随筆 人間世紀の光 099 ◆牧口先生の御書 ―― 確固不動の「人格の背骨」を作れ! ―― ―― 教学研鑽の秋! 広宣流布の人材を育成 ――   わが生命から永遠に去らない、一冊の本がある。  それは、先師・牧口常三郎初代会長が生前、使われていた「御書」である。 現在は、東京牧口記念会館の顕彰室に展示されている。  青年時代、初めて、この御書に目を通す機会があった。それは、「命をかけ た研鑽」の厳粛な証であった。  ぼろぼろになった表紙を開くと、それこそページを繰るごとに、朱線や鉛筆 の書き込みが目に飛び込んでくる。  二重線もあれば、傍点もある。重要な一節が四角く囲まれている。複数のペ ンの書き込みがあったり、難解な御文の余白に「検討」「再検討」と記された ページもある。  何度も、何度も研鑽されたことがうかがえる。  特に朱線の多いのが「開目抄」である。しかも、「行者とは何ぞや」「折伏」 「大願」「諸難」「現罰の有無」等の書き込みが、蓮祖の御精神に肉薄せんと 格闘するかのようにひしめいていた。  今、私は「開目抄講義」を続けているが、この牧口先生の峻厳な研鑽の姿が、 常に、胸から離れない。  先生は五十七歳で入信して以来、日蓮大聖人の仏法を学び抜かれ、広宣流布 のため、破邪顕正のために、御書を徹底的に用いられた。  狂気の軍国主義が信教の自由を脅かすなかでも、御書を携えて個人指導に歩 き、座談会に出席し、邪義、仏敵を破折し続けられた。  獄中でも、先生は、差し入れの品として、真っ先に御書を所望されている。  私は粛然とした。  「御書を学ぶとは、なんと峻厳であることか!」  「私も学び抜こう! わが生命を、五体を、御書にぶつけるようにして!」  そして、「この大仏法を、必ず全日本へ、世界へ!」と深く決意を固めたの だ。      ◇  菊花薫るこの十一月、学会伝統の「教学部任用試験」が全国で実施される。 また明年二月には、「青年部教学試験一級」も予定されている。  大聖人の仏法を学ぶ求道の波は、日本はおろか全世界に広がっている。  あの国で、あの地で、尊き同志たちが御書を拝し、世界広布の大ロマンに生 き抜いている姿を伺うたび、私の胸は喜びに躍る。  御書は「信心の背骨」であり、ゆえに確固不動の「人格の背骨」となるのだ。  さらに、「言論戦の柱」である。万人の幸福の大道を開く「希望の経典」で あり、「勇気と智慧の源泉」である。  教学こそ、危険千万な人生の荒海を渡るための羅針盤の大哲学なのである。  教学が強くなれば、信心はさらに強くなる。反対に強靱な"背骨"がなけれ ば、いざという時に弱い。  あの戦時中の学会弾圧で、投獄された幹部は次々に退転した。「結局、教学 がなかったからだ!」と、戸田先生は憤激された。  蓮祖が、「つた(拙)なき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするる なるべし」(御書二三四ページ)と叱咤された通りの姿であった。  この「まことの時」に強い人は、例外なく、御書を生命に刻んだ人である。  牧口先生は、「行学の二道をはげみ候べし」(同一三六一ページ)の御文があ るページに、"二重丸"を付けられていた。  唱題・折伏と教学は、信心修行の両輪であり、根幹である。この御聖訓を軽 んじ、地道な研鑽を避けてしまえば、損をするのは自分自身だ。  私の御書にも、わが人生の激闘が刻まれている。  「この御抄は、戸田先生と拝した」「この御文は、あの苦難の時に読んだ」 ――若き日から今日まで、広布の闘争は、常に御書と共にあった。  御書には、末法の御本仏である大聖人の師子吼が、烈々と轟いている。仏の 慈悲の炎が赤々と燃え、智慧の大河が滔々と流れている。  この戦う生命を、わが生命に受け継ぐための教学だ。  受験者の皆様は、特に青年部の諸君は、「もうこれ以上勉強できない」とい うくらい学んでほしい。その「限界を破る」挑戦が、一生涯の宝となって光っ ていく。   先輩方も、「『広布の次の五十年』を切り開くのだ」という思いで、全力で 応援し、力ある広布の人材を育成していただきたい。  研鑽にあたっては、ぜひ、「直接、御書を繙く」ことを心掛けてほしい。講 義録や解説などは、あくまで補助にすぎない。御書の本文も読まずに、「わか ったつもり」になることが一番怖い。  少々苦労しても、王道を行くことだ。直接、御書と格闘する刻苦奮闘こそが、 信心の合格者への大道である。      ◇  「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり」(同一一 六五ページ)  この有名な一節に、牧口先生は朱線を引かれ、さらに、ページの余白には、 「勝負」「賞罰」と赤ペンで強く書き込まれている。  また、「瞋恚は善悪に通ずる者なり」(同五八四ページ)の上には、「公瞋と 私瞋か」と記された。「瞋恚」とは怒りである。  「大慢のものは敵に随う」(同二八七ページ)の上には、「大慢敵にしたがふ」 と、御文を確かめるように書き込んでおられる。  「公のため」「国のため」とうそぶき、実体は「私利私欲」を貪り、敵とな っていく「大慢」の連中に、激怒した先生であられた。  そして現実に、正義の行動を起こし、無理解の非難中傷のなかで、尊き殉教 の生涯を終えられたのである。  その遺志を継いだ戸田先生は、仏敵に対して阿修羅の如く反撃された。  戸田先生のもとで薫陶を受けた私もまた、健気な学会員を苦しめる輩を、絶 対に許さなかった。  キューバ独立の父ホセ・マルティは訴えた。  「(正義に)対立する新聞には、(正義を)擁護する新聞を。敵対する書籍には、 正義の書籍を。慎重に、かつ鋭く、すべて攻撃的な言葉で応戦するのだ。敵が 攻めてくる可能性があるならば、どこであれ、常に戦いの旗印を掲げなければ ならない」  勝ってこそ正義だ。大悪と戦ってこそ大善である。  大いなる理想のために戦った先人は、皆、その冷厳なる事実を命に刻んでい る。  ましてや創価の言論には、大聖人がそうであられたように、極悪に対する一 片の妥協もあってはならない。  文豪・魯迅は、狡猾な悪人を激しく追撃した。譬喩的に、こうも書いている。  「まず水のなかへ打ち落とし、さらに追いかけて打つべきである。もし自分 で水へ落ちたにしても、追い打ちしていっこう差支えない」と。  責められると改悛したふりをし、許せばまた民衆を裏切って悪事を働く…… そんな悪党を、魯迅はペンの剣で斬りまくった。牧口先生が言われた"公瞋" にも通ずる正義の怒りは、私もよくわかる。  今の日本社会でも、嫉妬の中傷が、いかに横行していることか! 怨嫉の毒 をまき散らす輩に、いかに庶民が苦しめられていることか!  転倒した社会を「民衆のための社会」に戻すためには、「民衆のための言論」 を強くし、正義が勝つしかない。  そこに、「立正安国」の現実の前進もあるのだ。      ◇  フランスの大文豪ロマン・ロランは言った。  「他人の上に太陽の光を注がんためには、自分のうちにそれをもっていなけ ればいけない」――その「太陽」を、私たちはもっている。自分が縁した人び とに、燦たる希望の大光を送る「太陽の仏法」を受持しているのだ!  偉大な力があるのだ。  偉大な使命があるのだ。  さあ、世界最高峰の大仏法哲学を胸に抱いた、誇り高き創価の闘士たちよ!  輝く人間世紀を創る、広宣流布の思想戦に、共に勇んで打って出ようではな いか! 2005年(平成17年)10月13日(木)掲載