顔が変った話

宮本武蔵」や「新平家物」などを書いて或る時期、国民的作家と言われた吉川英治が、まだ小説をかく以前の30歳位のころ、病父と母親それに弟妹をかかえ、困窮の生活を強いられていた時分の話である。

吉川英治は懐中に履歴書をしのばせて、定職を求めて足を棒にして、求職に奔走する毎日であった。その履歴書は「学歴ナシ、賞罰ナシ」の簡単なもの。

物質の窮乏と精神的憂苦は当時の吉川英治を憂鬱な影像にしていた。母親は、そんな我が子のやるせない姿を見て、こう言われた。「後ろ姿にも、顔にも貧相な苦労負けみたいなものを、若いくせに、ぶら下げていて、たれがおまえの履歴書などとりあげるものですか、、、、」

それからというもの、吉川英治は毎朝鏡を見ることにした。借家の庭先に咲いていた水仙を、歯を磨きながら、見て努めて自分の顔を明るくもてるように気をつけた。

それが一つの習慣になっていた。そうして顔に微笑をとか、心がけてとか、そういう意識的な気持を忘れていた。そんな或る時、母親は「このごろ、おまえは、寝ていても、笑い顔をしているのね。」と言った。