フェイク 第626号(発行=05.10.05) 破綻した「法主の許可・開眼」の難癖  「C作戦」から十五年、滅亡する宗門 F 草創期に授与の御本尊も今と同じ寛尊の御形木だ  日顕の大謗法の代表例は「大御本尊偽物発言」に加えて、学会が授 与する日寛上人御書写の御形木御本尊を「ニセ本尊」呼ばわりしてい ることである。特に、平成九年八月の全国教師講習会で日顕は八時間 にわたって説法したが、そのうち半分の時間を費やして日寛上人御書 写の御本尊の誹謗を繰り返した。  今も妙観講員らが日顕の口真似で高齢の独り住まいのお年寄り宅に 上がり込んでは「ニセ本尊」だと罵り、御本尊を強奪する事件を起こ している。そのため本号では、日寛上人の御形木御本尊に対する日顕 の冒涜・誹謗の数々を改めて相貌、授与書き、開眼、許可という四つ の角度から徹底的に粉砕する。  学会が平成五年九月、「信心の血脈を受け継ぐ仏意仏勅の和合僧団」 の資格で授与を開始した二十六世日寛上人御書写の御形木御本尊は、 享保五年(一七二〇年)に書写され、開基七百二年の古刹・淨圓寺(栃 木県)に格護されてきた。  身の程知らずの日顕は、日寛上人の御本尊の相貎そのものに難癖を つけ「日寛上人の御本尊様は……戒壇の御本尊様の十界をお書きに なった御本尊様が一幅もないんです。全部、略本尊なんです」「こん なこと言うと、まあちょっと、悪いかもしれないけどね」等々と軽口 を叩いていた。  更に、二乗が欠けているから二乗作仏の意義が云々と言いかけたが、 さすがに言い過ぎに気付いたのか、慌てて「略本尊も正本尊も、悉く 尊い御本尊であり一切唱題の功徳に相違はありません」と説明。誹謗 しながらも「功徳がある」と認めたのだが、日顕如きに言われるまで もなく、学会が授与している日寛上人御書写の御本尊が尊い御本尊で、 唱題の功徳が絶大であることは当然であり、学会員は皆、熟知している。  それは、この御本尊が昭和四十年頃まで学会員が授与を受けてきた 日寛上人の享保三年の御形木御本尊と全く同じ相貌であることからも 明らかである。学会は草創期に、その御形木御本尊を拝して何十万、 何百万の人が厳然たる功徳の実証を示したのである。  こうした歴史的な事実の裏付けがあるため、日顕も、日寛上人の御 本尊の相貌にはケチをつけても、略本尊だからニセ本尊だとは言い切 れず、功徳が無量無辺であることを認めざるを得なかった。  そこで、日顕は@学会授与の御本尊は「授与書き」が削除されてい る A法主による開眼がない B授与について法主の「許可」がない、 と難癖をつけたのである。  ところが、これは日顕の邪見であり、単なる言い掛かりにすぎない。  第一に日顕は、日寛上人から御本尊の授与を受けた本證房日證師への 授与書きが削除されているから「日證師の心を踏みにじる」等と愚劣な 批判をしたが、見当違いも甚だしい。  御本尊の余白に記された、授与を受けた人の名前は、日興上人が「所 賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり」(御書一六〇六 ページ)と仰せのように、授与を受けた人が強盛な信心を貫いてきた功 績を称賛する意義がある。  だが、その人名は御本尊の本体に属するものではなく、御本尊の力 用とは何の関係もないのだ。従って、その名前を削除しても全く差し 障りはなく、書写した法主及び授与された人、双方の意志を傷付ける ことにもならない。  日寛上人が御本尊を書写された御心は当然、広宣流布と一切衆生の 成仏で、その御本尊が全世界の人々に授与されることは日寛上人並び に日證師の願うところであることは間違いない。  日顕自身も説法の中で、弘安以降に書かれた大聖人御真筆の御本尊 においても、授与者名のない例が二割近くある事実を認め、授与書き が御本尊の本体に属さないことを自ら表明していたのである。  更に言うと、日顕は学会が日寛上人の御本尊の授与書きを削ったと 非難するが、正しくは「御本尊の本体の部分だけを御形木にした」と いうことだ。淨圓寺所蔵の御真筆の御本尊の授与書きには何一つ手を 加えてはいないのである。  反対に、日顕宗の方こそ、寺の本堂の御本尊の脇書きにある願主名 を削ったり、漆で塗り潰したり、その御本尊を書写した日達上人らの 心を踏みにじっているではないか。  第二点目として、日顕は御本尊には法主による開眼が必要であると して、次のようにいう。  「以前から今日に至るまで、あらゆる御本尊は、下附のために総本 山から離れる前に、丑寅勤行において法主が祈念をしているというこ とを、再度、申しておく次第であります」  だが、これはウソ八百である。かつて御本尊は末寺から発行され、 法主の開眼はなかった。  その証拠に、御形木御本尊は昔、各末寺で授与するのがそれぞれ 違っていた。  例えば、妙光寺は五十五世日布、法道院が五十六世日応、常在寺が 五十七世日正というように、いずれも有縁の法主の御本尊を独自に印 刷・表装・授与していたのである。  また、学会員が草創期に授与を受けていた日寛上人の享保三年の御 形木御本尊は、昭和三十年代には池袋の法道院で印刷し、全国の末寺 は大石寺を経ずに直接、法道院から受け取っていたではないか。  日顕が言うような、本山での法主の開眼など御形木御本尊について は全く行われていなかった。日顕は相承を詐称するだけあって、質の 悪い大ウソつきだ。  日蓮大聖人は法主による御本尊の開眼など御書に書かれていない。 大聖人御在世当時、絵像・木像の開眼供養が真言密教によってなされ ていたので「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(御書三 六六ページ)と仰せられのである。  大聖人の仏法においては「法華経の題目は一切経の神・一切経の眼 目なり」(同一〇六〇ページ)、「今末法に入って、眼とは所謂未曾 有の大曼荼羅なり、此の御本尊より外には眼目無きなり」(同八四一 ページ)等と仰せである。南無妙法蓮華経の御本尊自体が仏の眼目そ のものだから、他宗の仏像のような特別な開眼の儀式など一切、必要 ないのだ。  重ねて言うと、学会員が草創期に授与を受けていた享保三年の日寛 上人の御形木御本尊は、相貌も今と同じで、授与書きもなかった。法 主による開眼も受けていなかったことは先に述べた通りである。つま り、学会が現在、授与している享保五年の日寛上人の御形木御本尊と 悉く同じである。  故に日顕らが今、学会授与の御形木御本尊を「ニセ本尊」と呼ぶこ とは、戦前から総本山大石寺が授与し続けていた御形木御本尊をニセ モノ呼ばわりするのと同じことだと知れ!  第三に、日顕もこの享保三年の御形木御本尊と今の学会授与の御形 木御本尊が全く同じという点を指摘されるのが最も痛いらしい。  あの八時間にも及ぶダラダラ説法でも、この二つの御形木御本尊の 違いについて「資格のない者が許可なく、正当な会議もなく、勝手に まき散らしているところであります」「以前に、日寛上人の形木御本 尊下付のときは……宗門の御法主上人の允可もあり」と述べていただ けである。  要するに「ワシの許可がないからダメッ」と駄々をこねているにす ぎない。  御本尊授与は法主の「権限」というより「役割」であったが、日顕 は自らその役割を放棄したのだ。信心の血脈を受け継ぐ唯一の和合僧 団が御本尊を授与するのにニセ法主の許可など全く必要はない。  (つづく)