文学座の人びと

 1月23日、よく晴れた日だった。少々寒くはあったが、清々しい一日だった。

 私は、信濃町の文学座でアトリエ公演をみていた。久保田万太郎作、戌井市郎演出の「大寺学校」である。

 文学座は昭和12年の創立である。従ってことしが65年に当る。

文学座はこの年を記念して数々の記念公演をもつことになった。

 まず1月、2月、3月は、座の創立にかかわった3人の巨人の作品を公演することになった。その第一番手として1月は久保田万太郎作「大寺学校」だった。

 この作品、明治末期、公立小学校の出現で廃校することになる「代用学校」、大寺学校を舞台にくりひろげられる人間模様だ。

 この作品、初演は築地小劇場の第80回公演としてとりあげられている。

 文学座での初演は作者久保田万太郎の演出で、三津田 健が大寺先生、宮口精二が光長正弘、大寺先生の姪たか子が北城真記子だった。再演は戌井市郎の演出で、大寺校長は大矢市次郎(新派)、光長を三津田 健、たか子は吉野佳子だった。

 今回は大寺校長を加藤 武、光長を飯沼 慧。たか子は平 淑恵が演じた。

 文学座のアトリエは古い建物で客席もたかだか150人しかはいらない。しかし本当に文学座の芝居の好きな人が集っていて、いい雰囲気だった。窓の向うに震災で倒れた十二階がまだ健在であった頃だから、端役の一人一人まで、明治末期の匂いがした。

 私の記憶の中では、まだまだ三田健さんも宮口精二さんも生きている。

 そもそも私が日本の新劇の公演を初めて観たのが、昭和23年4月の文学座公演マルセル、パニヨルの「マリウス」だった。

 兵隊から帰って昭和22年東大に入った私は飢えたように演劇や音楽の公演を見つづけた。マリウスは、杉村春子と、大泉 の主演で、劇場は、何といまはない日本劇場の5階にあった「日劇小劇場」だったのだ。ここはのちにはストリップ劇場となったが、私が初めて東京で演劇を見た時はこの「マリウス」をやっていて、若かった大泉 も魅力的で、若き杉村春子は我々を大いに唸らせた。以来、私は新劇団では文学座の一番のひいきとなった。

 のちにドラマ部長になった頃、杉村さんとも親しく話をさせていただいたのだが、何しろこの人の芸熱心には恐れ入ることが多かった。

 彼女は大劇場での公演が終ってもそれだけで全部終りだと少々機嫌が悪かった。一度私も楽屋で聞いたことがあるのだが「今夜はここが終ったあとNHKの深夜の収録があるのよ!」と舞台で大奮闘のあとにテレビの集録などが入っているといかにもうれしそうであった。

 だから文学座の芝居は大概杉村を中心に回転するものが多く、のちには文学座を離れる人たちも多く出たが、やはり杉村さん生存中は文学座の魅力の第一は杉村春子だった。三津田 健や宮口精二、そして北村和夫、江守 徹などというすぐれた男優たちの存在も又大いにたのしませてくれた。

 私はそういう文学座の人々との交流を通じて、いつの間にか、支持会長にさせられた。

 65年を迎える文学座の伸展をねがってやまない。