石井好子

 九州人の話が続いたので、もう一人九州の人のことについてふれておきたい。それは石井好子さんである。石井さんは東京育ちなのだが、お父さんがあの政治家の石井光次郎さんであり、九州人の特長を見事にそなえていらっしゃるので、さっさと九州の部に入れてしまおう。

 昨年彼女は77の会という記念のイベントをもたれた。そうなのである、彼女はもう数え年の77歳になられたのだ。昔の女性ならとうにご隠居どころか、何もしないでコタツでウトウトされる頃なのに、この77歳は極めてお元気である。何よりも仕事のために自分の理想を追求してやまない姿勢がご立派である。

 石井さんはあの砂原美智子さんと女学校で同級だった。そのころの府立第六高女である。彼女は在学中から歌が好きだった。そして東京音楽学校(今の芸大)に入る。勿論目標はクラッシック歌手である。入学したての頃、友達の家のソフアできいたシャンソン、リユシエンマ、ボワイエの歌う「Parlez-moi, d'amour」だった。「きかせてよ愛のことば」という日本訳で知られるこの歌をきいて、石井さんはシャンソンという歌のジャンルがあることを知った。そして一気にシャンソンの魅力にとりつかれる。パリへの留学、そして、帰国。

 私が石井さんと知ったのはテレビの初期の頃だった。シャンソン全盛期で、越路吹雪、高 英男、芦野 宏、中原美紗緒、そして石井好子とシャンソン歌手が、五人も紅白歌合戦に出たことがある。

 若い頃の私は石井さんの歌をあまり評価していなかった。フランス語の発音がわざとらしいのと、少々音程が乱れるのが気になっていた。

 しかしある日、彼女と会ってザックバランに会話を交わしてからあとは、全面支持派にまわった。石井さんは情のこもった語り口で、シャンソンへの傾倒を語り、お得意の手料理までご馳走をしてくださった。これはどこかで感じた女性の魅力だ!と私は思った。そしてそれは九州の女性のもつ逞しさとあくなき情熱から来るものだ、と感じた。

 歌手としての石井さんは他に素晴らしい魅力をお持ちだ。一つは若い歌手の育成であり、もう一つは日本のシャンソンのためなら何でもやってやる、という心意気である。

 ことしもパリ祭の音楽会を全国各地でくり広げたが、その人選から全体の趣向を考えたり、永 六輔、木原光知子、といった人をシャンソンの会の大サポ−タ−にしたり、プロデユ−サ−としての腕前は一級品である。

 六十歳を過ぎてから新しいレパ−トリにどんどん取り組んだり他の分野の人々に大きな刺激を与えたりと、石井さん益々お元気である。

 気分の若々しい人はいい。常に前向きに物を考える人はすてきだ。更にへんに老けこまないで、いつもいい気合で仕事も私生活もなさっているのは断然いい。

 私より三つもお年上のくせに、お会いすると私の数倍元気がいい。パリのオランピア劇場でシャンソンの会をひらいた1988年の舞台はフイルムでしか見てないが、堂々たるものである。石井さんは、恐らく日本人の歌手としては最高齢の記録を打ち立てるのではあるまいか。