056  鹿児島の知覧に行ってきました       平成17年06月08日

  太平洋戦争末期、沖縄決戦に爆弾装備した飛行機で敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊、通称特攻隊の主な基地であったのが知覧というところですが、6月3日に友人達と行ってきました。

  戦争の悲惨さ、愚かさを実感するツアーとなりました。沖縄戦で特攻として戦死した人数は1036人だったそうですが、平和会館までの道の両側に、石灯籠が1036基、建てられていてひとつひとつが自爆攻撃をした若者たちだと思うと人数の多さに呆然としました。

  太平洋戦争で死亡した日本人の数は、約310万人、内軍人が230万人、一般市民80万人(内原爆による死者30万人)ということのようですので、特攻で死亡したという人は犠牲者の数からすれば僅かな人数と言えるかも知れません。

  平和会館では、一人一人の顔写真が展示され、戦争末期の悲惨さを物語っていました。同じ戦争で死亡した人の中で、このようにして慰霊されているという点では、その他の戦死者と比較して幸せではないかとの意見を言う仲間もいましたが、確かにそのとおりかも知れません。