具眼と友情の話

芥川竜之介が「鼻」で、漱石から激賞され、木曜会に出入りし漱石の謦咳に接するようになったのは漱石の晩年である。大正5年12月9日の漱石の通夜に、芥川の友人の菊池 寛が漱石邸に訪れた時、漱石の門下生達から「記者の分際で、、、、、、」と面罵された。その当時菊池 寛は、2、3の戯曲を発表していたが、世評に上らず、「時事新報」の記者をしていた。その場にいた芥川は、皆の前で菊池君は今はまだなんだが、才能の十分ある作家である云々と言って、逸早く菊池 寛の才能を信じていた。

これを聞いた菊池 寛は、漱石邸を辞し感涙したという。

その後芥川の予言した如く、菊池 寛がその文才を開花させたのは周知の通り。芥川が昭和2年に死去した時、最もその才能を哀惜したのは一高以来の同窓で、「第三次新思潮」の同人の菊池 寛であった。菊池 寛は大正13年に日本文学振興会を設立し、かっての友情を永遠に記念するためと文壇新人の発掘を目指して、芥川賞を創設した。