作者の代作を見抜けなかった話

「赤い鳥」を主催していた鈴木三重吉が突然の発作に襲われて入院してしまった。編集を手伝っていた小島政二郎が、三重吉の名刺を持参して徳田秋声、泉鏡花、森田草平その他七、八名の著名の作家に童話の依頼をした。

 〆切の前後に行ってみると、二三の人を除いては「どうも童話というやつは、難しくてね、なにしろ生れて書いた経験がないので、、、」

 小島は途方にくれた。書けないというものは仕方がない。八人も穴をあける訳にいかないし、これから他の人に依頼するといっても時間的余裕がなかった。 そこで一計を案じて、小島が八つの童話を書くことに腹を決めた。だか名前に困った。

 すると、三重吉は「もう一度みんなのところに行って、事情をよく話して、約束不履行の償いとして、名前を借りることを承諾させてきてくれたまえ」と言った。

 名前を借りることはみんな承諾してくれた。だがその代作するとなると、相手が文壇の大家だけに、小島の苦心は並大抵でなかった。言い回しのくせから、仮名つかいの癖まで、誰がみてもその人らしく書かなければならなかった。題材もその人らしい好みのものを選んだ。小島自身のものを含めて九編を書き上げた。

「赤い鳥」が出てまもなく、芥川と久米正雄が小島のところにやってきた。道々話して来た続きらしく、久米が「秋声はうまいな」「うむ、うまい」「かなわないよ」「あんな童話ひとつ書かしてもソツがないからな。軽妙で、洒脱で−小島君、今度の「赤い鳥」に出ている徳田さんの童話読んだ?」「ええ」「どう思った?」

 小島には何ともいいようがなかった。が、小島が返事をするより前に、久米が「三重吉門の小島君には、あの−秋声老人の、あの枯れきった中に深々とたたえている滋味は、ちょいと、その、まあ、判るまいね」

−ご冗談でしょう。小島はさっきから、二人の会話を心の中で全身赤くなりながら聞いていたが、「わかるまい」と言われると、そう反撥しずにいられなかた。

 しかし「あれは私が書いたのですよ」

 そう言えば、二人の先輩の不明をあばくことになる。その時の二人の不面目さを思って、小島政二郎には相手に恥をかかせるに忍びなかった。ベソをかいたような笑顔で、「分かるまい」という久米の侮辱を甘受をするのが後輩の礼儀だと諦めた。その場を丸く収める、そういう方へ小島の感情は流れ勝ちであった。