2006.7.15SP ――――――――――――――――――――――――――――――――――  名誉会長アルバム「対話の十字路」第36回      アタイデ総裁             ── ブラジル文学アカデミー ――――――――――――――――――――――――――――――――――  夜も9時近い。  情熱のサンバの街、リオデジャネイロにも、ひとときの静けさが戻っていた。  彼方には南十字星が ── 。  その空から、ゆっくりと、池田名誉会長夫妻を乗せた飛行機が舞い降りてきた。  リオ訪問は27年ぶり。空港の貴賓室には、待ちわびた人々の歓声が響いた。  その時である。貴賓室の柔らかいソファに、深々と身を沈めていたアタイデ総裁が、 立ち上がった。名誉会長が入ってくるであろうドアをめがけて歩き始めた。  皆が驚いた。ついさっきまで、両脇を人に抱えられて移動していたのだ。  十数メートル歩いたところで、そのドアが開いた。名誉会長が現れた。両手を大きく 広げている。総裁も、精一杯、手を広げた。  二人はついに、ともに待ち望んでいた出会いを実現させた。固く抱き締め合った。  「きょうは、わが恩師に、再び、お会いするような気持ちでまいりました」と丁重に挨 拶する名誉会長。その手は、総裁の腕を下からしっかりと支えていた。  総裁は94歳。戸田先生が健在であれば同年代である。総裁は、めったにみせない 笑みを浮かべた。「会いたい人に、やっと会えました!」  この日、アタイデ総裁は、到着の2時間前から空港に来ていた。体調を心配するSG Iの関係者に総裁は言った。  「私は、94年間も池田会長を待っていたのです。1時間や2時間は何でもありませ ん」                ◇  ブラジル文学アカデミー総裁、アウストレジェジロ・デ・アタイデ。その名は生きている うちから伝説となっていた。1930年代、自国の独裁政権と戦い、3度の投獄、3年間 の国外追放。  戦後は、国連の「世界人権宣言」の起草の推進に全身全霊を捧げ、エレノア・ルー ズベルト大統領夫人やノーベル平和賞のルネ・カサン博士らとともに、歴史に輝く足 跡を残している。  だが、それで、「差別との戦い」が終わったわけではなかった。否、そこから戦いは 始まったのである。  総裁は世界を駆け巡った。差別に苦しむ人々に寄り添い、同苦し、涙して、この人た ちを守れと叫び続けた。  新聞に綴ったコラムは5万本。じつに「70年間、毎日平均2本」を書き続けてきた。  名誉会長のリオ訪間中も、94歳のコラムニストは、連日の執筆に、あらんかぎりの 精力を注いだ。  その一言一句が“正義と行動の人”への讃歌であった。記事は、翌日も、また翌日も、 新聞を飾った。  「我々は人類の運命の行方を決める一人、池田大作氏を迎えることができた」  「氏は、現代人が望む、すべての人間性を持ち合わせた人である。全宇宙を照らす 星座のごとく、信じた哲学をべースに、人類を平和に導く偉大な人物である」  「氏は、『武力』を『対話』に変え、相互理解と連帯の力が、すべての悪の脅威に打ち 勝つことを教えたのだ」  「氏は、人を引きつけ、リードしていく『妙なる力』と『宇宙から与えられた使命』を持っ ている。創価学会の使命をわが使命とし、平和のメッセージを世界中の人々に送り続 けている」〈「ジョルナール・ド・コメルシオ」紙等から〉               ◇  リオ訪問のクライマックスは、南米最高峰の知性の殿堂・ブラジル文学アカデミー 「在外会員」就任式である。  同アカデミーの会員は、40人の国内会員と20人の在外(海外)会員から構成され、 いずれも終身制。在外会員は、現会員の推薦によって選考されるが、総裁は、就任 以来34年間、一人も推薦したことがなかったという。  その総裁が初めて推薦したのが、名誉会長であった。東洋人で初の選出である。  「この人を讃えずして、だれを讃えるのか」壇上で厳かにアカデミー会員に迎えられ る名誉会長の横で、白髪の獅子は、満足そうに、誇らしげに立っていた。  就任式が終わり、会場を出ると、総裁は崩れるように、ソファに座り込んだ。 肘掛けに手をやって、なんとか立とうとする総裁を、「このままで結構です。どうか、こ のままで」と制する名誉会長。  その手をとり、そっとキスをして、「日本に帰っても、私たちに平和のメッセージを送っ てください」と惜別の辞を述べる総裁。  新たな世紀へ、戦う魂の炎を託しゆく、人間美の極みの儀式のようであった。 *********************************************************** アウストレジェジロ・デ・アタイデ  1898年9月、ブラジル・ペルナンブコ州生まれ。リオデジャネイロ連邦大学卒。新 聞記者。第3回国連総会(1948年)で採択された「世界人権宣言」の作成に、ブラジ ル代表として尽力。1959年、ブラジル文学アカデミーの総裁に就任。名誉会長と対 談集『21世紀の人権を語る』を発刊。93年9月に逝去。享年94歳。 ***********************************************************