骨をおりました(3)

 午後4時すぎに功山寺はすでに暮れかけていた。幹事のNがいう「オイ、下りは歩いて行くからな!ゆっくり気をつけて降りてくれ」

 全員が74、75、76という老齢である。近来とみに足弱になっている私には特に注意が必要だった。

 一斉に石段を降り始めた。ソロソロと、ノロノロと一歩又一歩である。急な石段ではなかった。でも一段一段に注意しながら私は下りた。

 何とか無事に下まで下りきった。

「もう階段はない!しめた!」

 私は元気よく右足をふみ出した。

 その時である。思わぬことが起った。私の体が宙に飛んだのである。私は前のめりに落ちた。「いけない!」必死になって左手を出して体をかばった。しかし遅かった。

 私の70余キロの老体はドサッと前のめりに倒れた。まだ石段の上にいた友人たちは瞬間、「川口は脳溢血をおこした!」と思ったそうだ。それほど崩れるように前のめりにストンと倒れたらしい。

 本人も何が起ったか分からなかった。

 石にけつまつ゛いたか、穴に足をとられたか、その瞬間のことは未だに分らない。

 気がつくと、本人はバッタリ倒れていた。

 沢山の声が一斉にきこえた。

「オイ!川口!大丈夫か!」「どうした?川口!」「しっかりせい!」等々皆が口々に叫んでいたのだ。だが倒れた私のまわりにかけよって助け起そうというのは一人もいなかった。

 当然である。皆75歳平均だ。足腰も弱っている。第一、気ばかりあせっても、体の方はパッと反応してくれない。

 私はしばらくそんな皆の声を虚空に聞いていた。「大丈夫だ。大したことない!」

 私はスックと立って見せた。実際、少々あちこちがヒリヒリしたけれど、転倒直後は大したことはなかったのだ。−実際に腫れて痛んできたのはその翌朝なのである。

 マイクロバスの若い運転手が飛んできて抱えてくれた。その肩につかまって私はマイクロに乗った。「皆ごめんな。大したことないよ」と私は皆にあやまった。

 それからスケジュ−ル通り、下関の和食屋に行って皆で食事した。