ありがた迷惑だが背に腹はかえられぬ話

「風は博士」で牧野信一に激賞されて、その後は雌伏して坂口安吾は年中大井広介の家に入り浸っていた。戦前戦中にかけて大井家は梁山伯の趣があった。

大井の秘書兼女中の女性が、独身の安吾に殊のほか執心で、煙草好きの坂口安吾に火鉢の吸い殻を集めて渡した。みんなが安吾の艶福を羨むと、「あれはドブに捨てたよ。」と言った。

ある日安吾が大井の家に来て、「奥さん煙草ありませんか。」と言うと、「ありますけれど、安吾ちゃんにはあげないことにしました。」と大井夫人にいわれて、安吾は「どうしてくれないんですか。」とむっとして、言うと「だってあなたは、いつか内山さんがせっかくあげた煙草を全部ドブに捨てたというじゃありませんか。わたしがあげたってどうせまたすてちゃうんでしょう。」「いや、あれはね、奥さん、、、」安吾は内山の部屋の方をそっとうかがってから、声をひそめて、「全部のんだんですよ。」「まあ、あきれた。それなのに、どうして捨てたなんていうのです。内山さんがかわいそうじゃないですか。」「あれをのんだというと、これ以上どんな親切を押し付けられるかわかりませんからねえ。しかし、本当言えば、この煙草飢饉に、あれがむざむざすてられますか。」

戦時中、煙草は配給で思うように手に入らなかった、その頃の話である。