、辛労の汗を流して築いたものは、簡単には壊れない。  反対に、人まかせにして手を抜いたものは、崩れるのも早い。  一時(いっとき)は、うまくいっているように見えても、まさに"落とし穴" に落ちるように、一瞬にして破滅の時を迎えるものである。  なにごとも、人にやらせるのではだめだ。  すべて、自分たちでやっていくことだ。  自分たちが動き、自分たちが祈り、自分たちが結果を出していく。  それが永遠の勝利の鉄則である。  私自身、これまで、死にものぐるいで、創価学園のため、創価大学のために 尽くしてきた。  自分自身のことなど、一切、なげうって、学校の設立のために、働きに働い た。  原稿を書きに書いて、その印税を注ぎ込んできた。  創価大学、創価学園の創立は、戸田先生との約束である。  わが命を削ってでも、果たさなければならなかった。  また、私の心を知る無数の同志の方々が、自分の生活を切りつめに切りつめ、 21世紀の世界平和のリーダーを育てゆくためにとの熱い思いで、真心の寄付 を寄せてくださったことも、絶対に忘れてはならない。  このようにして出来上がった"民衆立の教育の大城"こそが、わが創価大学 であり、わが創価学園にほかならない(大拍手)。 ◆ 万年の基盤を!  一、今こそ、私は、万年の未来へ、創価教育の崩れざる基盤をつくっておき たい。  いつなんどき、崇高な教育の事業を、私利私欲のために利用するような人間 が出るかも分からない。嫉妬や悪意による攻撃を仕掛けてくる輩も出てくるで あろう。  そういう連中を絶対に許してはいけない。敢然と戦い抜き、打ち破っていか なければいけない。「  「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ」とは、牧口先 生の至言である。  悪と徹して戦う行動の中にこそ、正義の創大魂があり、勇気の学園魂が光る のだ。 ◆ 傍観者になるな  一、先日も紹介したが、イギリスで最も偉大な教育者と謳われるトーマス・ アーノルドについて話しておきたい。<19世紀、名門「ラグビー校」の校長 として活躍>アーノルドの教え子たちは、彼を一生涯、慕い続けた。よき先生 に巡り合った教え子とは、そういうものだ。  私もいまだに、小学校時代の先生方のことを鮮やかに覚えている。<創立者 の小学校入学は昭和9年(1934年)>  小学校1年が手島(てじま)先生、2年が日置(ひおき)先生。ともに女性 の先生であった。  3、4年の時は、竹内欽吾(きんご)先生。  5、6年の担任は、檜山浩平(ひやまこうへい)先生。檜山先生は、私の成 長と活躍を大変喜んでくださり、昨年亡くなられるまで、折に触れて交流させ ていただいた。  続く高等小学校の2年間は岡辺克海(おかべかつみ)先生である。  当時、戦火の色は、年を追って濃くなっていった。私は4人の兄を戦争にと られ、長兄をビルマで亡くした。  しかし、恩師の方々のことは、あの暗い時代にあって、明るく温かい思い出 として、今も胸に残るのである。  一、さて、アーノルドの何が、そこまで教え子たちを魅了したのか。  それは、彼の「戦う魂」であった。 ある卒業生は、こう書き記している。  「この方はこの世における一切の卑劣なもの、女々しいもの、不正なものと、 全身全霊を挙げて闘っているのだと悟ったとき、その言葉に耳傾けたのである」  「たとい何人(なんびと)が屈しようと、休戦をしょうと、己れの最後の息 の根の止まるまで、最後の血の一滴が流れつくすまで、戦い通さずには置かな い(生徒らはみんなそう感じた)といった、少年の軍勢を率いるには理想的の 指揮官だった」(前川俊一訳『トム・ブラウンの学校生活・上』岩波文庫、現 代表記に改めた)  人間の社会には常に、不正や虚偽がある。正しい者が迫害される。まったく 転倒した現実がある。  教育者は、それを傍観したり、無関心であってはならない。断固として、戦 うべきである。  社会の悪に怒り、悪と戦う魂――それが学生を感動させるのだ。  悪と戦い抜く勇気こそ、青年に贈る最高の宝なのである。 ◆ 徹して読み徹して書いた  一、アーノルドの教え子たちには「あれほど偉大な教育者に学んだのだ」と いう自負があった。  私の人生最高の誇りも、戸田先生の弟子であるということだ。  教育者であられた先生は、一人の本物の弟子を育てることは、千人、万人を 育てるに等しいことを確信しておられた。そういう心で私を訓練してくださっ た。  先生の事業が行き詰まったために、私は大学に行くことをあきらめるしかな かった。  「苦労をかけてしまうな。しかし、私が教えよう。実力だけはつけてあげよ う」  先生はそう言われ、万般(ばんぱん)の学問にわたって、一対一の個人教授 をしてくださった。  「どんな大学者とも、論じ合えるように育てたい」――それが先生の深き深 きお心であった。  先生の教育の基本は「読むこと」「書くこと」であった。  私は徹底して、本を読まされた。ことあるごとに「きょうは何の本を読んだ か」と厳しかった。  そして、徹底して書かされた。私は、先生の出版社で、少年雑誌の編集長を 任され、時にペンネームも使って、様々な文章を書き続けた。  この「戸田大学」での真剣な薫陶があればこそ、私は、トインビー博士をは じめ、世界の指導者、識者と縦横に語り合うことができた。  どんな時代になっても、社会のどんな分野に行っても、負けない自分をつく る。それが教育の力なのである。                   (〔下〕に続く)