030 懺悔の生活  西田 天香    平成16年8月28日

京都の山科に一燈園という施設があるようですが、その施設の創設者
が、西田天香さんという方です。
昭和43年に96歳で亡くなるまで、何も所有しない裸一貫のまま
托鉢によって生涯を過ごした怪物とでも評するのが妥当と思われる人です。

情熱大陸というドキュメンタリー番組が、6チャンネルで放映されていますが、
この主人公にでもなるような人物であると思います。とても興味深かったので
どんな人なのかを簡単に紹介したいと思います。

天香さんは、33歳のときに、奪い合い、争い合って生きる生活から決別し、許されて生きる
という生活をこころざし、一切のものを捨て、ホームレスの生活に突入したようです。
突入直前にトルストイの「我が宗教」という本を読んで、その巻末に「生きようとするには死ね」
という文字にぶつかりこれだと悟り、その日限り、権利も義務も一切神にお任せしてホームレス
となったのだそうです。

ここで、並みのホームレスと違うところは、托鉢という無償ボランティアにより、
各家庭を便所掃除やら、庭掃除、軽作業労働をして回ったようです。

 無償の労働をすることによって、食べ物を差し出してくれる家庭があったりして、
それで、生活したそうです。何年もそんな托鉢生活を続けていたお陰でホームレス
ではあるものの、泊まらせてくれる家々が徐々に増え、寝るところは困らなくなった
ようです。

ホームレス暦6年目に、そんな天香さんの人柄に引かれて、ある人が、土地を天香さんに
提供して、一燈園が出来たそうです。

 その後噂を聞いて全国から人が集まり、天香さんの生き方に共鳴して、弟子となった人が
現れ、以来現在は300人ほどの人達が自然に一家庭のような共同体を形成し、天香さん
の示した奉仕の生活をしているということです。法律上は財団法人懺悔奉仕光泉林という
組織を母体として、劇団や学校法人幼稚園から小、中、高、大学林まであるようです。

文中の言葉を少々ピックアップしてみました。

私の新生涯は、とにかく、自分からこの生命を無理に維持しようとせぬ態度であります。
お光りに養われてなら生きる、許されてなら生きる、人を利益してなら生きる、という態度ですから
根本から自分に金や財産が必要なはずはないのです。
 こうした身体が、なんの要求もなしに他に奉仕をするときに、他からは是非に食うて活きていてくれ
と言うことになる。「あなたが菩提心を起こして私を供養なさるなら食べてもよい。また、着ることも宿る
こともかまいませぬ。ただ願わくば私を供養するときは、あなたのほうに、供養の何十倍何百倍の
福田の出来てあるようにと祈ります」


赤子が乳を飲むのは生存競争ではない、闘いではない、他をしのぐのではない。飲むことによって
母も子も喜び合うのである。自然に恵まれて二人とも助かる。

一燈園の生活は「どうしたら自分が都合良くなるか」でなく「どういう風にして自分を捨てるのか」
ということを修養してほしい

托鉢はちょっとの傲慢があってもうまくゆかない。「してやる」と思っている間はさせてくれる家はない
徹底的に「させてください」とへりくだるときに仕事はある。「この仕事をしたら、あとで飯を食べさせて
くれるだろう。泊めてくれるだろう」などと思うときっと態度や顔に出てしまう。

一切の行き詰まりを整理するにも、「自分が所有しなければならない」という考えがなくなるとしたら
大かたの行き詰まりは解決するでしょう

子供の時にはその時々に要るだけのもので満足していたのですが、大きくなるにつれて多くの私有を
必要とします。互いに疑い合い、奪い合いするのであります。実に痛ましいことです。けれど仕方がない。
どうすることも出来ぬ。そこでどうにもしかたのないところから開放されるには、「無くても大丈夫だ」という
生涯を試み、その実証を握ることです。

無一物中無尽蔵

有花有月有楼台

何も持たないことは、無限に通じるのかも知れません。