ハ、メ、マのこと

 人は必ず老いてゆく。その老いてゆく順序を表わすことばに「ハ、メ、マ」がある。まず、最初にダメになるのが「ハ」、つまり「歯」だという。次が「メ」つまり「眼」であり、最後にダメになるのが「マ」だという。「マ」は男性の象徴である。

 私の場合はこれが逆にきた。

 まだ明瞭に記憶しているが、五十七歳の年「マ」はダメになった。続いておかしくなったのが「メ」である。若い頃は視力検査をやると両眼2、0であった。兵隊に行った十九歳(昭和二十年から徴兵年齢は十九歳になった!)の時など両眼2、2という凄さだった。

 歯は60歳になっても全部揃っていた。碌にハミガキもしない少年時代だったから皆に羨ましがられた。

 その良かったハズの「メ」も「ハ」も六十五歳過ぎて大分おかしくなった。七十をすぎてからはどうもいけない。オカシイ?と思って眼科でみてもらったら、案の定右眼は白内障だという。特に光量の少ない夕方からはまるで霧がかかったようになる。

 遂にメガネのお世話になった。ところが元々メガネをかける習慣がなかったからヒョコヒョコ忘れるのだ。一番ヒドイのはロンドンからマドリッドに行くのにイベリヤ航空に乗ったら、降りる時に席におき忘れた。

 会議で書類を読む時はメガネなしでは駄目だ。そこでマドリッドのメガネ屋に行って「スペイン語と英語」とチャンポンであれこれ話してやっとしゃれた茶色いフチのメガネを買った。何とかそれで用が足りて無事会議も終り、さて一安心!と成田に降りたら、何たる事!帰りに乗ってきた日航の座席にメイドイン「スペイン」のメガネを忘れてしまった。

 普段はメガネなしでも十分見えるからつい置き忘れるのだ。これにこりて安いメガネを買うことにしたのだが、その後わすれること!忘れること!!今迄の十五年間で何と四十ケのメガネをなくした。年平均2、7ヶである。

 歯も大分崩れてきた。現在残っているのが二十八だから欠けたのは四ヶだ。亡妻は六十五歳で死んだ時は総入れ歯だったから、私の場合はこれはもう格段に「いい歯」なのだろう。

 さて「眼」である。七十五歳過ぎてからどんどん目が悪くなった。遂に意を決してことしの一月末、お茶の水の井上眼科に行った。行って驚いたことはまず患者の多さである。大変な混みようである。

 診察して下さった先生は「やはり白内障です。しかも右目は大分進んでいます!」という。では手術を!と頼むとパラパラと表をくって「五月二日!」とおっしゃる。

「もっと早くできませんか?」ときいたが「これで精一杯です」とおっしゃる。びっくりした。昔なら諦らめていた老人達が一斉に手術し始めたのだ。

 ひとつは治療法の進歩だという。今は白内障に限っていえばまず百%の治癒率だという。「何時間もかかりませんよ。三十分あれば十分。その日のうちに帰宅できます」という。でも大事をとって二泊することにした。術前と術後である。

 五月二日、手術は終った。

驚いたことに、女性が七割である。今や元気な女性たちは、早々と手術をして晴々と老後をお送りになるのだそうだ。

 術後の結果を報告しよう。

 白内障の手術をうけた人は殆どが「世の中がパッと明るくなった!」「早くやればよかった!」とおっしゃっている。五月三日の朝、私は眼帯を外しながら「どんな明るい世界が見えるのだろう!」と昂奮していた。

 さっと、眼帯を外した!青葉がパッと目に入ってきた。でもまア「フ−ン、この程度か?」というぐらい。とても「世界が、変った!!」という曽野綾子さんの術後のご感想とは違うのだ。

 先生にきいてみた。

「あんまり変りませんが、、、、」

この時、先生少しもあわてず、

「そうですか。人によって個人差があります。」

「なア−ンだ!」

 世の中が暗黒の世界からバラ色の世界に変る!と思っていた私がバカだった。

「前がそんなに悪くなかったということですよ!」

 ナルホド!!  納得した。