ダ−クダックス

 これまでの列伝では、個人の歌手をあげたが一寸、趣を変えて、複数のグル−プのことを書いてみたい。

 この分野では、何といってもまず指を屈するのはダ−クダックスだろう。戦前も複数でのスタ−がいなかったわけではない。だが、いずれもスタ−とはいえないような存在だった。「グル−プ歌唱の初めてのスタ−グル−プはダ−クダックスだった」といっても誰も異論はないだろう。

 ダ−クダックスの四人は慶応大学出身である。慶応にコ−ラスのグル−プがあった。ワグネルソサイエテイといった。ワグネルは早稲田の大学の「グリ−クラブ」と並んで大学コ−ラスグル−プの双璧だった。だがいずれもアマチュアの大学生のグル−プだった。当然売れるスタ−グル−プが成立する筈はない、と皆思っていた頃である。

 四人の才能に目をつけた人があった。ジャズバンド「ブル−コ−ツ」の指揮者の小島正雄だった。小島さんの指導をうけて、四人は大いに腕をあげた。これに昭和28年スタ−トしたテレビが後押しをした。まだ学生の面影を残す初々しい慶応ボ−イの4人組みは歌のうまさと相まってその容姿、動作でも極めて魅力的だった。しかもこの実力ある若いグル−プは何でもこなした。ジャズコ−ラス、抒情歌集、ゴスペル、アッというまにダ−クダックスは人気者になった。恐らく慶応出身のスマ−トな若者たちというイメ−ジも大いに物をいったに違いない。

 これが、東大出身であったり明大出身だったらこうはいかなかっただろう。

 テレビの初期の頃NHKテレビは早速このグル−プを起用した。「あひるは歌う」という週一、のおヒルの番組だった。彼らはこの番組で次々とグル−プ歌唱のいろんな形に挑戦した。そしてスマ−トにすべてをこなした。(当時NHKテレビ音楽部にいて、この番組の隣りでCPをやっていた私にも彼らの持っている魅力と、将来性はよく分かった。

 もう一つ、いえるのは4人の個性である。彼らにはそれぞれニックネ−ムがついていた。ゾウさん、ゲタさん、マンガさん、パクさんである。彼らは遠山、喜早、佐々木、高見沢という本名があったが、誰も、本名で呼ばれなかった。それほどそれぞれの個性が光っていた。

 ケ−オ−ボ−イということもあって彼らの個性はある上品な雰囲気にうまく包まれていた。あツという間にダ−クダックスはスタ−になった。

 のちに、早稲田出身のメンバ−が集ってボニ−ジャックスを作った。つづいていろんなところからすぐれた才能が集って、デユ−クエイセスとなった。伊藤素道というリ−ダ−の下でリリオ、リズム、エア−ズというグル−プが出来た。コ−ラスグル−プ全盛時代が到来するのだが、このスタ−トにダ−クダックスの4人の魅力が大いにあづかって力があった!といってよいであろう。

 今、マンガさんこと佐々木さんが病に倒れて、ダ−クダックスは3人でやっている。「誰か別の人を入れてカルテットを」という声に3人は耳をかさない。「3人で4人分やってみせる!」コ−ラスグル−プの草分けとしてのプライドが4人を支えているのだろう。