会うまでは美少年だと思っていた話

萩原朔太郎と室生犀星は終生、膠漆の友であったがその生まれも育ちもまったく正反対であった。ではその二人を結び付けたものは何かと言うとお互いに、投稿誌を通じて、詩嚢に憧れていたことであった。

室生犀星は25才の時、早春の寒い前橋駅頭でマントも着ず、原稿用紙とタオルと石鹸を風呂敷き包み一つ抱え、犬殺しのようなステッキを携えて朔太郎と初対面。一方朔太郎はトルコ帽をかぶり、半コ−トを着用に及び、愛煙のタバコを口にくわえていた。

後になってお互いの初印象を犀星は「なんて気障な虫酸のはしる男だろう」と朔太郎は「なんと貧乏くさい痩犬だろう」と絶望の感慨を持った。そして朔太郎は犀星の詩から、青白い美少年のような空想を懐いていたと言う。

犀星はひとまず利根川の川原の見える下宿屋に旅装を解いた。 当時貧乏な詩人仲間は東京の下宿を食い詰めると、地方にいる投書家詩人で比較的余裕のある家に、一月とか二月滞在して食い延ばしをし、帰京後は先の下宿をすっぽかして新しく宿をとる転換期を用意した。

犀星もその心算で前橋に赴いたのであるが、結局朔太郎に汽車賃を出させ、下宿代を払わずに帰京。

後になって朔太郎はどうも変な奴だと思ったが、まんまと一杯食わされたと言うと、犀星は「最初から一杯食わす積もりで出かけたのさ」と笑った。

詩から小説に転換を計り、原稿料が潤沢に入るようになると、朔太郎と飲みにいっても、いつもすすんで払った。朔太郎は笑いながら「殊勝な心がけだ。ではチップの方はおれが払おう」とよく言った。

こんなことがあった。「きょうはおれは5円だけ出すから、あとはお前はらっておけ」酒後へべれけになった朔太郎に「これは先刻預かった5円だから、持っていけ、新宿でまた一杯飲まなければなるまい」と言うと「ああ、そうか、5円まだ持っていたのか」と言って5円紙幣をポケットにねじ込み、又会おうといつも仲良く別れた。犀星は金が取れる愉快さに乱作に昼夜をあげて書いていたから、金では朔太郎にひけ目はなかったと屈託なく書いている。