2009年2月10日付 聖教新聞 長編詩 偉大なる尊き母の交響楽 池田 大作 偉大なる尊き母の交響楽 優しくして 賢き 勇気ある母に贈る−1   母は 美しく 確固たる心を 持っている。 母の尊さは 姿や衣裳ではない。 位や財宝でもない。 家の大きさでも 庭の広さでもない。 母は太陽である。 何よりも明るい。 母は大地である。 限りなく豊かだ。 母は幸福の旗である。 いつも朗らかに 頭を上げて胸を張る。 正義の母は いかなる嫉妬や 嫌がらせの迫害を 受けても 少しも動じない。 学歴がなくても 意地悪されて 悪口を言われても 有名人のように 騒がれなくても 賢き母は 微動だにしない。 先祖や親戚に いかなる 偉い人がいても 著名人がいても 優しき母の心に 敵う人はいない。 仏法では 「心こそ大切なれ」 「さいわいは  心よりいでて  我をかざる」と 説かれる。 「心」が 幸福の根本なのだ。 地位にも 財産にも とらわれず わが信念のまま 母は地道に 今日も 皆のために祈る。 今日も 人びとのために 駆けずり回る。 私が若き日から愛読した アメリカの民衆詩人 ホイットマンは 母たちを讃えに讃えた。 「多くの年輪を刻んできた  女性たち 母たちは  まったく無名の存在だ。  けれども  この女性たちこそ  気高く勇敢で  公平無私な精神を持つ  健全な人たちだ。  国にとっても  世界にとっても  忘れてはならぬ  偉大な力なのだ」 その通りである。 たとえ わが誠実の行動を 皆から見下げられるような 悔しい日々が続いても 平然として 正義の道 幸福の道 平和の道を 歩んでいるのが 母である。 母よ! 「母」という 文字を見ても 私は泣いた。 「はは」という 言葉を聞いても 私の胸は痛み そしてまた 心は躍った── これは ある哲学者の言葉である。 その哲人は こうも言った。 「世界の人びとが  一人も残らず  母を大切にすれば  自然のうちに  平和の世界が出来上がる。  幸福の道が創り上げられる。  喜びの足並みが揃っていく」 そうだ! 母を大事にすることだ。 それが一切の 平和と幸福 進歩と前進の 最も確かなる 太陽の輝きのごとき 法則なのだ。 御聖訓には 厳然と仰せである。 「母を疎かにする人は  地獄が  その人の心の内にある」 母を軽蔑したり ないがしろにしたり 苦しめたりする者は その心の中が すでに地獄の暗黒なのだ。 母たちを侮辱する 増上慢の輩! 母たちを圧迫する 横柄な権力者! 彼らほど 心貧しく 心卑しく 幸せを壊すものはない。 母を苛める奴! 母を泣かせる奴! 母を大切にしない奴! 母を虐げる奴! これこそ 平和と幸福の社会を ぶち壊す 世界一の悪党たちだ。 これは ある世界的な教育者の 叫びである。 母を苦しめるな! 母を守れ! 母を讃えよ! 母を 絶対に下に見るな! 母に あらゆる真心と愛情を 捧げていくことだ。 これが人間だ。 あの詩人も謳った。 同じように あの科学者も書いている。 あの大文豪も 同じく綴っているではないか。 ある日ある時 一人の仏弟子が 母が無学であることを ことさらに語った。 すると 師である釈尊は 厳しく問い正した。 「汝が身をば  誰か生みしぞや  汝が母 これを生む」 みな人間は 母から生まれてきたのだ。 母が命懸けで 生んでくれたのだ。 御義口伝には 「宝浄世界とは  我等が母の胎内なり」と 明かされている。 いのちを慈しむ母ほど 尊貴な当体はないのだ。 母よ 母よ! 母を思い出すと 今でも私は 胸に込み上げる。 もっと 大切にしてあげたかった。 もっともっと 親孝行してあげたかった。 あの いじらしい母! 貧しきなかを 生き抜き 耐え抜き 優しく強く 人生に満足しきって 他界した母たちに 滂沱の涙をもって 感謝と賞讃 そして反省の自分を 見出していくことだ。 私の母は 「一」という名前だった。 その母親と父親が 「一番 幸福になるように」 そして 「子どもを生んだら  子どもたちが  何かで一番になり  社会に尽くせよ」という 願いを託したようだ。 戦争は 大切な働き盛りの 四人の息子を 戦場へと奪い取った。 母は 父と共に けなげな声で訴えた。 「一軒で一人  兵隊に行かせれば  十分じゃないか!  行かない家は  誰も行かない。  うちは四人も  戦地に送られた......」 長男は ビルマ(現ミャンマー)で 戦死した。 二十九歳の若さであった。 戦時中は 「軍国の母」と さんざん讃えられた。 しかし 暗い敗戦になると 掌を返して 国を滅ぼした 愚かな兵士どもの家よと あざ笑われるようであった。 戦争は あまりにも残酷に 母たちを慟哭させた。 けれども 老いた貧乏な母は どんな時も 笑顔を忘れなかった。 平和と正義の信念に戦う わが子を見つめつつ 「私は勝ったよ!」と 最後の最後まで 微笑みを湛えていた。 途中ではない。 人生の四季の最終章を いかに荘厳に飾りゆくか。 生老病死という 生命の法則の上に立って 常楽我浄の香風に包まれた 母たちは 大勝利者である。 大博士である。 この母に最敬礼し この母たちの大恩に 報いていくことが 教育の根本であり 政治の本質である。 世界平和の 歓喜の陽光であるはずだ。 親不孝ほど 卑劣な愚か者はいない。 立派そうに見せても 心は畜生だ。 親不孝者で 偉くなった人物はいない。 親不孝を悔いて 「親孝行のために」と 偉くなった人物は多い。 長編詩 偉大なる尊き母の交響楽−2に続く 2009年2月10日付 聖教新聞 長編詩 偉大なる尊き母の交響楽 池田 大作 優しくして 賢き 勇気ある母に贈る−2   親不孝は 心の敗北! 親孝行は 生命の勝利! いくら苦難の姿の 人生であっても 親孝行の心の人は 人間として誇り高く 永遠に母と共に 幸福という金の道を 歩んでいけるのだ。 わが恩師は十九歳で 先師・牧口先生に出会った。 ふるさと北海道から 東京へ旅立つそのとき 母上は丹精こめた アツシの半纏を贈られた。 「これを着て働けば  どんな苦労があっても  何でもできるよ」 二年間の法難から 出獄なされた恩師は その半纏を着して 「これさえあれば大丈夫」と 巌窟王の闘魂を燃やした。 母の真心こそ 最強無敵の生命の鎧だ。 母の祈りに 応えゆくとき 人は強くなれる。 今は苦しくとも 母を思って 頑張り切ることが 親孝行になるのだ。 子どもがいなくても 母は母だ。 夫がいなくても 母は母だ。 エマソン協会の サーラ・ワイダー前会長が しみじみと語っておられた。 「私たちは  "母なるもの"を忘れた  社会に生きています。  ゆえに私たちは  もうー度深く  母たちへの真の尊敬の心を  育んでいかねばなりません」 どんなに 便利になっても 裕福になっても 文明が進んでも "母なるもの"を 忘れ去ってしまえば 生命の大地を踏みにじる 野蛮な恩知らずなのだ。 日蓮大聖人は 明快に仰せになられた。 「女人成仏を  説き明かした法華経こそ  悲母の恩を報ずる  真実の報恩の教えである。  だからこそ  悲母の恩を報ずるために  妙法の題目を  一切の女人に唱えさせようと  願いを立てたのである」 広宣流布こそ 大聖人と御一緒に 自分自身の最愛の母へ そして 全人類の尊き母たちへ 最高の報恩を果たしゆく 大使命の軌道なのである。 ここにこそ 人間が最も人間らしく 生きる喜びと活力を 蘇らせゆく光がある。 二月は── 御本仏の聖誕の月。 そして わが恩師の誕生の月。 それは 偉大な生命を育まれた 偉大な母上たちへの 報恩謝徳の月でもある。 師恩に報いるために 決然と立ち上がった あの二月闘争の折 二十四歳の私が 真剣な蒲田の母たちと 約し合ったことがある。 第一に 祈りから始めること。 第二に 地域と社会を 大切にすること。 そして第三に 体験を生き生きと 語っていくことである。 その通りに 私たちは 祈りに祈った。 語りに語った。 大誠実を尽くして行動した。 今日の世界広宣流布の 大発展を開いた 二月闘争は 一心不乱の母たちの 勝利の劇であったのだ。 「祈る人間には  退却というものはない」 これは マハトマ・ガンジーの 叫びである。 母の祈りに 勝る力はない。 祈り戦う 母の行動を しのぐものはない。 いかなる 三類の強敵が顕れようとも いかなる 三障四魔が競い起ころうとも 創価の母は明朗である。 「すべて御書の通りです。  断じて負けません」と 深く覚悟しているからだ。 祈り抜き 祈り切って そして いつも晴れ晴れと 微笑みを浮かべるのだ。 「勝ちましたね!」 「よかったですね!」 その神々しい笑顔に その快活な声に ただただ合掌するのみだ。 どれはど強盛に 祈ってくれたことか! どれほど忍耐強く 祈り続けてくれたことか! 創価学会の八十年は 母の祈りで勝ったのだ! 第三代の五十年の激戦は 母の祈りで勝ったのだ! 「母」とは 「永遠に負けない人」 そして 「最後に必ず勝つ人」の 異名である。 名作『若草物語』の作者 オルコットは言った。 「他人に対し  喜びと安穏をもたらせば  それは自分自身に  四重にもなって戻り  私たちが  手を差し伸べる人々の  幸福を倍加するのです」 真の貴婦人とは いかなる女性か? それは どんな偉ぶった人間にも 臆さず堂々と 真実を語り抜く女性だ。 そして どんな苦労している人にも 分け隔てなく語りかけ 希望を贈りゆく女性なのだ。 世界は今 創価の母たちを 蘭の花になぞらえて 讃えてくれている。 いにしえより 高貴な蘭は 「三香」「四友」 「四愛」「四君子」 「四逸」「五清」という いずれの名花の代表にも 選ばれてきた。 すなわち香り高く 親しみやすく 愛らしく 高潔な気品に満ち 優れて清らかな 花の中の女王なのだ。 その蘭の花のごとく 皆から慕われながら 御聖訓に示された 「蘭室の友」との 対話と友情を広げゆくのが 母の平和のスクラムである。 大聖人は仰せになられた。 「一を重ぬれば  二となり  二を重ぬれば  三・乃至 十・百・千  万・億・阿僧祗の母は  唯・一なるべし」 すべては 一人から始まる。 一人を大切にする 母の心から始まる。 母よ! 偉大なる 尊き創価の母たちよ! 仏のごとく 優しくして賢き 強くして正しき 勇気ある心の名指揮で 幸福勝利の交響楽を 天高く 轟かせてくれ給え! 二〇〇九年二月九日  広布に走る婦人部の皆様  お体を大切に!  ご長寿で!  ご家庭を円満に!  賑やかに!  幸福の博士 勝利者となって  満足と福徳の一生であられる  ことを お祈りいたします。  広布の母、万歳!  創価の母、万歳!  平和の母、万歳!  勝利の母、万歳!   学会本部・師弟会館にて       世界民衆詩人  ※ガンジーの言葉は保坂俊司訳。 長編詩 偉大なる尊き母の交響楽〔完〕