関東大震災の惨事を伝える=鎌倉大仏裏
大仏次郎が、大仏裏の山間に居を構えたのは、大正12年の関東大震災の2年程前のことであった。
そもそも、この長谷の大仏の裏に居を定めたのは、近くの別荘族達の、交渉を避けたいためであった。
その家は大仏寺の裏、山際を通う細径を一町半も登った山腹にあり、秋から冬には狸が、書斎の窓から覗き込むと言うくらい寂しいところである。
ところが、山の直ぐ下に広壮な別荘がある。これは芝居の小道具を扱っているFの所有であり、舞台裏で働く男達が、20人、30人と遊びに来て、夜中の1時頃まで、太鼓はもとより台所の金盥を出して鳴物入りで騒ぐのである。
その日はあらかた東京に引き上げたと見えて、ひっそりしていた。鎌倉に静かに住んでいる人々にとっては、一年で最も人出の少ない時かもしれない。
大仏次郎は「とうとう僕等の秋になったね」と言って、Fを迎えて、縁側で話始めた。一緒にいるMとも三人、卓を囲みながら鎌倉の秋のこれからの美しさを語りながら、大仏次郎が紅茶の茶碗を取り上げた刹那、急に戸障子ががたがた揺れ出した。
「地震だ!」三人は一せいにいった。Fは半分腰を浮かして逃げ仕度をした。「なあに、大丈夫だ」と大仏次郎がいったかいい終らぬかに、かって知らない激しい震動が「ぐわっ」と来た。大仏は、机の上のものが、転落するまでは、外出しなくていいと言う予備知識が、あったが、再び、「ぐわっ」と襲って来て、テ−ブルのカップが左右に流し出したので、急に狼狽した。
大仏次郎が真っ先に、続いて三人が外に出たが、酔歩蹣跚、足を取られて地に転がった。瓦ががらがらと音をたてて降って来た。その途端山の下の別荘が、他愛もなく動いて、埃を上げながら「どどど」とぶっ倒れた。その砂煙は濛々と上がって見る見る大仏の姿を隠した。振り向いて見ると、家全体が45度に傾いて、ひさし落ち瓦は流れ、壁は全部崩れて、裏山の腹が見通せる。本箱、食器棚、椅子、卓類は畳の上に散乱している。柱が軒のところで見事に折れている。
三人は茫然として互いに顔を見合わせながら、蹲踞している間にも激しい震動が息を吐いては続いた。
「あっ、山崩れだ!」Mが叫んだので、ぎょっとして見ると、そばの山が、頂きのところから、「かっ」と割れて、赤い土を覗かせている。大きい岩塊や太い松の木などが、どっと凄まじい音をたてて流れ落ちて来る。家は山懐にあるので、三人は山崩れが三方から襲ってきたら、生命はないものと覚悟を決めて抱き合った。
しかし幸いにも山崩れは最初の一角が道を埋めて5間も先へ出ただけで止んだ。ただ地震はほとんど一分置きに猛烈な勢いで襲ってくる。その度ごとに三人は身を固くして、目前の死を思った。
20分もそうしている間に、色々な考えが去来してが、大仏次郎は、元気を失ってはいけないと思って「大仏先生、大丈夫かな?」と言った。
Fも無理な顔で笑って、同時に振返った。
「大丈夫だ。未だ坐っている。」
この時、不図町の方角で異様な物音がした。
「おや!」耳を澄ます。ごおっと凄い風が吹いているような響だ。その間にぱちぱちはぜる音が混じる。
「火事だぜ」見ると、山の頂きに濁った茶色の煙がもくもく揚っている。
その時山を上って来た若い男が、言うには町は滅茶苦茶だという。それに今津浪が電車線路まで来たんで、逃げてきたんだと言う。火事はときくと、「三橋(旅館)から出て、今往来を越してこっちへ火が移ったとのこと。
地震、津波、火事、山崩、無残な鎌倉、あらゆる責道具が揃った。
Mを偵察にやってみると、大仏の後にある芝原には血だらけの怪我人が、担ぎだされて、ごろごろ転がっている。長谷の通りは倒壊した家だらけで、屋根の上を踏まないと進めないという。
日が暮れるにつれて、薮蚊が襲来して来た。でも家の中で寝る訳にいかず、決死隊の覚悟で半壊の家へもぐりこんで、戸棚から夜具と蚊帳を持ち出して、野営の準備にかかった。夜具を出している間にも、ぐらぐらっと来ると、それを抛り出して外へ飛出しては、又潜りこんだ。
野営の場所は畑の中央と定めた。地割れがして陥ち込む危険を避けるために、壊れて倒れていた戸袋から戸を運び出して、地面に敷いた。蚊帳は四隅に竹の棒を建てて釣った。
暗くなるに従い、火事の焔で空が赤黒く染まって一層の物凄さを加えた。地震は中々止まない。二分置き三分置きにやって来る。大仏次郎らは夕食代わりに生卵を吸ってから、蚊帳に入ったがまんじりとも出来なかった。
朝が来て東が白んだ時は嬉しかった。日が上がった。しかしその日の色は銅盤を宙に釣ったように物凄い色をしていた。赤黒い雲が激しく走る。大仏次郎らはこの不気味の空から、昨日以上に恐ろしい遭遇を期待せざるを得なかった。
正午過ぎに大仏の境内に一歩踏み入れると、境内は避難民で一杯だ。大仏は依然として端座しているが、膝の下の石垣が崩れたために大分前に傾いている。又大仏の身体に相応して作った青銅の蓮など、何百貫とも知れぬ重い物が、無惨にも大地に倒れていた。寺は無論倒れて屋根の庇が大地に食い込んでいる。
山門も傾いて、左右の仁王は思い思いに倒れていた。片方の憤怒の形相凄まじく金網を突破って上半身を前に乗り出している。大仏通りは左右の家が徹底的に崩れ落ちたので、屋根の上を歩かねば通れない。まだ余燼からめらめらと赤い舌を吐いていた。一面の焼け野原だ。
海岸に出て見ると、津浪は引いていた。海を臨んで並んでいた別荘という別荘の影も形もない。家の破片が電車線路に堆高く積もっていた。何処の家にあったピアノか、無惨に電信柱に食い込んでいるのがあった。
その破片の上を踏んで、行く時、僕等は足下に突然あるものを見て、ぎょっとした。材木と泥の下から人間の手が出ている。青黒くなっているが、若い女の手らしい。しかもその指には宝石をはめた三つの指環があった。三人は顔を背けて走った。
いつも口もきかずにいた名も知らない町人でも、顔さえ見れば、「ご無事でしたか?」と互いお祝し合った。共通の災害のもとに、みんなが兄弟のような気に成っていた。
国宝の一の鳥居から少し海近く行ったところでは自動車が津浪のために傍の垣根に寄せられていた。乗手は逃げたと見えて空だ。フォ−ドの素晴らしい車だった。
帰途に友人の
Oの家に寄った。Oの家は4階建てだ。無論一人や二人は死んでいると思いながら、暗い気持で近寄って行くと、家は傾いたまま立っている。「この家がよく何ともなかったね!」
「なんともないものか、一階減ってるよ」
「えッ」
成程、四階の家が三階になっていた。一番下がぴっしゃり潰れたのだ。
Oは言う。「僕がね、二階にいたところへ、がらっと来たんだろう。どうして逃げようかと思って窓から覗いたら、地面が窓から二尺とないところに来ていたんだ」
大仏等は笑うにも笑えないで妙な顔をした。
それにしても東京はどうだろうと、大仏は煮えるような不安を感じながら、長谷の方へ焼跡を辿って行った。
数日後のひと揺れで、大仏次郎の家は潰れてしまった。