早坂 暁

 小野田さんのことを書いたから、事のついでに早坂 暁さんのことを書いておこう。

 二人の共通点は遅筆である。どちらが上とはいえない。遅筆家番付をつくれば、先ず、両者が東西の横綱になるのは間違いない。

 そして二人の共通点は、その遅筆家のくせに出来た脚本は殆ど間違いなく名作なのだ。だから皆、その苦労を思いながらでも頼みにゆく。でもやっぱり遅れる。連日、ノイロ−ゼ寸前で原稿を貰いに行く。やはり出来ていない。皆を待たせても書いて貰う。そしてやっぱりすばらしい脚本をやっとの思いで得たことを喜ぶ。早坂 暁のことで、印象に残っているのは金曜ドラマ「天下御免」である。

 私がドラマ部長の時、小川というCPが提案してきた。平賀源内を主人公にして痛快な時代劇をやる、という。作者は早坂 暁まだ四十そこそこの若手脚本家だった。演出は岡崎 栄。このドラマはまことに面白かった。奇人平賀源内を主人公にしながら、世相の風刺あり。恋物語ありまことに千変万化の筋立てで一年間、これほど待遠しいドラマもなかった。

 スタッフ一同味をしめて次も又早坂 暁で行くという。今度は「天下堂々」という。スイスイと早坂ドラマは進行する、と誰もが思った。

 ところが今度はそうはいかない。早坂の筆はバッタリ止まったまま動かない。CPの沖野 燎が坐り込みで、局のソバのワシントンホテルに缶詰めにするのだが、出来てこない。

 ある日、部長の私も沖野と一緒になってホテルの一室に早坂を訪ねる。彼は、「オヤオヤこれはお揃いで、、、」とニコニコしながら現れた。そして何と「ハイ、今日の分」といって渡す。沖野と私は仰天した。「エツもう出来たの?」

 貰った原稿を沖野が読み始める「ウン、こんどは珍しく早いな」私も安心する。と早坂さん、「ちょっと、ちょっと、まって」ギョツとして沖野が早坂をみる。

「ウン、どうも、あすこはよくないな。ちょっとそこんところ書き直すよ」早坂は沖野から原稿をひったくる。

 そして何と私たち二人の目の前で、出来上っていた一回分の原稿バリバリと破りすてたのだ。

「!?」目をパチクリしている二人に、早坂はいう、「もう一日待ってね。書き直すから、、、、」

 私の目の前で展開したこの光景は壮絶であった。私は遅筆作家の殊玉の作品を生み出す過程をはっきり見た。

 私のドラマ部長時代に夜10時台に「ドラマ人間模様」という枠を作ったことがある。ただのたのしいドラマじゃなくて、人間を描いた骨太のドラマを作ろうという意気込みだった。

 その第一作に「冬の桃」をえらんだ。

 俳人西東三鬼のすさまじい生涯を描いた人間ドラマだ。この脚本も早坂 暁であった。今度の演出は深町幸男だ。深町は新東宝という映画の助監督からNHKにきて、一寸低迷していた。

「冬の桃」はすばらしい作品になった。

「いいねエ、いいねエ、深町君、とってもいい」と私はほめた。

 深町はちょっと、照れて「いや、、、実は今度の作品は私のせいじゃありません。早坂さんの原稿が遅かったせいです」という、「?」と不思議な顔をする私に深町は「私は映画監督から転じました。ですから映画と同じに何でも監督がやろうと思いました。テキストレジ−から、配役、大道具、小道具まで全部口を出しました。でもテレビに来てから少しもいい作品は出来ませんでした。こんど早坂さんと組んで、余りの遅筆に、何にもいえません。出来た台本を大急ぎでスタッフ皆に渡して大道具も照明もサア−ツとやらねば間に合いません。けれども結果的にはよかったのです。脚本がよければ、テレビドラマは十分に出来ます」

 私は深町のその悟りに拍手を送った。同時に、ナマ原稿のままさ−つとやっても見事なドラマが出来る早坂 暁の脚本に完全脱帽したのだった。