遺髪をいとおしむ話

中村武志は糟糠の妻が死去した時、湯灌をするまでの30分程の空白時間の間隙を縫って、愛妻の遺髪を思い出に遺すことを思い付いた。

妻の寝間着を脱がせる時、息子があそこだけ隠すために、息子が白いタオルをかけようとして、「おや」言った。「あそこのあれが全部ないが。一体誰が刈たのだろう。」毎日体を拭いていた付き添い婦が、不審げに「昨日まではございましたのに」と言った。「主治医の先生がそんなことするはずがない。犯人はさしずめオヤジということになる。けさ駆けつけてきて、病室に、2、30分は一人でいる時間はあったのですからね。」息子が断言した。勿論その推理はあたっていた。だが、中村武志は「おれはそんなことをしないよ。本式の湯灌の場合には、剃髪をする。そうすれば、遺髪としてのこしておけるんだが、、、、」と言ってその場を糊塗した。

妻の一周忌に、知り合いの人形作りを趣味にしている人に、訳を話さず、背丈10センチ位の民族衣装をつけた人形を男女5組み作ってもらった。

この女性の人形のスカ−トの下に、妻の例の遺髪を植え付けることにした。一方男性の人形には、自分のものを植え付けた。そして、テ−ブルの前にこの人形をぶら下げて、原稿書きにつかれると、目を遊ばせ、「いとしくも、愛しきわが遺髪よ。」とひそかにつぶやき、再び勇気をだして書き続けた。

文筆活動をしていても、肉体だけでは満足できず、精神的なものが満たされない限り、充足感は得られない。13回忌を終えた頃から、妻の有り難味が分かったがもう遅い。彼流の遺髪を懐かしむ意外に方法がなかった。

ある時江国 滋が来て、「中村さん、お若いですね。今時珍しい美談と申しましょうか純愛物語とでも言いましょうか、これは最も崇高なお遊びといえるのではないでしょうか。心に余裕がおありですな。」と尊敬するような、からかうような、あわれむような複雑な表情で言った。

人生の遊び心を知り尽くした中村武志、も江国 滋も今はこの世にはいない。