伊藤久男

 しばらく、個人列伝を休んで最近のあれこれをトピックス風にとり上げてきたが、今日は久しぶりに、個人伝にする。

 というのも、3月10(日)に、けやきホ−ルでやる、平成第4回「NHKのど自慢・日本一大会」の準備をしている時、「あ、この人はやはり堂々たる個人伝にしなければ!」と思ったからだ。

 その人の名は伊藤久男さんだ。

 伊藤久男−福島県の生れ、本名は伊藤四三男、本名のシサオを−ヒサオにしたわけだ。いかにも福島男らしい武骨な男でデリケ−トとか、ヤサオトコなどというイメ−ジは皆無であった。しかし、この伊藤さんは、まことに茫洋としていたが神経は殊の他、細かった。豪放にして細心−そんなイメ−ジだった。誰も彼を呼ぶ時は二通りの使いわけをした。一つは勿論、「伊藤さん!」である。もう一つの呼び名は「チヤ−さん!」であった。

 所属コロムビアレコ−ドの人たちもそう呼んでいた。つまり普段は親しみをこめて「チヤ−さん!」であり、改まった時やご本人がご機嫌斜めの時は「伊藤さん!」であった。

 私、(当時はNHK入りたての三十を越えていない若者だ)なども、つい、このコロムビアの方々の呼び方に習って、「伊藤さん」と「チヤ−さん」と使い分けをやっていた。

 伊藤さんは、そのどっちで呼ばれても、「オウ−」とか「ウン!」とか、時には「ヨシ分かった」とか、極めて明快であった。

 つまり伊藤さんは常に伊藤さんであり「チヤ−さん」と呼ばれ「伊藤さん」と呼ばれても、それはご本人には関係のないこと。どっちにしてもオレのこと、と思っておられる感じであった。

 肩幅の広い、堂々たる体格で、だから「イヨマンテの夜」「オロチョンの火祭り」などいう勇壮なリズムの声はり上げる歌は正にピッタリであった。

 でも、伊藤さんのもう一面は、「山のけむり」「湖上の尺八」などの人間の肺腑をつくしんみりした歌にあった。

 軍歌の中で恐らくもっとも沢山の人々に歌われたと思われる「暁に祈る」などは伊藤さんのそういう二面性、つまり、勇壮な前進感とその裏にある悲壮感や妻子への思いやりを同時にこめて、まことに日本人の感性にピッタリの歌だったと思う。

 この「暁に祈る」を初めとして伊藤さんの歌は古関裕而さんの曲が多い。伊藤さんも古関裕而さんも福島のご出身だから、これは二人の仲に通じている県民性のようなものかも知れない。

 のど自慢の出演者に圧倒的に歌われた曲は「山のけむり」「イヨマンテの夜」などが多いのだが、その理由は朗々と声を張り上げて歌い上げる、たとえばオペラのドラマチック、テナ−の快感があるせいだろう。又その反面に「あざみのうた」「山のけむり」に代表される日本人が最も好む、抒情性と心をうってくる感動性があるからではないか。

 伊藤久男というキャラクタ−はまことに見るに、その二つの面をもっていたように思う。だから「のど自慢」のように素人の歌い手たちにも愛されたのだ、と思う。つまり伊藤久男の歌は日本人の愛唱したい二つのタイプをものの見事に表わしているといえる。

 3月10日、代々木上原のけやきホ−ルで行われる「のど自慢、日本一の会」の中でも、第三部が「伊藤久男さんの歌を歌いつぐ」という特集である。

 伊藤さんの奥さんアサノさんもお元気で当日、会場にお見えになるという。

 たのしみだ。