二人の博士号の話

 文学博士の称号を授与された者がまだ3、40人しかいない、明治末期に、二人の小説家に与えられた話である。一人は夏目漱石で、他方は幸田露伴である。

 夏目漱石は、文部省から文学博士を授与するとの通知に対して、次のように辞退の弁を記した。

「。。。。小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、是から先もやっぱりただの夏目なにがしで暮したい希望を持って居ります。従って私は博士の学位をいただきたくないのであります。此際ご迷惑を掛けたりご面倒を願ったりするのは不本意でありますが、右の次第故学位授与の儀はご辞退いたしたいと思います。宜しく御取計を願います」

 これに対して世論は二つに別れた。さすがに漱石は芸術家だ、学位など無視して拒絶したところが痛快だ。その反対に本人の力を認めてくれるのに拒絶するのはわざとらしいやり方で売名行為だ、とするものである。

 漱石は学位というものが、人間に仮面をかぶせて、人間らしさを失わせる点について「エラサウデ詰らない仮面ガアル。学士の仮面デアル」(明治39年)と手帳に書いている。

 一方、幸田露伴は文部省で学位の授与した当日の日記に次の如く記している。

「。。。母親御悦び下さること深く、心嬉し。。。。。。帰りて後亡妻をおもふことしきりなり。嗚呼彼あらばとおもふにつけて、いささかなることながら生前にこれを悦ばせざりしを残り惜しく感ずるなり。かって彼に一新衣を購ひえさせむとしたりしに、我が一衣を新にせんよりは君がために数巻の書を購はむには如かじと言ひたりし事なども目のあたり浮かび出で、日頃ただ後顧憂なく、余をして読書作文に勤めしめんと図りくれしむ心尽くしの数々、その事かの事、心頭に上り来りて、今ただ一片の木碑数字の法号、想ひて呼ぶ可からず、呼びて応へしむ可からず、笑容終に見るべくもあらぬを悲しむこと久し。学位の如き我唯委順するのみ。。。。。」