ボランティアの先駆者・本真尼
かって尼寺として親しまれた鵠沼の本真寺の開祖、本真尼(1845−1928)は布施の行者として知られたボランティアの魁(さきがけ)である。明治24年、死者2万7千人を出した青森、岩手,宮城の三陸沖の大地震の際に、各方面から物資やお金を集めて、被害地に届け多くの人々を救った。以後大正13年の腰越、鎌倉の火災地の救援まで34年間に亘って救済活動を行った。明治36年、本真尼59歳の時布教、日清戦争戦没者の慰霊のために、鵠沼に慈教庵を建立。その後細川糸子という信奉者が、別荘の一隅(500坪)を寄進して本真寺が建立された。関東大震災で寺は倒壊したが、本尊と本真尼は無事であり、現在の地に移転。84年の生涯に、天災に見舞われた全国の被災地に赴いた回数は70余。布施行は5万戸に及ぶ。