年末愚感

骨を折りました(2)

 そして一同マイクロバスにのりこんで、長府へ向ったのである。下関市長府町、そこへ行く途中で、赤間神社に立寄った。源平合戦の時、海中に没した安徳天皇を祭ってある。

 ここの神主さんが極めてユニ−クな人だった。とにかくよく知っている。そして皆が興味をもちそうなことを次から次へとまことによくしゃべる。見事な話術だった。

 我々はこの神主さんに従って全員でお詣りをした。そして何と、私が右代表となって、二礼二拍手一礼のリ−ダ−となったのである。あとでこのお詣りのことが話題になった。

「あれだけお詣りしたのに、川口の場合はさっぱり功徳がなかったね!」

「いや、あれだけ激しくころんでこの程度のケガですんだのは、やはり赤間神宮にお詣りしたせいだよ!」

二つの意見が交錯したが、なあに、すべては川口個人の不注意によるもの。赤間さんには全く関係がない。

 赤間神宮から海辺を東へ進んで長府へ着く。行政的には下関市長府町だが、ここは毛利藩時代からの町である。

 ここで藩の菩提寺だった功山寺にお詣りする。「皆登るのは大変だから、、、、、、」というのでN君はマイクロで一気に山上までつれていってくれる。

 折りから紅葉の季節である。紅葉に囲まれて功山寺はいい雰囲気の中にあった。一目みてまずその本堂に目をみはった。立札がある。「国宝 功山寺本堂」となっている。

 功山寺は禅寺である。だから禅宗の寺の様式をふまえて建てられている。屋根の反り、風格をもった何ともいえない形をもっている。

「いい寺だなア」私たちはしばらく無言だった。

 庫裏へ行く。ここもすばらしかった。奥の方に一室があった。明治維新の時、京都から都落ちしてきた岩倉具視たち七人の公卿が、ここに落ちのびて長州の勤皇方の志士たちと密談をしたという。いわゆる「七卿落ち」である。

 この部屋で七卿落の話をきいた時、ダジャレ好きの私はついダジャレを口走った。「そうか、我々は七卿落ちでなくて「七高落ち」だね。

 皆がドッと笑った。

 そしてのちになって皆は口々に私をなじった。「七卿落ち」を「七高落ち」なんてダジャレやるから、川口は石段からころげ落ちたんだよ!」