愚直なまでに約束を果たす話
平山郁夫が芸大で卒業制作をしている昭和26年のことである。その年の正月は広島の郷里に帰省せず、中板橋のアパ−ト「睦荘」で過ごすことにした。米が足りなくなって、何とか工面をしてもらおうと思って、取り付けの米屋に駆け込んた。
「年越しをする米がなくなってしまいまして、、、、、、何とかお米を貸していただけませんでしょうか」
「そちらの今年の配給はもう済んでいるよ」
「そこをなんとかして」
「しょうがないなあ。じゃ、まあ少し都合しようか」
「どうもありがとうございます。感謝します」
「いいよ、いいよ。米を入れてやるから、袋を出しな」
「あ」
「どうしたの」
「すみません。袋は忘れました。申し訳ないのですが、貸してもらえますか」
「しょうがねえなあ、、、、、、」
ぶつぶつ言いながらも快く応じてくれた。人のよさそうな主人なのを見越して思い切って、借金を申し込んだ。
「あの、必ずお返ししますから、お金も少し貸していただけるとあいがたいのですが、、、、。年越しで何かと入用で、、、、。その代わりといっては何ですが、ぼくが将来偉くなったら、ずっとこの店からお米を買うことをお約束しますから」
しかし借りた金を必ず返済すると言ったもの、すぐに都合してもらった金を持っていくことは出来なかった。米屋の前を通るのが気が引けて、学校へ行くのに態々迂回して行った。だが逃げ回っているようで、何となく落着かなかった。ある日意を決して米屋の前を通り、中にいる主人に
「すいませ−ん。じき必ず返します」
と叫んだ。それで胸のつかえ取れて、その後は返済するまでの間、通りかかるたび同じことを怒鳴っていた。借金を返してからも、「睦荘」にいる間だけでなく、10年後に板橋成増に転居しても注文していた。ところが途中で
「平山さん、毎度注文はありがたいのですが、実はガソリン代がかかってかえって高くつくんですよ。気持だけは受け取りますから、これからは遠慮させていただきます」
言われてみればもっともなことである。その米屋の近くに住む友人にバトンたッチして注文を続けるという約束を守ることが出来た。
平山郁夫はこういう人情の厚さが与えた影響は計り知れないと回想している。
この話は平山郁夫の「私の青春物語」から一部カットして転載したものである。